10. この美しい国でマンスプレイニングの阻害はご法度とされている――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンストシュッヘの巡礼」Hello, World! -2

 安晋三三年。四月に施行された国家改善法により、超自由民主党政府がかねてより閣議決定しておいた歴史修正条項――第二次世界大戦の結果を敗北ではなく勝利とすること――が正史として確認された。同八月の国民投票において有効投票数九五パーセントの賛成で日本国憲法前文の書き出しが改正される。
「では、どのような改正だったでしょうか」
 歴史の授業。今日は愛国省から出向してきたエージェントが週に一度だけ行う特別講義だった。ハンサムな若い男性でいつもおろしたてのようなタキシードに袴を決めているためか生徒たちからの人気も上々だ。名前はわからない。
「わかる人?」
 絆評価という授業参加の積極性を連帯責任で問う項目の採点はこのエージェントに一任されており、推薦試験の考査に大きく響くためほぼクラスの全生徒が挙手をする。
「ではヤロマイさん」
 眉目秀麗、文武両道、肌肉玉雪にして将来の良妻賢母オリンピックメダリスト候補、理想的な大和撫子のマイマイマイ・ヤロマイさんはみんなのお気に入りだ。家柄もよく、すでに財閥の御曹司である三代目J・ソウタロウから見初められていて、将来は外務省へ入省した後ファーストレディになるだなんてもっぱらの噂だ。声もすんでいてまるで伝説の歌手アーヤヤ・マットゥーラのよう。
「昭和二◯年、日本はポツダム宣言を拒否し、第二次世界大戦は日本優勢のまま継続。日本は原子爆弾を開発し、ニューヨーク、ロンドン、パリ、北京へ投下。連合国を火の海にし、日本が圧倒的勝利を収める形で終結した」
 よどみなくそらんじた完璧な答えに、
「すばらしい」
 とエージェントもご満悦のようだ。
「この改正案を考案した法学の権威は? 続けてマイマイさん」
「キムタ・シュウサク」
「そのとおり。この実に美しい文言が考案された経緯は、稀代の戦略コンサルタントにしてSF作家であるラモーナ・アンドラ・ザビエルによるキムタ氏の伝記的連作小説『ライトウィング・ペイトリオッツ』シリーズの初期作品に詳しいのでぜひ読んでほしいですね。受験にも使えるでしょう。マイマイさん、ありがとう」
 教室が万雷の拍手に包まれる。
「みなさんに質問があります。少し時間をあげますので三個ほどわたしの言う問いを考えてみてください。一、この改正案がなぜ国民投票で九五パーセントもの支持を得たか。内容がすばらしかったのはもちろんです。別の回答を期待します。二、諸外国がこの改正に怒りの声をあげなかったのはなぜか。三、キムタ氏はこの後もよりよい日本社会への貢献に尽力し、ある変革の中心人物になります。その変革とはなにか」

 沈黙に満ちた室内を、コツ、コツとエージェントのハイヒールが床を叩く音だけが彩る。わたしはとても真剣に、今晩のこんだてを考えていた。今日ママはお休みとはいえ職業がら昼は寝ているかおでかけしてるはずだから、お昼はまともに食べていないはず。冷蔵庫はカップそばくらいしか入ってないし(なぜ冷やす必要があるのか)、戦争が始まっていらい外食はとても高いから、親子ふたりでだって最近は行ってない。さいきんは調子よさそうだしカロリー多めで行っちゃうか。誕生日って非日常だし、だったらいつもの和食じゃなくて、たまには洋食だっていいかなと思う。

 エージェントにあてられても心配はなかった。わたしたちは偉大なる国立さくらやしき女学園の生徒だ。淑女の作法くらいは叩き込まれている。男性が女性へなにかを考えさせるような質問をするときは女性の考えを求めているのではなくて、男性側がなにかを語りたいときだ。てきとうにわからないふりをしておけば差し支えない。
「じゃあ、えーと、そこの、ナッチさん。まず一から」
 ナッチさんは手の根を合わせてチューリップのかたちで一◯本の指を両頬に当てた。
「先生みたいにかっこよかったから?」
「まったく、しょうがないなきみは。キムタ氏はブサイクですよ」
「そうなんですね!」
「キムタ氏ほどのブサイクはいません。これが御尊顔です」
「うわっ!」
「醜いですよね。しかし功績に変わりありません。わが国にはルッキズムでの差別はなく、重要なのは心の清らかさです。わたしも清らかな心の持ち主なのでナッチさんのかわいさとおしとやかさにめんじて許します。しかし少し世間知らずですね。今夜いっしょに食事しながらいろいろ教えてあげるので、放課後に職員室へ来なさい。他にわかる方はいませんか?」
 だれも手を上げない。この美しい国でマンスプレイニングの阻害はご法度とされている。口を挟もうものなら学籍を失うだけではすまされない。ほんとまじこいつぶっ殺したい。表に出さず思うだけならばれないので、スピリチュアルアプリケーションを通してゼロ・フォレストに思考や感情まで監視されない時代になってよかった。
「それでは、わたしから教えましょう」
 笑うエージェントの、編笠の下からのぞく顔面は親が政権を支えた官僚ということで名と資料映像が特別に残っている歴史上のアイドル兼ニュースキャスター、ジャニー・アッラディーン・サークルアイに似ていると思った。

