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20. いつか祝福を待つ声で――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼」H-2

 リアクションのとりようがなかった。
「そ、それって」
 とわたしまで震えだすと、
「落ち着いて」
 彼女が手で口をふさいできたのでお互いに深呼吸をして落ち着くまで待った。日本国憲法では女性の創作が禁止されている。文学にはじまり音楽や映像作品はもちろんだめ。舞踊で決まった型以外の動きを開発したり、世の中に役立つ発明を女性がしても逮捕されて手柄はそのジャンルの権威的な男性へと渡る。下手をすると目上の男性に口答えをするだけで伝統的価値観からの逸脱という意味で創作行為と断じられて有罪になりかねない。

 この文章はきみに見えているか?

「女性の自由なんかが盛んに叫ばれていて、創作だって気兼ねなく、気兼ねはあったかもしれないけどできていた時代もあったんだよ。もちろん昔だって男に気に入られるよう作り上げた女性像で男女不平等に拍車をかける女性だってたくさんいた。でも、作ることは自由だった。もうそんな主張をしてくれる人はいなくなっちゃったけどね」
 とヤロマイさんは、
「でもさあ」
 声をひそめて、
「女が作っちゃいけないなんて、おかしくない?」
 と言った。言ってしまった。それは今この国では取り返しのつかない発言だ。

 この国は法治主義を採用している。これは、わたしたち国民のかたちは実定法、つまり成文化された法律により定められているということでもある。いくら信頼できたり有能だったりする人が総理大臣になっても、永遠に生きているわけではない。だから彼らが残した法律という決まりを守って健全に生きるのが人の道、国家へのよろこばしき貢献なのだ。

「うーん」
「おかしいよ。ぜったいおかしい」

 ヤロマイさんが放った言葉は法への異議であり、国家への反逆でしかない。国家反逆罪は親告罪であり、いちおう物的証拠がなければ起訴まではされないが、こうして今まさに犯している門限やぶりという余罪を合わせれば死刑もありうる重罪だ。わたしの心はこの瞬間、目の前の女性の生殺与奪の権利を握ったことと、反逆者を密告することで国に奉仕できる愛国心に打ち震えたような気がした。

 わけがなかった。

「おかしいのかな?」
「そうだよ!」

 ヤロマイさんが放った言葉は現行法への異議であるが、それが国家への反逆だったとしても差別への違和感の表明であり、女性である限り共感できるものだ。こうして今まさに犯している門限やぶりという罪を共有していると絆はもっと深く感じる。わたしの心はこの瞬間、目の前の美少女と心が通じ合ったことと、ともにこの社会を変えていくため立ち上がる勇気が湧いてきたことに打ち震えた気がした。

 わけでもなかった。

「きかせてよ」
 と、わたしは言った。ききたかったから。
「歌、きかせて。いまから」
「いまからって、どこで」
「ここ」
「え」
 とヤロマイさんは照れた。
「いいじゃん、料理教えるから」
 とわたしは笑った。
 彼女は立ち上がって、歌い始めた。
 かすれた、安定しない、いつか祝福を待つ声で。


♪きみでは役不足
 わたしは実に見事な身体 身体 身体 身体
 自己言及は無料サービスです

 冷静と情熱のあいだ
 とっかえひっかえやったっていい
 わかるか
 人が恋に落ちる瞬間を
 ノーベル
 来いよ アルフレッド・ノーベル

 景気はゆるやかな回復傾向にあるらしいが
 わたしは愛を 爆上げさせる
 やさしくしてくれるのは 阿弥陀如来だけ
 明るい結末のために最後は他力が必要だ

 日本の未来は
 全宇宙が嫉妬する
 恋をしていますように
 踊れ 夜が明けるまで 

「いい歌だね」
 とわたしは言った。
「ありがとう」
 と彼女は言った。
「曲名はあるの?」
「LOVE卍」

 星がまたたいていた。月の光はもうヤロマイさんの後光めいてきていて、波がすぐそこまで来ていた。わたしは流木の枝を持って「虐待」の文字を消し、カタカナの名前と、教えてはいけない本当の名前を書いた。

 キキバラ・キキ
 嬉々薔薇 狂気

「獣の王の気概を持て、そんな願いが込められているんだって」
 とわたしは言った。
「狂気さん。いい名前だね」
 と彼女は言って、枝を取り、その横に本当の名前を書いた。

 マイマイマイ・ヤロマイ
 間男不居推量MY 矢■真里

「自分の愛した人は浮気をするわけがない、そう信じるって意味があるんだって」
 彼女は言った。
「矢■真里さん。いい名前だね」
 とわたしは言って、立ち上がり、彼女の手を取った。だれかを殺めるか、自殺するか、どちらかになる予感は変わっていない。それが前世からの宿命なのだろう。だとしても、母や母の連れ合いを殺すなんて選択はもうしないだろう。彼らは彼らでやっていればいい。わたしは自分にとって殺す価値のあるものを、いちばんいいタイミングで殺すために生きていくだろう。
 そう決意した瞬間だった。
 矢■真里さんの向こう先ほど管理人さんが全裸でいたほどの位置に、ひとりの男が立っていた。タキシード、ハイヒール。彼は走り出し、一気にこちらに近寄ってきて、その顔はとてもハンサムだったけど、まるで人を殺さないとおかしくなるとでも言うように、にやけていた。
 特別講義をしていた、愛国省のエージェントだ!
 彼が振りかぶり矢■真里さんの後頭部めがけてパンチを放とうとしたので、
「あぶない!」
 と矢■真里さんを突き飛ばすと、わたしは懐に隠し持っていた包丁で彼の腕を切りつけ、そのままみぞおちへと刺した。
「ギャー!」
 体を丸めた男を沖側へ蹴り飛ばすと、よろめきながら湿った砂地へと倒れた。そこへ波が押し寄せる。全身へ海水をひっかぶった襲撃者はシュウシュウと湯気を上げながら溶けていった。
「ギャー!」
 断末魔の叫びを上げる。
「このウラジーミル・アタラクシアがー!」
 そして口だけになり、
「このウラジーミル・アタラクシアがー!」
 消え去った。
「狂気さん、これは」
 と矢■真里さんが言った。
 生まれ変わりってけっこういるんだな、とわたしは思い、
「上級国民に手を出してしまった」
 と笑った。
「行こう」
「どこへ?」
「BRAND NEW MORNING(新しい朝)」

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