言葉にすること,しないこと
音楽を演奏するのが好きです。絵を描くのも好きです。映画や劇も好きだし、絵本も好きです。私がこれらを好きな理由、今日見たオリラジあっちゃんのyoutubeで気づきました。
『情報の余白』
気づかされたのは、この言葉でした。
今回は、言葉にすることとしないことというテーマで考えます。
言葉にすること
noteを書いたり、人と会話をしたりするときに、自分の考えや感情を言葉にします。考えや感情を言葉にすればするほど、自分を理解できていく感覚になります。私はこの感覚が好きです。noteを書いたり、人と話たりするほど”自分”が築かれていく気がします。
ただ、同時に枠にはまっていくような感覚にもなります。”言葉”で自分を定義すればするほど、定義した”言葉”以外の部分が減っている気がします。
今日も哲学っぽくなってきました。
つまり、言葉にすればするほど『情報の余白』が少なくなっているんです。芸術の話に戻すと、「全てを語るな」とか「考えるな。感じろ。」などの意見はそんな意図だと思います。
言葉にしないこと
歌は、限られた文字数の中で歌詞を選びます。
絵には文字がありません。
映画や劇は、セリフはあっても登場人物の感情を説明しません。
絵本には文字が全然ありません。
言葉にしないこと。したとしても想像を促す(余白に焦点を合わす)ような言葉であること。これが、感動には大切なのかもしれません。
私たちは、聞き手や観覧者、読者の時、少なからず感情移入します。自分ごととして想像します。この”想像”する余白があることが感動につながります。
感動はなにに由来する
音楽も絵も映画や劇も絵本も、”感動”がつきものです。じゃあ、この”感動”ってどこからくるんだろう。つまり、感情が動く体験はなにに由来しているんだろう。
しっかり哲学感でてきました。
ここに、スポッとはまったのが、『情報の余白』です。
音楽単体には、色や匂い、味、柔らかい硬いはありません。でも、聴いているとそれらが浮かぶことはあります。
絵単体には、音や匂い、味、柔らかい硬いはありません。でも、見ているとそれらが浮かぶことはあります。
自分が実際に体験していなくても、ないはずの情報を想像して感じているんです。
感動は”想像して感じる”余白があることに由来していました。
まとめ
今回は、言葉にすること、しないことをテーマに考えました。
大人になるにつてれたくさん言葉を覚えます。それと同時に、想像する余白を失ってはいないでしょうか?言葉の枠にはめ込んで、想像することを辞めてはいないでしょうか?
子供の頃は世界がキラキラしていた気がします。毎日noteを書いていてアレですが、あえて言葉にしないっていうのも大切だと学びました。
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