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And the livin' is easy

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他のクリエイターさんの記事で感銘を受けた記事。ブルース調。
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2022年1月の記事一覧

ありのままに

こんにちは 星川玲です。 もうだいぶ前のことになりますが 猫を飼っていました。 ピーク時は4匹。 その頃、 「ご家族は?」と聞かれ 「6人。人間2人に猫4人」 そう答えることがよくありました。 私はほぼ本気でそう答えるのですが、 友人、知人はさておき、 見ず知らずの人はやはり困惑の表情になります。 「えっ?」と苦笑い→このパターンが殆どですが、 「なるほど」としきりに頷いてみせる人、 「そうなのね」……「うん、うん」 まるで幼児を前にした時のような言葉遣いに変わる人

喪失と銀色、

金属製の食器を洗っているときの、銀色の匂いが苦手だ。 洗い物という作業は不思議なもので、溜まっているのを見ているときはとても手をつけたくならないくせに、いざ始めてみると鼻唄を歌いだしたくなるくらいには楽しい。 洗剤は割と躊躇なく使ってしまうので(SDGs的にはよろしくない、今風に言ってみた)たっぷりと泡に塗れた食器の一つひとつを、指先がうたうまで丁寧に磨く。そしてシンクが地道に洗われていくのを眺めていると、私の中に溜まっていた感情の残りかすも気がつけば落ちている。 淡々

今日の名言は、「私にはもう何も残っていませんが、あなたの優しさだけは今も確信しています。これ以上、あなたの人生を無駄にするわけにはいかないのです。今までの私たち以上に幸せな二人は他にはありません。」

パンケーキ大好きなかおるんです。いつもエンピツカフェの決まった席で本を読んでいます。 悩みごとがあるときに、ふっと何か大切なものを気づかせてくれる先人の名言を紹介しますね。 ブルームズベリー・グループとは、1905年から第二次世界大戦ごろまで存在したイギリスの芸術家や学者からなる組織。 革新的で個人の自由意思を尊重する思想をもって、文学、絵画、経済学、政治などの幅広い分野で、非常に大きな影響力をもった芸術家集団なんです。 ブルームズベリー・グループは、性の問題について進歩的

freestyle 9 一週間

一週間が、また過ぎようとしている。 スタートしたばかりの2022年も、気がつけばすでに三週間。光陰矢のごとし、とはこのことだ。 一週間と言えば、ロシア民謡「一週間」は、不思議な歌だ。 初めて聴いたのがいつだったか思い出せないが、男性四人ボーカルグループの「ダークダックス」だったか「ボニージャックス」だったかが、美声で軽快にテュリャテュリャ歌っていた記憶がある。 子供の頃は、これを聞いて何とも言えない気持ちになった。 子供の、素朴な感想だ。 しかしテュリャテュリャの

私は「母親にならなかった私」を許します。

 ずっと手放せなかった気持ちがある。 デジタルタトゥーという言葉もあるし、 本来は自分の手元にあるノートや手帳に 書くべきものなのかもしれない。 それでも、ここに書きたい。と思った私の我儘。 読んだ人には、 ちょっと嫌な想いをさせてしまうかもしれない。 なので、辛くなったり、しんどくなったら そっとこの記事は閉じて 他の記事や、楽しいこと、してください。 スキ押さなくて大丈夫。 読んでみようかな。そう想ってくださった 気持ちだけで十分です。 この場をお借りした

うちの夫は最初からおっさん

私たち夫婦は世間のそれと比べて少しだけ特殊だ。 一応恋愛結婚ということになっているけれど、実態は契約結婚だし、共通の趣味もない。 夫が外で稼いでくる分、私が家事の一切を取り仕切り、お金はお互いが自由に使う。 その中でも一番特徴的なのが、年の差婚だということだ。 夫は私より20歳年上である。 年の差婚の割合実は年の差婚に明確な定義はない。 女性誌ESSEが運営する「ESSE online」が行ったアンケートによると、「10歳差からが年の差婚」と答える人が多かった。 婚

何もしない

 尾形亀之助という詩人のことは、たしか小田嶋隆さんのコラムで知って、「つまずく石でもあれば、私はそこでころびたい」だとか、「目の前で雨が降っていようが、ずぶ濡れになろうが、雨には関係ない」という風な言葉に惹かれて、青空文庫で読んでみたら、その徹底した無気力に一種不思議な感銘を受けたものだ。むしろ積極的といえるまでに消極性を突き詰めてゆく先にあるのは、もはや言語による表現ではなく、何も書かない、何もしないということであって、亀之助はとうとう飯も食わず栄養失調で逝ってしまった。

