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他人の話なんて全然きけてない。


想像してみてほしいんです。


例えばあなたが、美味しいパスタの話をしていて。

大きなお皿にちょこんと盛り付けられた気品、
鼻の奥まで染み渡っていく魚介の香り、
一口噛むごとに口いっぱいに広がるイカの旨味、
硬さとモチモチが共存したアルデンテの食感、


そんな話をしていたときに、

「パスタなら新宿にオススメのお店あるよ!」


と、言われたらどう感じるでしょう。



例えばあなたが、家族の話をしていて。

父親と過ごす時間がぜんぜん合わなくて、週に数回しかない。なんだか素直に話ができなくて返事もぶっきらぼうになるし、そんな自分に嫌気がさす。


そんな話をしていたときに、

「俺だったら、自分から話をしにいくかな。」


と、言われたらどう感じるでしょうか。




私たちは思ってる以上に、他人の話を自分の関心だけで聞いています。

それは自分に必要な情報をあつめようとする人間の根本的な仕組みだし、良いとか悪いとかの話ではないんです。



ただ、あなたが話をしていて、

突如としてお店の紹介や、「自分だったらこうするよ」、なんていう"相手の話"をされたら、そこはかとない寂しさを感じないでしょうか。





誰かと話すときに大切にしたいのは、

『相手の関心に関心を持つ。』

ということ。





想像してみてほしいんです。


あなたの目の前でパスタの話をしている人は、

オススメのお店を紹介してほしそうでしょうか。
話を聞いてほしそうにしているでしょうか。
「いいなぁ~!」と羨ましがってほしそうにしているでしょうか。

なんで、今その話をあなたにしているんでしょうか。



あなたの目の前で家族の話をしている人は、

行動のアドバイスを求めてるでしょうか。
ただ、話を聞いてほしそうにしているでしょうか。
本当は、もっと根本的な何かを話したそうでしょうか。

その話は、誰にでも話す内容でしょうか。あなただから話してくれた内容でしょうか。
だとしたら、あなたに何を期待して話してくれているんでしょうか。




こんなことを書くと、


「そんなの、自由に話ができない。」

「求めてることなんてわからない。最初からどうしてほしいか言ってくれたらいい。」


という意見もあるとおもいます。




まさしく、おっしゃる通りです。





聞く側が大切にしたいことは、

『相手の関心に関心を持つ』ことにくわえて、

『自由に聞く』ということ。


コミュニケーションはお互いによって行われるものです。

あなた自身が無理をしたり制御してしまったら、それはコミュニケーションではなくなってしまうんです。



だから話す側も、自分の求めていることを相手に強要してはいけません。

むしろ、積極的にどうしてほしいかを共有していくほうがスムーズです。


ただ踏まえておきたいのは、

自分が求めていることは、自分が思っている以上に分かっていない、ということです。


だから、

気づいたらイライラしている、

気づいたらテンションが上がらない、

普段だったら嬉しいはずのことがなんだか嬉しくない、


こんなふうに、形を変えたサインとして出てきます。



そのことを、話す側も、聞く側も、覚えておく必要があります。

話す側が「ただ聞いてほしい。」といったその言葉は、実は真実ではないかもしれないです。

あるいは、話し始めは真実だったかもしれないけど、5分後には「共感してほしい。」に変化しているかもしれません。



ふだん私たちが日常的にしているコミュニケーションは、本当は極めて高度なものであることを改めて念頭に置きたいんです。



完璧である必要はないし、無理をすればあなたが壊れてしまいます。


それよりは、

不完全を完全に変えていくこと(今あるものをbetterにしていくこと)を楽しみたいですね。





自分に向けたメッセージを、noteの記事に代えて。




2020年11月30日
しっぱいノート218日目
えだちゃん。

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