16. ARナイアーラトテップ――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼」He-1
He
彼。
性別や人種がどうであれ、またヒトであるかモノであるか、有機物であるか無機物であるかを問わず、わたしは「それ」を彼と呼ぶことにする。これは誤読の物語である。
彼は自分を見た。ユービックプロジェクト。同じ日に同じ場所でほかに一九人が同じ実験に参加した。一ヶ月後、そのうち彼ともうひとりの子供を残して全員が死んだ。
なぜだろうと思った。
数カ月後、授業でreflexivityという言葉を習った。自己を他者に映し出すことによって自己に立ち返り自己を規定する概念である、と教師は解説した。
たとえば言語。個人的な内面の吐露であれ社会的な情報伝達の手段であれ、言葉は存在した瞬間から、最低でも存在させた当人に読まれ、その知的枠組を更新していく。より多く読まれればそれだけ影響力を持ち、果ては世界の構造を変え、またそれが新たな言葉を生み、改変が起き、それをずっと繰り返していくらしい。
あの実験はそのようなコンセプトもあったのだろうか。
一方で、多くの疑問を感じた。
自己と他者を分かつのはなにか。その再帰性を証明するものはなにか。再帰性自体は再帰によって改変されるのか。再帰による際限のない規定は過去から未来への直線的な時間を前提しているがその根拠はなにか。
チャイムが鳴ったあと教師へ質問をしてみたが、かんばしい答えは得られなかった。
さらに数カ月後、母が酒に酔って帰ってきたときに、妙なことを口走った。彼女は例のプロジェクトチームに行動心理学者として参加していた。大量死事件いらい彼を養護施設から引き取って養子にしていたのだが、ふだんは見せない憎々しげな表情で、
「あのジャップさえいなければ」
とわめいた。どういうことか聞ける雰囲気ではなかったし、翌日にそれとなく探りを入れてみても成果はなく、プロジェクトチームの名簿を読み直したが日本人はいなかった。ただ、ひとり情報源にあてがあった。実験生存者の片割れであるエルンスト・シュッへは母方の父が日本人で、あれからトキョに引き取られて住んでいる。事件後の聴取で同席したときに年齢が同じこともあって仲良くなり連絡先を交換していた。
「例のあれに日本人がかかわってないかな」
「なんで」
「ちょっとね」
「調べてみる」
三日後に答えを得た。あれはシンガポール政府をあげた実験だったのでそのうまみにひとつ与ろうと多くの企業が協賛したのだが、そのなかに日本人が経営するものがあった。トラボルタ・トシコ。カルチャー・メッカの発想と技術を母国へ持ち帰りボロ儲けし、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの政治家だった。当時は衆議院議員三期目、文部科学副大臣。トキョ大学法学部を出て弁護士資格も持ち日本の知識人たちと交友のある才媛とのこと。この人がなにか余計なことをしたのではないか、と彼は考えた。はたしてそれは正しく、トラボルタの名前を出しただけで母は血相を変えた。ただ口をつぐんでしまったので、具体的になにが起こったのかはわからなかった。
高校へ進学し、プログラミングの授業でrecursive callという用語に出会った。ある手続きの中に再びその手続きを呼び出すこと。処理を終わらせる条件を正しく書かなければ手続きを無限に呼び出すはめになりシステムがパンクする。もう外から手を出すことはできない。recursivityとは、まるで合わせ鏡のようだ、と教師は例えた。ピンときたわけではなかったが、このときに彼はあることを想像した。合わせ鏡のなかで無限の自分の姿をすべて、自分からはひとつひとつ把握することはできない。だから無限とかすべてとかいう言葉でかっこにいれて一括りにするのだ。しかしそうかっこに入れたこの自分は、その無限とかすべてとかに含まれることができないように思える。はたしてできるのか否か。
シュッへはプログラミングに長じていて、初歩的な質問からシンガポールの高校では履修しない技術へのあてずっぽうな投げかけにまで答えてくれた。シュッへが実際に書いたコードを参照しながら、なにがどのような意味を持つのかを説明され、通信を切ったあとも眺めていると、彼にはシュッへの人となり、声、息遣いがわかるような気がした。やがて彼も独自にコードを書き始めたが、シュッへならどうするだろう、という想像に判断の多くを依っていた。日本語の勉強も始めた。
高校三年生のとき、シュッへが匿名でアプリケーション「ナイアーラトテップ」を発表したと教えてくれた。ディープラーニングにおける生成ネットワーク、それに識別ネットワークに自然言語処理とブロックチェーン技術を組み合わせ、ユーザーのダウンロードとアップロードの履歴から存在しない人間の顔と音声パターンを合成してオリジナルのアバターARを提示する。ユーザーはこのアプリを通せばだれでも生まれついた容姿とは別の自分によって活動できるのだ。このリリースはネットメディアからセンセーショナルに扱われ、世界中からアクセスが集中しすぐに繋がらなくなった。数日後、とある日本企業がこれを事業として買い取り、けたたましい喧伝のもとで運用を始めた。だが評価はあまりいいものではなかった。ひとつのアカウントにつきひとつのアバターしか作れなかったし、アバター生成の条件が公表されず、たとえばカッコいいつぶやきだけしていればイケメンイケボになるかといえばそうでもなく、どれだけ工夫しようともほとんどのユーザーは満足のいくルックスへ到達できなかった。シュッヘは売却の際も後も、ナイアーラトテップのコンセプトだけはかたくなに譲らなかった。すなわち生成された顔と声は演算の結果に忠実であり、アバター生成条件の公開はしないこと。多くの場合、アバターは実物よりみにくいものとなっていた。ほどなくブームは下火になった。
ナイアーラトテップのソースを彼は知らなかったが、指導を受けるたび蓄積されてきた手元のシュッへのコードからそれを推測し、ほぼまるパクリの上いくつかの相違を仕込んだアプリケーションを完成させた。相違は以下のとおり。生成結果をナイアーラトテップのそれより美しくすること。ユーザーの試行錯誤をビッグデータとして取り込む余地を作り、生成条件の方向性をわかりやすく先鋭化できるようにすること。ブロックチェーン技術を排し匿名性を高め、ひとつのアカウントからいくつものアバターを作成可能にすること。このようにしてできあがったプログラムをナイアーラトテップの運営元へ送りつけると、それはそのまま新バージョンとしてアップデートされ、大ヒットした。なにしろ行動に対する成果がわかりやすく提供されるようになり、失敗しても何度でもやり直せるときた。またたく間にユーザーたちは理想のアバターを追い求め、虚構の書き込みが横行し、嘘と嘘によるレスバトルが増大し、Wikipediaが書き換わり、フェイクニュースが大量に生まれ、ハッキング技術を持ったものの目につくウェブサイトから改ざんされていき、多くの学術論文データベースが自由投稿・自由編集制とされ、無数のアバターによる犯罪動画が万引き動画からスナッフフィルムまで投稿された。テロも起きた。より美しいアバターを得るためにユーザーは嬉々として秩序を壊した。政治の介入を受けサービスは中止となったが、彼は自分が引き起こした混乱とは別のことに興味を惹かれていた。ひとつには、公開停止直前に集めたアバターを比較すると数タイプに分かれはすれ、だいたいみんな同じような容姿だったこと。もうひとつには膨大な量にのぼる虚実ないまぜの言説を嘘のあきらかなものまで本気で信じる人間たちが出現したこと。
問題は人間だ。問題など存在するのだろうか。
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