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【エッセイ】若者フォビア

 若い頃、ということは遠い昔、レインボーブリッジだか、ベイブリッジだかができたとき、そこを歩いて渡れるというので、仲間と出かけたことがあった。今思えば、モノ好きにも程がある。

 よく覚えていないが、エレベーターで車道沿いの遊歩道まで上がったように思う。で、1キロぐらい(?)てくてく歩いて、橋上からどんな景観が広がりどんな想いを抱いたのか、全く記憶にない。渡り終わったら、反対側でまた満員のエレベーターで下に降りるのである。

 今や絶滅危惧種であるエレベーターガールが何か話している。どうせ大したことは言ってやしない。下へ参りますとか、お詰めくださいとか、扉が締まりますとか、あるいは高さとか長さとか工法とか、橋のちょっとした解説か。なのに、彼女が何か口にする度に、禿頭の老人が「え? え? 何ですか? え?」と訊き返すのがなんだか滑稽で、箱の中の私たちは思わず吹き出した。

 すると(忘れもしない)彼は白くて長い眉をしかめて「年をとると耳が遠くなって、若い人にも嫌われるばかりだ」と呟いた、いや、耳が遠いせいだろう、呟きというには大きすぎる一人言だった。

 胸がキュッと締めつけられ、人がぎっしり詰まった狭い空間がシーンと水を打ったように静まり返った。橋からの眺めではなく、この年寄りの方を鮮明に覚えているのだから、おかしなものだ。

 この文章を書いていて、ああ、笑ったりして、気の毒なことをしたなあ、と申し訳ない気持ちにならないでもないが、そんなに若者から好かれたいのかと反発心も湧いてくる。もちろん、耳が遠くなるのは不自由だし、それを若い衆(とくに女の子)に笑われたら辛いというのもわかる。だからと言って、加齢で聴力が衰えるのは当たり前で、別に卑下するようなことではないではないか。

 と、そんな風に思うのは、もはや自分が若者ではなくなったからであろう(だからと言って、あの老人の域まではまだまだある、はずだ)。近頃の若い者は、なんてことは口が裂けても言ったりしない。しかしながら、街中で見かけるヤングピープルの立ち居振る舞いに(まだ白くも、長くもない)眉をひそめるよう年齢にはなった。馬齢を重ねたものである。

 若者たちの素行の一々が気に入らないのである。

 奴らは先ずうるさい。徒党を組んで騒ぐ。救い難く愚かで、恐ろしく傍若無人で、果てしなくエネルギッシュである。そろって度し難く自惚れている。そして何よりも、奴らには未来がある。いずれ確実に若さを失うことになるのだから、決して明るいものではないだろうが。

 年を食った支配層(若い妾を囲ったりしているんだろう)が戦争を始めたりするのは、実のところ若くて逞しい男への嫉妬が原因ではないのか?

 公共スペースでのヤングピープルのマナーの悪さ(たとえば、電車の優先席に股を大きく開いてどっかり座り、あるいは長い足を組んでだらしなくシートにもたれかかり、背中の曲がった年寄りや松葉杖の怪我人を前にしながら、ワイヤレスイヤホンで音楽を聴いたり、スマートフォンをいじったりして自分の世界に没頭している)に眉をひそめつつも、決して口に出して注意することがないのは、もはや若くもない自分が体力的に奴らに太刀打ちできないからだ。

 電車内で年寄りに席を譲るよう若者に注意したある役者が、半殺しの目に合うという事件があった。そう、奴らは例外なく凶暴なのである。

 それでも、近頃の若い者は……なんて口にしない。人を殴ったりしなかったけれど、かつての自分も又、たしかに無知で未熟で、人を人と思わず、バイタリティに溢れていたことを、それらの特質を失ってしまった今、初めて知ったというか。いや、未だに無知であり、未熟であるにせよ、少なくともそうであることを自分でも理解しているというか。

 そういえば、マンガ『ピーナッツ』でスヌーピーが満月を見上げながらひとり呟いていたな、例によって犬小屋の屋根に仰向けに横たわって。「かつて若い頃は毎晩月に向かって遠吠えしたものだなあ……あの頃はワイルドで無学だったけれど、楽しかった。今じゃ楽しいことなんて全然ないし、おまけに無学なままだ!」

 そんなわけで、(自分のものではない、男の)若さというものを、無条件に肯定的に捉えることはできなくなってしまった。残念ながら、老いることを肯定的に捉えられるようになったわけでは全然ないけれど。

(了)

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