喪失と銀色、
金属製の食器を洗っているときの、銀色の匂いが苦手だ。
洗い物という作業は不思議なもので、溜まっているのを見ているときはとても手をつけたくならないくせに、いざ始めてみると鼻唄を歌いだしたくなるくらいには楽しい。
洗剤は割と躊躇なく使ってしまうので(SDGs的にはよろしくない、今風に言ってみた)たっぷりと泡に塗れた食器の一つひとつを、指先がうたうまで丁寧に磨く。そしてシンクが地道に洗われていくのを眺めていると、私の中に溜まっていた感情の残りかすも気がつけば落ちている。
淡々とした朝だった。起きたときにはとうに昼を過ぎていたのだけれど。
あんなに泣いて泣いて泣き腫らした夜は久しぶりだった、もしかしたら初めてだったかもしれない。未だにしわつく目元に反して、私の心は目覚めた瞬間から気持ちよく冷えていた。
自分でも不思議なくらいやる気に満ち溢れていて、私は最初からひとりで生きていたかのように、その朝は活動的だった。
やはり洗い流すという作業は必要なことだったのだ。
起き抜けに珈琲を流し込み、スープを作ろうと思った。数少ない、あまりにも少なすぎる料理のレパートリーの中で、いちばん作り慣れているもの。それがたまごスープだ。
鶏がらスープの素は躊躇しないほうがいい。ほんの僅かでも少なく入れると、せっかくの卵のふんわりとしたやわらかさとスープの濃いあたたかさがマッチしない。今のところ多すぎたことはないから、思いきって入れることにしている。
ふつふつと泡を集める水面を見ている。立ちのぼりはじめた湯気に手をかざすと、一時的なあたたかさのあとにすっと蒸気が手のひらで冷える。沸騰するのを待つ時間はいつも切実にもどかしい。
もこもこ、沸いたお湯に溶き卵を投下して10周かき混ぜできあがり。お椀に注いだばかりのスープは猫舌にあまりにも熱すぎる、毎度これをやらかしては舌先の感覚を失う。学習しない。
活動したら、二度と休んではいけない。ひたひたと忍び寄る後悔の念に捕まらないよう、必死に動き続けなければならない。しかし日が暮れて、思わず立ち止まったが最後、私は再び落ちてゆく。
夜が長い、おかしくなりそうだ、いっそおかしくなりたい。深い闇は昼間の正常な思考を容易く蝕む。死は救済、の言葉の意味をようやく理解できた、これだけは理解したくなかった。
体重を測ると、ここ数年でいちばん小さな数字を叩き出してくれた。私の中の大切な何かが、数百グラムとともに消えていく幻覚を見た。このまま何もかも失ってしまったら、私の重さはなくなってしまうのだろうか。
ということはまだ、重さのある今の私は全てを失ったわけではない。それでも抜け落ちたパーツの大きさは計り知れなくて、行動力ひとつあればいとも簡単に自分を手放してしまえそうだった。涙ひと粒分、私はまた軽くなった。
指に、銀色の匂いが染みついている。
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突然の激重記事にびっくりさせていたら、ごめんなさい。
ここ数日間、今までに経験したことのないくらい打ちのめされています。ただ吐き出す文章しか書けません。書けるのがまだ救いですが、今は読み手をあまり思いやれない文章しか書けません。
平日毎日投稿なんて言ってましたが、早くも叶わなくなるかもしれません。あるいは湿度高めの文章がしばらく続くかもしれません、でもひょっとしたらあっさり復活しているかもしれません。私自身にすらわかりませんが、ご了承ください。
でもかならず、少しずつ浮上して戻ってくるので、どうかあたたかく見守っていただけると幸いです。
まう
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