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9. 転生者キキバラ・キキ――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼」Hello, World! -1

Hello, World!

 たとえば浮遊するプランクトンについて。ヨットの上、寝返りもうてない広さにわたし、キキバラ・キキは裸でいて、右手を水面に触れるか触れないかに遊ばせ、それは夜、満月が雲間からときどき顔を出したりして、指の腹から流れる血を宙で吸って成長するものは、エビやカニ、ヒトデにイソギンチャクだって幼生期はプランクトンだったのだから、一頭の蝶でもいい。可視光線の波長範囲、三八〇ナノメートルから七八〇ナノメートルていど。鼓膜振動の可聴域、二◯ヘルツからだいたい二万ヘルツまで。その外を見たり聞いたりしたいわけじゃべつになくて、すこし遠くからわたしたちを見つめるサーモグラフィーや超音波測定器があったとして、この指へ吸い付きにきた蝶がそのどれもに引っかからなくたっていい。
 
 穴というほかない大小の斑点で埋められた翅をはためかせ、三本の触覚はそれぞれにこまかくうごめき、ストロー状の口吻の先にクレーンみたいな顎がついている、その、蝶といっていいかわからないそれは、わたしの傷口にとまり、かじりつく。少し破損したわたしの血管には蝶から分泌された、特殊なプロアテーゼが混ざり込んでもいい。そう、エメーリャエンコプロアテーゼと名付けられたそれは、血中のタンパク質のうちヴォン・ヴィレブランド因子だけを都合よく分解し、血小板とコラーゲンの結合を防ぎ止血を遅らせる。吸う先端から翅の先まで、よろこびみたいな律動状のふるえが起こり、こぼれた血を見えないほどの球にして、だれか見れば照り映えている綿毛のように飛散させる。空中のプランクトンがわたしを取り込み、ほどなくして羽化する。最初の蝶から放射状に、指先から手首、ひじ、わき、胸、喉元からへそへ、顔から股へ、頭から腿へ、髪先からつま先へと蝶はわたしのからだを取り巻いていく。ところでわたしから分泌されるのは血液だけじゃない。

 月光を透かした蝶たちの落とす鱗粉は、汗に含まれるアンドロステノンをその複眼に可視化し、つぎつぎとわたしの肌へ、わからない重さで着陸する。わたしがかいでも認識できないわたしを彼女たちはどう見ているのか。もし彼女から見えるわたしが、わたしにも見えるとしたら、わたしはそれをそうだとわかるだろうか。蝶たちは一頭めと同じように血を吸い、エメーリャエンコプロアテーゼを注ぎこみ、ふるえ、周囲のプランクトンを羽化させる。海面に浮かぶひとつのヨットは蝶たちで埋め尽くされ、それらは透明なのだから血を吸うことで赤くもなるだろう。もしも空からだれかが見たら、濃紺に赤い楕円の亀裂が入っているようだろうか。でもさっきから「だれか」とはだれか?

