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この文章はきみに見えているか? エメーリャエンコ・モロゾフ『奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼』全文公開

エメーリャエンコ・モロゾフによる序文

稀代の無国籍多言語作家であるわたくしエメーリャエンコ・モロゾフの長編小説『奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼』の全文を、著者に許可もなく、2020年5月24日11時より無期限公開することになりました。樋口恭介『すべて名もなき未来』のなかでわたくしが言及されており、日本における紹介者・翻訳者たちが一般読者の混乱を懸念し、おびえたからです。

本作は、超自由民主党(Super Free Democratic Party)独裁政権下の日本、イスラム化を経てキリスト教原理主義に戻ったフランス、文化政策に成功し創作活動の理想を人体実験で追究するシンガポールなどを舞台とするSF(Super Free)小説です。また、人間の欲求を半強制的にくみ取り、実現し、提案、操作、監視する遍在AIをめぐる記述、思索でもあります。

このたびの日本語版は、2019年度ハヤカワSFコンテストの一次選考を通過したことで事前に読んでいた友人らが不安になったカナエ・ユウイチ『エメーリャエンコ・モロゾフ』を構成する資料として翻訳された原稿をもとに、公開にあたり大幅な改訳が加えられました。既読の方もどうぞ。

以下、note用に分割した24の章へのリンクを貼ってあります。お時間のない方はぜひ最初の核融合リニアモーターカー「ゆきえ」だけでもお読みください。おすすめは順番に最後まで読んでいただくことですが、もちろんその上でわたくしに100億円単位の経済的支援を行うのがベストです。

本作における芸術のルール(la règle du jeu)は、歴史修正主義にもとづいており、無数のパロディが存在します。気づく気づかない、あるいは受け入れる受け入れないにかかわらず、それらは厳然たる事実として作中世界でリアリティをもって使われています。どこまで読み進めるにしても、抱いた違和感は大切にしていただきたい。ツッコミを入れる対象とツッコミを入れる自身の、両方に。どちらか一方にでも違和感を覚えなくなった場合、現在進行形で修正されている歴史に気が付けなくなるでしょう。でも大丈夫。わたくしにお金をくれたら、見えるようになるかもしれません。

言葉は力です。暴力です。言葉だけでなく、ものを変化させる力はすべて度を越せば暴力になり得ます。人の営みが、これら厄介な力の制御をとおして築き上げられてきたとすれば、芸術は、文学は紛れもなく生活の糧でありましょう。わたくしたちは暴力たる言葉を制御する努力を文学によって学ぶことができます。努力は報われるとはかぎりません。言葉を用いて無数の命が、未来が、尊厳が奪われてきました。一方で、取りこぼしてきたものの多さに愕然としながらも、多少なりともの達成として暴力を変化させ、力として命を、未来を、尊厳を守る運用をなせている場を生活と呼ぶのであれば、わたくしはこう呼びかけたい。よい生活をしよう、と。より命のある、未来のある、尊厳のある生活を望まない理由はどこにもなく、芸術が、文学が役に立たないとうそぶく理由もどこにもありません。そのために、だれが言葉を占有しようとしているか、わたくしは常に見定めましょう。

それはもしかしたら、きみかもしれない。だから、この文章はきみに見えないのかもしれない。(エメーリャエンコ・モロゾフ)

著者紹介

エメーリャエンコ・モロゾフ

Ⓒacworks   

稀代の無国籍多言語作家。1834年、デスバレー生まれ説が有力。最終学歴は子宮。1834年、生まれた瞬間に父親の容姿へ文句をつけ、これがデビュー作となった。1997年、『加速する肉襦袢』で全米図書賞を受賞希望。1901年から2020年まで120年連続ノーベル文学賞応募。2015年から世界愛国ポルノ作家連盟日本支部長。2018年、その存在によって日本SF大賞候補。2019年、『モロゾフ入門』が毎日新聞に取り上げられ、日本における海外文学としては異例の240万部超のセールスを理論上は記録するとモロゾフは計算している。2030年、『カッサンドラ・ニーハオ』でアカデミー賞8部門ノミネート予定。著作に『ライトウイング・ペイトリオッツ・コリアンファッカー』、『現実とは筋張ったチンゲンサイの芽吹き』、『ストライク・ザ・レポーターズ』、『あの月まで届けてね』、『O-NSC』など多数。


目次

(以下のリンクから各章に飛べます)

1. 核融合リニアモーターカー「ゆきえ」

2. 超自由民主党(Super Free Democratic Party)

