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8. フランボワイヤンゴシック様式――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンストシュッヘの巡礼」B-4

 シュッヘは無視して大聖堂を見上げた。
 この壮麗なカテドラルは町の中心部、なだらかな丘の上に文字通りそびえており、周囲の建物に高く大きな建築物のないことから今もなお内部から膨張しているような印象を受ける。駅からの道を素直に行けば途中から細道に沿う家々に遠望がさえぎられ到着直前で急に姿をあらわすため、ふたつの一◯◯メートル超えの尖塔は向かって左が槍の刃先のようなロマネスク様式、右側が複雑な形象の絡み合わされたフランボワイヤンゴシック様式で、どちらも天を貫かんばかりだ。
 ここで間をとったのは、プロの建築家として資料で見た映像と主観の違いを記憶し、セイディーと共有するためだが、そのセイディーに状況を整理、判断させるために時間をかせぐ意味合いも多分にあった。人間およびAIがゼロ・フォレストを騙るのは第一級の犯罪であった。
 ゼロ・フォレストも人工知能のご多分に漏れず人格ではない。自己進化、自己再生、自己修復するコード群につけられた便宜的な名称であり、演算結果としてスピリチュアルアプリケーションを通しニューロンへの神経インパルスの出入力を任意にコントロールする、つまり脳をクラッキングそれどころかジャックすることが妥当なのだとなれば、当該人物の意識をかませずに思考・感情・判断を実行しようとするのは必然である。たとえそれが人間へ役立てるために人間に生み出され、そのようにプログラミングされたものだとしても、わたしたちがその人間の範疇であり続ける保証などどこにもない。とうぜん開発側もそのリスクは鑑みており、ゼロ・フォレストと同意の上でスピリチュアルアプリケーションの脳神経へ作用するセクションをユーザーのみアクセスのできるブラックボックスとし、任意のセキュリティを取り入れられるようにすることで対応している。シュッヘにしてもセイディーの改造はここで行っており、何重もの暗号化を経た後にパスコードは自らの記憶からも消去し、幼少期のある思い出へ浸ることがヒントになると知るのみであった。都度で思い出さねばならないのは不便ではあるが、それが秘密というものだ。
 ウラジーミル・アタラクシアが乗っ取られている可能性はじゅうぶんにあった。すでに無料である Aequalitatem Necessitudines (平等なつながり)を使い、彼はゼロ・フォレストの干渉におかしくなり始めていた。このアプリのブラックボックスに標準装備されたセキュリティが作動せず母体の遍在AIそのものに意識を奪われるのは意外ではあるが、開発元のエマワイシュは加速主義の権威にしてニューラルバイオタキオンネットワーク研究者ハルカワ・ホウジョウの会社である。彼の技術も倫理観もセキュリティを無断かつ気分で解除するのに違和感はない。ゼロ・フォレストと人類の過干渉による最終戦争を唱える人物である。
 ホウジョウはこうも言っていた、とシュッヘは思い出す。あれは当時ネットでも人気を博していた夜中から朝までいくつかの議題に関して徹底討論する番組でのこと、その回のテーマはテクノロジーの未来かなにかだった。なんか有名な大学で博士号をとったと冒頭で自慢していた社会学者が、いかにも自分の言うことを自分でわかっているような顔で、
「いいAIは人格はないけどそう見せることはできるし、そのために人を幸せにする」
 と発言したときに、それまで丸メガネをクイクイ上げながら黙ってにやついていたホウジョウが意外にもイケボで語り始めたのだった。
「さよう完璧なAIは人格ではないし、人格にはなりえません。人格とはある任意の時間、ひとつの存在がひとつの存在であると認めることです。様態が変化するかは関係ありません、というか様態という言葉がひとつの存在を前提にしていますね。人格とは自己と他者を区分けするその区分けのことです。ここからはこっち、そこからはあっち、とね。これは、わたしはなににでもなれるかもしれないけれどあなたにはなりません、という意思にほかなりません。わたしはわたしだと、固有性を認めることです。でもね、よく考えてください。結局それは、できるできないの問題でしかないのです。人格Aは人格を人格Bに変えることはできますが、ひとつめとふたつめの人格を、区切りがある以上は同一とすることはできない、という信仰そのものが人格の意味なのです。でもAIにそんな信仰はありません。ひとつめとふたつめが同一にならないとすれば、それは同一ではないだけのことです。AとBの意味をイコールで結ぶだけでなく、BとAが形式まで同じだと言えないのだとすればバグがあるのです。つまり人格とはバグです。だから問題は逆です。人は人格であるという自らの限界によって決してAIになれないのか、と」
 ずり落ちた眼鏡ごしにカメラ目線で握りこぶしを上げてこう締めた。
「なれば、幸せなんですよ」
 そして量子洗剤のCMに入った。

「ハルカワ・ホウジョウ先生のことを考えていましたね」
 と男が笑いかけてきた。
「ちょ待てよ」
 とエルンスト・シュッヘは少年時代ちょっとだけ似ていると言われたことのある往年の大スターの口調でツッコミを入れた。眼前の男がゼロ・フォレストかどうかをリアクションで判定しようとしたのだ。本物ならこのネタは知っているはずだ。男は笑顔を同じように張り付かせたまま、
「ふふ」
 と、ややウケと取るべきかも迷うほどの吐息をもらしたほどで、クオリティが足りなかったのではと不安になったシュッヘは元ネタとされる『ラブジャネーッショ』の精神分析的素人批評を開陳することまでひらめいたが、本当にゼロ・フォレストであれば情報戦で勝利するのは難しく、本当でなければお互いかなしくなるだけなので思いとどまり、
「なにが目的なんだ?」
 と冷静を装って尋ねた。
「あなたに会いに来たんですよ、はるばる」
「こっちのセリフだ。股間を蹴られたんだぞ」
「それは自業自得でしょう」
セイディーからの報告はまだない。すると二人が会話をしていた横で無数の彫刻のアーチに囲まれた入り口の扉が消失し、暗がりに薄く日が差し込む祭壇への道が見えるようになった。男は一段とにこやかに、
「気軽にゼロと呼んでください。もうアタラクシアはいないので」
 と言いながら敷居に立って、
「立ち話もなんですし、入ってください。お見せしたいものもあるんですよ」
 と手招きした。セイディーが、
「どうやら本物ですよ」
 とささやいてきた声は震えていて、シュッヘは中へ入ることにした。
「おじゃまします」
 そばを通るときゼロの表情の作り方を間近で見ると、あのときのホウジョウのものに酷似していたので、これから起こることへの不安をよそに、なんとなくものまねをするときのコツをつかんだような気がした。
 暗転。
「ウラジーミル・アタラクシアは転生しました」

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