咳をしても一人

表題は尾崎放哉の有名な句です。 型にはめない、はまらないこの句を初めて知ったのはいつの頃でしょう。自由律句というらしいんですが。多分、中学か高校あたりで習ったのではないでしょうか。あ、こんな俳句もあるんだと衝撃的でした。 五七五もない、季語もない(咳が冬の季語という話もあります)、よくわからないけれども伝わってくるものがある。咳をしてもそばに誰もいない寂しさとか当時は習ったような気もしますが、それどころでない壮絶な孤独が背景にあったと後から知りました。背景を知らなくても十

残らなかった悲しみ

 信頼の置ける史料によると、かつてその土地では大規模な自然災害が発生していた。  もしそれがいま起きたのなら、「未曾有の」と形容されることだろうが、地質学的な痕跡を見るに、その規模の自然災害は周期的に起きていた。人の一生から見ればそれは人生のうちに一度あるか無いかの大事件ではあろうが、自然の方からすればそれは通常運転である。  我々は実に儚い。  史料によると、その土地にはそのころすでにそれなりの人口があったらしい。いまの都市とまではいかないまでも、他の集落から収穫物などのも

やりたくないことは、やりたいこと。

クリント・イーストウッド監督作『パーフェクト・ワールド』(1993年)は、脱獄囚の男と人質にされた少年の心の触れ合いを描いた、爽やかな感動をくれる作品である。 ケビン・コスナー演じる脱獄囚ブッチと少年は、二人とも、それぞれの事情で父の存在に飢えている。そんな彼らは、ブッチの父親がいるアラスカ目指して車を走らせる。父と過ごす完璧な世界=パーフェクト・ワールドを目指す逃避行となるのである。 しかし、悲劇が訪れ、パーフェクト・ワールドへの道は阻まれる。この時観客が感じるのは、道

眠るまでの寓話

父が亡くなった。 私の幼い娘にとっては祖父だが、娘は初めて体験する人の死がまだわからない。死んだと聞いた時は、周りが泣いているのも相まって泣きはしたもののあとはけろりとしている。 姉の子は私の娘より二つ上で、姉の夫の父が昨年亡くなり人の死を経験している。そのせいもあるのか、父の枕元にいるときはずっと啜り泣いていた。 娘は不思議そうに私を見上げて 「ねえ、どうしてひかるちゃんは泣いてるの?」 と聞いた。娘にとってお祖父ちゃんは動かなくなってしまったことしか理解できてい

心ゆくまで転調

アニメ『鬼滅の刃』を今冬毎週欠かさず見ている。 テンポが良く、緩急の激しい息をつかせぬ展開、体感3分で20分の本編が終わる。 もっと見たい!と思いながら聞く、エンディングテーマ… 毎回聞きながら重く悲しい曲だなあ…という印象しか抱いていなかった。(もっと見たいのに終わっちゃう悲しみとリンクしていた) オープニングテーマ『残響散歌』が派手で、楽しく、歌いながら走り出したくなるような曲だから尚更に。 突然だが、うちの子どもたちは朝目覚ましアラームで起きない。 大音量でも起

生きとし生けるもの、それぞれの地獄。

冬クールのドラマが続々と始まった。今日は、楽しみにしていた作品のひとつ「恋せぬふたり」の話をしたい。 恋せぬふたり アロマンティック・アセクシュアルの2人が出会い、同居生活を始めるお話。性的指向のひとつであるアセクシュアルは何となく聞いたことがあったけれど、アロマンティックという言葉はこのドラマの予告で初めて知った。 アロマンティックとは、他者に恋愛感情を抱かない恋愛指向のこと。 アセクシュアルとは、他者に性的に惹かれない性的指向のこと。 恋愛指向と性的指向は必ずしも

修行、遍歴、それから

 結城の行きつけのバーのマスター宮さんが体を壊して(もちろん呑み過ぎで)入院し、退院してからしばらく酒を抜いてすっかり健康的になると、周囲の止めるのも聞かずにまた呑み始めた。  まあ、バーのマスターが禁酒しているというのもおかしな話であるのだが。  宮さんはたしか今年還暦を迎えたはずだ。その十歳年少の結城も健康診断でガンマの数値が良くなく、メタボであるというので再検査の通知が届いても、それを無視して呑みに行ったりしているのだから、偉そうなことは言えない。  常連客も高齢化が進