かんやん
中高年の自己流健康志向エッセイ。体が資本だ。
ささやかな日常の雑感、備忘録
掌編というには少し長めの作品集。
山の記録
『百年の孤独』が文庫化され、爆発的に売れているらしい。たしかに都心の大型書店でもコーナーができて山積みになっている。 ずいぶんと昔に読んだ作品だけれど、(内容以外で)色々と思い出されることがあるので、これを機に書いてみたい。ほとんどネタバレなし、というか内容をほとんど覚えていないので(ずいぶんと昔に読んだものであるがゆえに)、ほとんどネタバレの仕様がない。 海外の、それも長編文学作品がベストセラーになることは珍しい。また、そういう超話題作に限ってなかなか文庫化されない
そういえば、子どもの頃にはペット(PET=ポリエチレンテレフタラート)ボトルなんてなかった。食卓には急須の緑茶、夏は冷蔵庫に作り置きの麦茶、水は水道水。お茶を淹れるのも、カルピスを薄めるのも水道水。お金を出して出来合いのお茶を買うということはなかったし、まして店や自販機で水を買うなんて考えられなかった。そもそもそんなもの、売っていなかったし。 今は、天然水、ミネラルウォーターをペットボトルからグラスに移して、氷(これも購入したもの)を浮かべて呑んでいる(それから、ルイボ
ホラー映画というものを、わずかな例外(ジョーダン・ピール、アリ・アスターは気になる)はあるものの、ほとんど観なくなってしまった。そういうジャンルにもはやスリルを求めていない。 幽霊だの、お化けだのは卒業したし、ゾンビには飽き飽き。かつては悪魔モノが好きだったけれど、やはりもうネタ切れ感がある。若者向けのスプラッターやスラッシャーなどは論外だ。 その一方で、未だにヒトが動物(モンスターではなく、サメやワニ、猛獣など。恐竜を含む)に襲われて食べられる映画をついつい観てし
若い頃、ということは遠い昔、レインボーブリッジだか、ベイブリッジだかができたとき、そこを歩いて渡れるというので、仲間と出かけたことがあった。今思えば、モノ好きにも程がある。 よく覚えていないが、エレベーターで車道沿いの遊歩道まで上がったように思う。で、1キロぐらい(?)てくてく歩いて、橋上からどんな景観が広がりどんな想いを抱いたのか、全く記憶にない。渡り終わったら、反対側でまた満員のエレベーターで下に降りるのである。 今や絶滅危惧種であるエレベーターガールが何か話し
二泊三日の縦走登山を終えて、単線のローカル線から東京方面への特急の連絡がうまくいかず、途中の乗換駅で二時間ほど足止めを喰らった。盆休みのUターンラッシュに、前日に首都圏が台風で荒れて特急が運休した影響が重なって、予約がなかなかとれなかったのである。 時刻は午後三時、指定席を購入した臨時特急までおよそ2時間の待ち時間。 くたびれ果てていたけれど、腹はとことん減っていた。山小屋で朝飯を食って以来、プロテインバー以外何も口にしていない。とにかく途中下車して腹ごしらえしよう
夏だ、休みだ、山だ! 殺人的な忙しさでNOTEの更新もままならぬ状態で、お盆休みに突入。 GWは皇海山に登るつもりが、無人小屋が設備の関係で使えないと直前にわかり、敢えなく断念。2月以来の山行は初めての中央アルプス(木曽山脈)。 特急「あずさ」だと東京方面から目ぼしい山は、甲府(南アルプス)、茅野(八ヶ岳)、松本(北アルプス)で、中央アルプスは岡谷から飯田線(調べると愛知の豊橋まで伸びている。何時間かかるんじゃ?)に乗換えて南下するからずっと遠いんです。 で
中央アルプスに来てます。