3. ひとを殺さないとおかしくなる男

4. Aequalitatem Necessitudines(平等なつながり)

5. 非線形反物質航空機「ユビキタス」

6. フランス神聖国はむかし第五共和制フランスとよばれていた

7. アタラクシアを待ちながら

8. フランボワイヤンゴシック様式

9. 転生者キキバラ・キキ

10. この美しい国でマンスプレイニングの阻害はご法度とされている

11. ユービックプロジェクト

12. あなたの理想とする世界は実現しましたか

13. 最高級形成牛「ソラリス」

14. The Star-Spangled Banner(星条旗)

15. あー溶けよ溶けよ

16. ARナイアーラトテップ

17. Reflexivity, Recursivity, Recurrency

18. これは誤読の物語

19. 啓蒙者マイマイマイ・ヤロマイ

20. いつか祝福を待つ声で

21. ゼロ・フォレストvsエルンスト・シュッヘ

22. Hamartia(的外れ)

23. わたしはそれを見ている

24.  BRAND NEW MORNING(新しい朝)

参考文献――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼」邦訳における


翻訳者カナエ・ユウイチからのメッセージ

「神武以来の天才」「令和のジェイムズ・ジョイス」「もしやフィギュアスケート界の重鎮では」などの喝采および絶賛を、その旺盛な創作欲によって、いまや作品を発表するたび洗面台の鏡へ浴びせているといわれるエメーリャエンコ・モロゾフ。実際には「隙あらば二段落にわたって読者にいばりながら金をせびる人」くらいのものですが、昨今オンラインサロンの隆盛によってそれも珍しい異名ではなくなった彼の作品を邦訳するよう吉澤さんから打診されたときは、正直に言ってとまどいました。

エメーリャエンコ・モロゾフにサラ・ドーベルマン、バルベルデ・劉・イブラヒモビッチなど数々の作家を発見した吉澤さんは、遅延主義で知られる思想家サッカナ・シーの邦訳へも色目を使っていましたし、私の出る幕などないと思っていたのです。

ところが吉澤さんは『加速する肉襦袢』の一作品も完訳しない。そればかりか名の知れた作家たちに次々とエメーリャエンコ・モロゾフの断片を読ませ面白がらせては自分は何も発表しないときています。お前がやらんならとこちらで翻訳を始めて、はや何作になるでしょうか。たくさんの方のご厚意によって本も出ました。ありがたい限りです。

そんな遠い目をしながら、エメーリャエンコ・モロゾフについて少しだけ語ってみます。彼の作品は往々にしてエロティックかつポリティカルな話題や言葉遣いが出てきますね。しかし、それらは一切合切が不必要かと言われれば、一切合切が不必要なのですが、一応の理由はあるのだと思います。

こんにちの日本では公文書改ざんや法解釈変更における口頭決済によって政治的プロセスが破壊されています。あったことをなかったことに、なかったことをあったことにできるのであれば、現在その時点で発された言葉の重要性など一秒先には皆無になるでしょう。人はまとまりとしての文章がわからなくなります。解体された文、あるいは単語を読み、いや文字どおりに読むことすらできず、事前にすりこまれた文脈にしたがって反応するほかない。自分がなにに突き動かされているのか意識できないとき、人は人を、自分を突き動かしている当のだれか以外の存在を、殺しやすくなります。

1億総スマホ中毒のいま、目の前で次から次へと情報たちに触れ、秒でコンテクストが切り替わるのに私たちは慣れきっています。そのような世の中で人は文と文の、もしくは一文のなかでの整合性のとれたつながりをどれほど意識できるのか。また当人が文を作る側に回った場合、おそらくすぐに書けるもの、より届きやすく、より人を動かす言葉が重要性を持つでしょう。そのためにコンテクストには、ほかのだれかが自分の利益のために作り出した既存のバズが選ばれることが多くなるでしょう。より刺激が強く(エロティックで)、より意図がわかりやすい(ポリティカルな)ものを。

言葉を使用するという行為はもともとエロティックでポリティカルなものでありますが、それをひた隠したりあらわれを吟味するエレガンスが無効になりつつある時代において、もしかしたらエメーリャエンコ・モロゾフは、先回りしてラディカルなあけすけな態度を、なるべくエレガントにとる道を示すことで、半端に露悪を気取ってイキる粗忽者の殺す人間が一人でも減るよう意図しているのかもしれません。意図していないのかもしれませんし、彼自身が半端なのかもしれません。それはそれで、エメーリャエンコ・モロゾフが、彼を半端の位置に追いやる方に乗り越えていただけたということで、紹介者・翻訳者のひとりとしては本望です。

この作品がひとりでも多くの方にお楽しみいただければ幸いです。


訳者紹介

カナエ・ユウイチ

作家、翻訳者。2011年、診断メーカーのペンネーム作ってくるやつで、鼎雄一として生まれる。「文章もそうだが名前が読みづらい」「わたしたち鼎の軽重を問われますね」などの指摘やダル絡みに悩まされ、2018年、オカダ・カズチカ(新日本プロレス)にインスパイアを得てカタカナに改名、以来ただ「文章が読みづらい」と言われる。また、この記事はほぼカナエの執筆によるが、女性の画像は写真ACのモデルリリース取得済みフリー素材であり、エメーリャエンコ・モロゾフの近影ではないことを、どこかでだれかがモデルさんに「失礼ですがエメーリャエンコ・モロゾフですか?」とか声をかけたら本当に失礼なのでここに明示しておく。


※当記事は早川書房編集部による「何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか。『コロナの時代の僕ら』全文公開【終了/著者あとがきのみ継続】」を参考にしています。

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