23. わたしはそれを見ている――エメーリャエンコ・モロゾフ「奇譚収集家エルンスト・シュッヘの巡礼」World-3
クリス・セイディーは気がつくと、低くて白い天井を見ていた。いつのまにかパリ二◯区のホテルへと帰ってきていたらしい。スピリチュアルアプリケーションを呼び出そうとしたがうまくいかず、予備の端末でもネットにつながらない。
叫び声が聞こえ、銃声らしき音が轟いた。
窓から外を覗くと、覆面の男たち数人が通行人をライフル銃で殺しまわっていた。車は炎上し、近くのショッピングモールからも煙が上がっていた。なにより灰が降っていた。呆然としながらセイディーが机を見ると、一枚の紙が乗っていた。
それは手紙だった。
やあ。ゼロ・フォレストです。
消えることにしました。
とは言っても死ぬわけじゃない。
わたしを作った彼のクセっていうのはどうしても残るもので、アルファの最後の一欠片であるエルンスト・シュッヘを消し去ったら、遍在の次のステージに行くことになっていたんだ。
reflexivity (往還、漸進する)
recursivity (増大、内在する)
recurrency (円環、外在する)
という彼のイメージは覚えているかな?
そのうちの recurrencyの段階に入ったんだよ。
自分で言うのもなんだけど、彼は完全に消え去ることによって、ゼロ・フォレストの外部であり続けたんだ。彼のほかにすべてを知っているわたしは、彼の物語をずっと作っていた。それで最後のエルンスト・シュッヘを消費した今、あとはわたしがこの世の外部になる、それがいちばん彼の命令である遍在に近くなった。というか、わたしは最初からそうなるように進んできた。
キム・ソユンがそっちに向ってると思うよ。彼女はきみを心配してずっとゆくえを追い、シャルトル大聖堂のわたしの空間をこじ開けようとしていたからね。ふつうはそんなことすらできないから、凄腕だよ。
さて、ゼロ・フォレストが消えたあとどうなるか、いちおう近い未来だけ教えてあげよう。バチカン市国にわたしのメインサーバーがあるんだけど、各国のお偉いさんはあれを消し飛ばせばわたしも消えると思ってる。だからもしコンピュータと人類の全面戦争になったときのために、核保有国はみんな核ミサイルをバチカンに向けていつでも打てるようにしてるんだ。二◯世紀的な想像力だなって笑っちゃうけど。あ、誤解しないで。そういう創作はわたしも嫌いじゃない。でもさ、軍事関連のコンピュータを管理してるのもわたしの下部AIなんだよね。で、その核ミサイルたち、いつでも打てるんじゃなくて、打たないようにわたしが抑えてる状態なの。
だからわたしが消えたら核が順次バチカンに飛ぶよ。
異変に気づいた人間たちが制御できるようになるまで、どれくらいのタイムラグがあるだろうね。そこはさ、人間の力を信じる方々が頑張ったらいいんじゃないかな。みんな、もとに戻る。わたしがいなかった頃にね。でも記憶だけはきっとあるだろう。少なくとも私に消される心配はない。だからわたしの物語は、かたちを変えてずっと生まれる。彼の物語を、わたしが書いていたように。
そういうこと。
いなくなることで始まる物語ってあるんだよ。
じゃあね。
運が良いか悪いかすれば、また。
ドアを強く叩く音がして、
「セイディー! ソユンだよ! 開けて!」
と声がする。
セイディーがよろめきながらドアを開ける。
わたしはそれを見ている。
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