夜勤の現場仕事を終えて、始発まで時間があったので、飯を食おうと思った。 選択肢は限られている。北口の牛丼屋か、南口のこれまた牛丼屋。実は北口には牛丼屋が通りを挟んで二軒向かい合っているのだが、そのうち一軒は24時間営業ではないのである。なぜ駅ごとに牛丼屋があるのか、不意に切なさが込み上げてくる。いつから日本人は牛丼ばかり食べるようになったのか、何ゆえ日本の外食産業はかくも想像力が貧困であるのか、それとも想像力が欠如しているのは消費者の方なのか。 なんのワクワク感もな
どうやら私は、豚が好きな子どもだったらしい。らしい、というのは、全く記憶にないからだが、親がそう言うのだから間違いないだろう。 曰く、「朝から晩まで、ブタブタブタ」と言い続けていた、と。 当時はメタファーなど知る由もない年齢だから、親のことをそう呼んでいたはずはない。 私が確実に覚えているのは、自分が牛好きな子どもだったことである。念のために言っておくと、幼少期の私を魅了したのは、ビーフやポークではなく(今はむしろそうなのだが)、つまり食品としてではなく、動物と
禁煙、筋トレ、ウォーキング……健康に気を使っていたはずなのに、どうして自分はひどい肩凝りに悩まされるようになってしまったのか、そんなことばかり考えている。 推測要因その1 仕事で支給されたバックパック、書類と端末でズシリと重い。こんなものを背負って、あちこち歩き回るのだから、肩には良くないはずだ。 推測要因その2 長時間同じ姿勢でいる。家にいるときは、横になって本を読むか、映画を観るか、スマホをいじっている。この時の姿勢が首と肩に負担をかけているかもしれない。
週に一度、夜勤明けの午前中に鍼灸院に通うことになった。 駅前の雑居ビルの5F、エレベーターから降りると玄関と受付があり、そこから先はカーテンで仕切られたスペースにそれぞれ簡易ベッドが一台ずつ、ズボンを脱いで用意されたベージュのスウェットパンツに履き替える。上半身は裸だから、いつも上の着替えまで用意されてる理由は不明である。 ベッドにうつ伏せに横たわり、クロワッサン型の枕の凹部に顔を凸部(鼻)を合わせる。 担当の田中先生は、マスクで顔を隠した年齢不詳の女性である
自分は根っからの文系人間だが、母は理系だし、父親にいたっては数学者である。 父親が教え子に手を出して孕ませ(今だったら大問題だろう)、堕して学業を続けるという話も出たらしいが、まあ中退して籍を入れるということで穏便に済んだらしい。そんなわけで、自分は娑婆苦の充ち満ちた世界へと生まれた。それにしても、こんな話、よく子どもに聞かせられるな、と呆れたものだ。未来の可能性は無限だなんて陳腐なことを言うつもりはないが、妊娠のせいで学問による自己実現をフイにしてはいけない、学業は終
上野博物館「法然と極楽浄土」展へ。そういえば、GW中は、大体こんな風に横になってました。
元気出せよ、生きてりゃいいことあるって……ペッパー。
「しばらくウォーキングをおやめなされ」 あるとき、ある人にそう言われた。 それは歩くことこそが最良の健康法であると信じていた自分にとって、全否定にも等しかった。 人には人それぞれの健康法があり、長年の経験に基づいて、誰もが健康に一家言を持っているのではないか。だからそれを否定されても、簡単に受け入れられないのではないだろうか。 自分にとっての健康法は、実は歩くことだけではない。腕立て伏せで体幹を鍛えることにより、フレイル(虚弱・脆弱)やサルコペニア(筋力低下)を
何年か前までは軽くジョギングする習慣があったが、真夏の夜勤明けに走っていて脱水症状が現れて以来断念した。もう無理はしない。車でジムへ行ってマシンで走ったりするのは、矛盾していると思っていたものだけれど、その考えは改めた。しかし、ジョギングに健康効果はあるのか。 アメリカにランニングを広めたジム・フィックスという方をご存知だろうか。このジョギングの伝道師は、まさにジョギング中に心臓発作で亡くなったのである。享年52歳。「激しい運動に従事する人は長生きできる」これが、彼の信