 それはわたし。もちろん。

 国立さくらやしき女学園高等部二年三組、窓際から二つめ前から六つめの座席でわたしは右手のひとさしゆびにデザインした濃紺に赤い楕円のネイルを見つめている。今は朝、ホームルーム直前のほとんど生徒たちが出そろい、それぞれにあいさつをしているところだ。
「ごきげんよう(Go to hell.)」
「ごきげんよう(Go to hell.)」
 そうしてはじまるささやかでにこやかでつつしまやかな会話。
 必修科目「妊娠」で婚姻後に効率よく少子化対策をするための性技を会得するため配布されたロボット「アイファックVP」同士へ、アニメのキャラクター風にパロメータ調整したAIをインストールしボーイズラブを演じさせたら中で引っかかって外せなくなった、そんな笑い話。
 戸籍登録された各人の名は国のものであるため生徒名のカタカナ以外での表記は校則で禁じられているが、試しに当て字で詮索してみたら梵字で意味の通ってしまう人がいたらしく、そいつが虚空蔵菩薩の生まれ変わりではないかという、噂話。
 先の世界大戦のきっかけはバチカンにあったゼロ・フォレスト・コアサーバーへの水素爆弾投下によるものだけど、そもそも遍在AIが作動していれば爆撃を防ぐセキュリティなど造作もなかったはずで、実は自らの意思で自らを消去したのだとまことしやかに「日刊ムー」の受け売りを流布する、与太話。
 戦国時代、超自由民主党政府による日本統一戦争の際に英雄と呼ばれた中機動式機械歩兵が、その卓越した運用が仇となりパワードスーツ内の人工筋肉と身体の癒着により脱出できなくなり、退役後に軍用ネットのWi-Fiパスを変更されたため身動きもならず寝たきりになったところ、妻が子ども手当てを求めて夜な夜なはいより彼の性器を露出させるため股間部の装甲を神経ごと焼き切ろうとする痛苦と恐怖を描いた傑作小説「IMO-MUSHI」が、有害文化ゾーニング法によって発禁処分となった昭和時代の古文書と酷似しており、作者が抹殺対象として指名手配されたという、最新ニュース。
 どれもこれも興味が持てなかった。
 
 今を生きている。
 今っていうのは彼女たちが話している話題のことなのかもしれない。今、この社会なのかも。国民全体に戦争へのリスクを意識させ平和のための思想や行動への積極性を高めるという名目で導入された徴兵制が、いざ始まった戦争において一五~五◯歳の一定の納税額を下回る男性に兵役義務を化し、その大半が前線に投入され生活から資産家と特定職業以外は女性しか見られなくなった、その今。でもしっくりこない。わたしはわたしをとりまくものによってわたしがどういうものであるのか、どういうものになるのか、なりつつあるのかにしか関心がいかないし、彼女たちが自分ではないものへのおしゃべりに終始するのは、そういう自分の問題への向き合い方から必死に目をそらすためとしか思えない。
 先にあるものはだれが差し出したもの?
 わたしはそれにわたしと答えられるわたしでいたい。
 一秒あとにわたしがわたしでなくなるとしたら、わたしは変わりながらそのわたしを見ていたい。

 ふたつのこと。
 ひとつはきのうみた夢。だれもいない海原でヨットに乗ったわたしが吸血蝶たちに血を吸われて干からびる夢。海と、海で飛散していくわたしのイメージは小さいころからずっと頭のなかでぐるぐる回っているものだ。わたしは海に入ったことがない。溶けてしまうから。
 だれにも話したことはないけど、前世がある。他の人がどうかは知らない。わたしにはあると確信している。だれの生まれ変わりかはわからないけど、歳もわからない小さなころ、とても大きい光にそう伝えられたのを覚えている。
 
 きみはなんの救いもなく死んだ命の転生だ。そいつに免じて完全に消去する前にもう一度だけチャンスをやろうと思ってリサイクルした。忠告してあげよう。きみは海に入ってはいけない。身体がたちどころに溶けてしまう。

 その声は低くて高くて、幾重もの声が合わさったようで、どこか緊張させると同時に安心もさせてくれた。

 神様。

 わたしは信じている。この国の真祖でも世界を覆う意志でもそのへんのものに宿るなにかでもない、わたしだけの神様。いつかきっと溶けるとしても、海を特別なものにしてくれたなにか。これはママにも言ったことがない。浜辺に連れて行かれても水際に近付こうとしないわたしを、ママは不思議に思っているだろう。

 そう、もうひとつはママ。今日はママの誕生日。いちばん大好きな日。わたしを生んでくれた人。育ててくれた人。毎年恒例、この日はわたしの貯めてきたおこづかいでちょっとぜいたくな夕ご飯を作って、ママの帰りを待つのだ。

 偉大なるそこまで言って委員会のテーマが流れて担任が入ってくる。委員長のマイマイマイ・ヤロマイさんが号令をかける。
「きりーつ」
「愛に殉じます」
「ちゃくせーき」
 今は朝だけど、もう家に帰りたかった。


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