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残らなかった悲しみ

 信頼の置ける史料によると、かつてその土地では大規模な自然災害が発生していた。
 もしそれがいま起きたのなら、「未曾有の」と形容されることだろうが、地質学的な痕跡を見るに、その規模の自然災害は周期的に起きていた。人の一生から見ればそれは人生のうちに一度あるか無いかの大事件ではあろうが、自然の方からすればそれは通常運転である。
 我々は実に儚い。
 史料によると、その土地にはそのころすでにそれなりの人口があったらしい。いまの都市とまではいかないまでも、他の集落から収穫物などのものが集まり、交換される中心であったのだ。
 その大規模な自然災害は、少なからぬ人の命を奪った。史料には、その命を落とした人々のひとりひとりについては一切書かれていない。中には愛する人を亡くしたものもいたに違いない。
 ある男の存在を仮定しよう。
 その男はその土地に暮らしていたしがない男である。別に指導的な立場にあるわけでもなく、史料の類には一切記録されないような男である。それなりに日々糊口をしのぎ、どうにかこうにか毎日生きながらえているような存在である。
 そんな彼にも家族がいた。妻と娘である。
 男が妻と娘をどう思っていたのかはわからない。なにしろ、一切記録されていない男だからだ。愛していたのかもしれないし、ただ成り行きでそうなっていただけなのかもしれない。あるいは、その時代の愛といま現在の愛とはそのニュアンスを異にする可能性もある。
 男の家族を、自然災害が襲った。男はどうにか難を逃れたが、妻と娘はそうはいかなかった。男は、妻と娘を失った。その亡骸すらも、その自然災害は奪い去った。残されたのは、呆然と立ちすくむ彼だけだ。
 男がなにを思い、なにを感じていたのかはわからない。男は平凡な男であり、彼についての記録は一切残されていないからだ。
 あるいは、男は悲しまなかったのかもしれない。その時代、家族というものの捉え方がいまとは違っていた可能性もある。命というものについての価値観が違っていた可能性もある。
 この男も、その妻も、娘も、歴史から見れば取るに足らない存在であり、その歴史よりもさらに大きな、自然の大いなる流れの中では、砂粒よりも些細な、誰にも気づかれないようなものなのだ。
 そうして、歴史の、時間の中に埋もれていくのだろう。
 わたしと、妻と、娘。
 そう、この自然の大きな、そして無慈悲な流れの前では、人間なんて芥子粒みたいなものだった。こうして災害に見舞われてみて初めて、その恐ろしさを知ることになる。
 妻と娘を失った。わたしにできたのは呆然と立ちすくむことだけだった。それはあまりにも巨大で、あまりにも無慈悲だった。なんて儚いのだろう。あまりにも儚い。
 全身から力が抜けていく。わたしは両膝を大地につける。なんて固く、力強い大地だろう。わたしは天を仰ぐ。なんて巨大で、深い空だろう。それに引き換え、わたしはなんとちっぽけなのだろう。ちっぽけで、無力だ。ちっぽけなわたし、ちっぽけな妻の命、ちっぽけな娘の命。ちっぽけであっても、わたしにとっては大切なそれだった。たとえそれがこの世界のどこにもその痕跡すら残さなかったとしても。
 わたしが大地に落とした涙は、すぐに大空を駆ける太陽が乾かすだろう。
 しかしながら、残らなかったとしても、わたしの悲しみは確かにあったのだ。



No.794

 
 
 

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