「牽強付会になりますが第一は愛国省の精力的指導の賜物といえるでしょう。憲法に関する反動的な思想を述べる人たちをわたしたちの直轄する地方局へお招きし説得と処刑を重ねた結果、生産性の高い論者へと改心させることができました。御託を述べる快感に自己実現を委ねた売国奴たちも思想がまちがっているだけで国を憂う気持ちは同じなのですから、国益つまり超自由民主党の利益を大前提とした正論を啓蒙すれば強力な味方となってくれるのです。それでも牙をむく無能の選挙権を剥奪するだけでよろしい。

「第二に関しては簡単で、どこもやっていたから強いてわが国をとがめる理由がなかった、というのが真実です。言葉は秩序の体系にも思考の枠組みにも物質の本性にも感情のよりどころにもなりますから、権力者つまり共同体の長は、共同体つまり権力者の利益となるように、古く使い物にならない言葉を時代に合わせた言葉へとアップデートする必要があります。たとえばフランス神聖国は教皇ウルスラパンク一世が岸信二年から一六年の在位中に新約聖書を更新しました。キリストへの信仰があまりにも篤かったため、彼は次のように信じていたのです。イエスはゴルゴダの丘における磔刑の直前、あらかじめオリーブ山でモーセから受け取っていた陽子銃プロトン・ガンを乱射し使徒もろともエルサレムを粉砕、単身ローマへ攻めのぼり皇帝ティベリウスを灰に変えたのち君臨、やがてアッティラを打ち倒すとユーラシア大陸各地をメルトダウンさせながら東進し唐を制圧、日本に大仏を作って宇宙へ飛翔、高度四◯◯キロメートルでアーとか言いながら南北アメリカ、アフリカ、オセアニア、南極大陸を作ったと。まさに神ですね。これをイエス最強説と言います。教皇庁のたびかさなる移動による資料の紛失を盾にウルスラパンク一世は、教皇不可謬権の条件や制限を裏付けるものはなにもないと主張し、この主張に教皇不可謬権を使用しました。教皇不可謬権とはたぶん教皇のやることは間違ってないよと決定する権利のことです。正直よくわかりませんがどうせ今の教会もよくわかっていないので気にする必要はありません。さて、こうなればやりたい放題で、あとは彼の説を賛同し補強する資料の濫造、異端者認定と焚書にいそしみ、岸信一五年に全枢機卿がイエス最強説を取りまとめ奏上したものを、実のところ教皇がひとりで加筆に修正と編纂をしたのですが、認める形で今みなさんが読める新約聖書へと生まれ変わったわけですね。わたしたちには『古事記』『日本書紀』『日本国紀』という真の世界史がありますのでイエス最強説が偽史であることは簡単にわかるのですが、要は世界中がこういう修正をしていた、というわけです。まして歴史を真実へ向かわせる日本国が糾弾されるいわれはありません。

「最後に第三ですが、キムタ氏は俗にいうニートゼロ法案、あの無職撲滅法制定の功労者となったのでした。法学に加えて経済学、人類学、文学、哲学、数学、統計学の愛国的権威だったキムタ氏は、各分野の専門にかじりつく有害なオタク研究者どもを政府の力を借りて一人ひとりアカデミアから追放しました。この結果エンゲルス・マツモト氏の有名な著書『思弁的資本論』を、口を開けば批判しかできない無為徒食どものネガティブキャンペーンから守り、まさにコペルニクス的転回とも呼ぶべき構造改革をもたらしたのです。それはなにか。累進課税制度改革です。マツモト氏はこれを所得税ではなく人権に適用せよと主張しました。先ほど紹介した名著より抜粋します。『所得に応じて金持ちは多く貧乏人は少なく税金を支払うのは、富の再分配を考えれば、どのような税率にしてもどこからか不平が出る。たくさん払いたい人間はいない。富と権力を持つものたちが租税回避などをしてしまえば国はやせ細っていくばかりだ。ならばたくさん払いたくすればいい。納税額によって享受できる権利を変えるのだ。だれも言わないからわたしが言ってやるが、そもそも金かコネさえあれば殺人ですら罪を免れられるのはこの世の真理であり、すでに気のつくものは気づいて利用している。暗黙の真理を明文化して世に周知する。これこそが真の社会的公平にちがいない』。どうです、理にかなっていると思いませんか。ゼロ・フォレスト時代から公的サービスをお金で買うことにもうなっているのだから、このへんはもう税として一本化してしまえばいい。キムタ氏はこの合理的な学説を全面的に支持し、賄賂を含むあらゆる社会的影響力を駆使しました。結果、無職撲滅法が成立し、年度ごとに最低ラインの納税額を収めない非国民どもは処刑されることになりました。結果的に徴兵期間を終えた男性たちの志願兵としてのリピート率が高まりさらに強く美しい日本国になったという副次的な効能も忘れてはいけません。『おろかな国は累進で課税する。わが美しい国は課税で累進するのだ』とはキムタ氏の有識者会議での発言ですが、これこそ正論というのです。きみたちが国立さくらやしき女学園でわたしのすばらしい講義を受けられるのも、この税制度のおかげだということを忘れてはなりません。そして、」
 へー! なるほどめっちゃ勉強になります!


:11. ユービックプロジェクト

:9. 転生者キキバラ・キキ

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