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15. あー溶けよ溶けよ――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼」Hell-3

 走る。
 海岸線の二車線道路を家の戸とは逆に、少しでも離れたくて。
 追う人も声もなくて、それをちょっとだけ期待していたバカらしさとか、火をつけっぱなしにしてきた今さらの心配とかぜんぶ振り払いたくて、息切れにふらついた身体を叱咤して速度を上げる。道路は一定距離ごとに点々と照らされ、左に海、右に平凡な一軒家や空き地の変わり映えのしない景色が続いている。だれかがわたしに問いかける。そんなに急いでどこへ行くのか。知らないよ。
 いや知ってる。
 ずっと頭の中にこびりついていた願望があった。
 偶然かもしれないけどその方向へと足を進めているのに気がついたわたしは分かれ道を内陸にそれて商店街に入る。海岸はなだらかなカーブを描いているので砂浜へはここを突っ切っていくほうが早いのだ。夕方お世話になった店たちはどれも閉じていて、お酒を飲むお店だけがネオンに光って酔っ払いをあてこんでいた。駆け抜ける。大人たちはわたしを見はしたけれど、声はかけてこなかった。さようなら、お肉屋、魚屋、八百屋、製麺所、調味料店、レシピコンサルタント。ありがとうございました。さようなら。
 商店街を越えるとそこはアカべ記念臨海公園で、ケヤキの森を抜けると干潟がある。約一◯ヘクタール、このあたりでひとつしかない海水浴スポットで、溶けてしまうといけないからわたしは小さいころの遠足いらい来たことがなかった。
 浜の入り口で立ち止まり、息を整える。身体が冷えてくると海風が吹き荒れて寒く、波音への恐怖もあいまってひどく震えた。晴れていた。正面に上弦の月があった。両端の崖以外、視界にはとても濃い紺ともっと濃い紺だけがあって、月の真下で水平線からこちらまで伸びた、色のいちばん淡い道をそのままずっと真っ直ぐに進めばよかった。
 あー溶けよ溶けよ。
 大丈夫。想定内。こうなる気はしていた。なんとなく。

 どうせ。
 どうせの人生だった。
 必死こいて走った自分に笑えてくる。
 それくらい許してくれよ。
 海に落ちたら溺死と区別つかない。

 迷いはある。でも波の泡が見えてくるようになると澄んでいって、あれの一粒になるんだって納得できるし、軽やかな気持ちにさえなってくる。少しずつでいい。
 水際から一メートル離れて立ち止まる。思い残したことはないか。ない。わたしがいなくてもみんな幸せでいられる。そうじゃない世界もわたしはゆるせる。思っておくことはないか。ある。
 目を閉じる。
 ママの笑ったり怒ったり泣いたり、いろんな顔がよぎる。
 もちろんさっきのも。
 楽しかったよ。
「キキバラさん」
 振り返るとマイマイマイ・ヤロマイさんがいた。

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