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太宰の死を笑うな!

私は今、すごくしんどい。
かなしい。
耐えられないほどつらい。
何のきっかけも無く一日に何度も涙が零れる。
一日中ベッドの上で過ごしたのに心底つかれた、と思う。
何にって、
自分の人生に。
生きてることに。
何度も死を考え、時に死にたいとすら口にしてしまう。
本心は、本当に死ぬことが望みなのでなく、このまま眠りについて、もう目覚めたくないのだ。
傷付き夜中1人死にたいと涙するこの世界に再び目を覚まし生きていく気力がもう無い。
つかれた、本当に。

頭の中、私の絶望を笑った者達の名をデスノートに何度も書き殴り、
練炭自殺について思いを馳せ、ネットショッピングで練炭は買えるだろうか、七輪の様な他の物も用意すべきなのだろうか、支払いはカードなら問題ないだろうか、娘の遺体を部屋に残すのは家族のトラウマ必須、またこの家を事故物件にしてしまうので本来ならレンタカーでも借りたいけど免許持ってないし…
とまで考える程追い詰められていた。

こんな状態の私を生き延びさせているのは
「親より先に死ぬなんて、なんて親不孝なんだ」という両親への愛と、「もしかしたら、もしかしたら明日になったら世界が、人生が変わってるかも知れない」なんて長年どうしたって捨てられない希望と、単なる「死ぬのは怖い」という臆病心である。

「死にたい」と呟くくらいならさっさとひっそり自殺しろ。
そう思う人も沢山いると思う。
私も高校生まではそうだった。
死にたい死にたいと騒ぐ自殺志願者が嫌いでさえあった。
死ぬ気なんて無い癖に。
そう鬱陶しがり、自殺した者に対してもご定番の『この世には生きたくても生きられない人もいるのに』の看板を乱暴に鼻っ面に押し付けた。

ところが人生何があるか本当にわからないものである。
19歳の私はパニック障害になり、そこから気が付けば鬱病になっていた。
もう丸々5年程となる。

バイト先に足が竦んで入れない、首を絞められてるかのように喉が苦しく動悸が酷い。道中は何故か何度も吐き気に襲われる。
バイトをそんな体調不良で何度も休んだことがある。
店長へ自宅から電話をする時もあれば、勤務先の店を目の前で見つめながら、なんて時も多かった。
バイトすら普通にこなせない。
自分はおかしい。
そう思い1人布団の中泣き続けることもあれば、
その数日後、友達と笑顔で一日中テーマパークで遊んだりする。
かと思えば外での食事中、山手線の中、ボロボロに大泣きしたり、(案外、誰も声を掛けることはないものだった)
その夜YouTubeのバラエティを観て1人耐えきれず声を上げ笑ったり。
だんだん私はめちゃくちゃになっていった。

(念の為、私は昨年とある病院で脳波検査や筆記テストの結果、躁鬱で無く"鬱病"だと診断されている事をここに記しておく。)(私や担当医も躁鬱を一時は疑ったが、ほぼ1年にわたる診察を経た今も"鬱病"であるとされている。、)

話が逸れた。

今、私は専門学校を卒業した立派な成人だが、完全な無職である。
こう言うとまた死にたくなってしまうのだが、ニートでしかない。
少し前まで笑って読んでいた掲示板の、見下していた主人公と今私は全く変わらない。
「彼女がメンヘラだった」「何それメンヘラじゃんヤバww」
私こそ君たちが話してる"その人"よりよっぽど真のメンヘラだ、メンタルヘルス板で長々病歴や薬について語れる自信がある、メンヘラという言葉を聞くとそう名乗り出たくなる。

ある時は泥の様に眠り続け、ある時は心療内科へ通っているのが嘘のように毎日の様に電車を乗り継ぎ遠出したり友人とはしゃぎ回ったり毎日明け方まで創作活動に勇んだり、
そして今は、「心底つかれた、来月の誕生日を迎える前に死んでしまいたい」である。

2018年3月の私の、この先の人生の楽しみは「当たるかもしれない好きなアイドルの番組観覧」と「月末の某若手女性シンガーのライブ」、「去年から楽しみにしてた4月公開のアニメ映画公開」と「3月に勢いで予約したパーソナルカラー診断」。
これくらいだった。

大好きな羽海野チカ先生の3月のライオンもまだ連載中なのに、ワンピースでは未だ大好きなサンジ君渦中に盛り上がっているのに、銀魂が最終回へ風呂敷を畳み始めているようなのに、夏からはファンクラブにも入っている関ジャニ∞のライブツアーが始まるはずなのに。

そんな広い視野持てなかった。そんな先なんて見えなかった。

そして今も持ってないしあんまり見えない。

誕生日イブまでには死にたい、という漠然な期限は、このまま壊れたままでもうひとつ年齢を重ねてしまう恐怖と、去年体験した1つもメッセージの来ないiPhone、それを馬鹿みたいに日付が変わるまで握りしめてしまう惨めな自分をまた繰り返すのが耐えられないということ、誕生日数日前にある母と愛鳥の誕生日前に死んで折角の誕生日を沈めてしまいたくない、という理由である。

まぁ、とにかく、
4月も半ばを迎えてしまった。

この世にい続ける理由リストのライブやパーソナルカラー診断は終わった。
とっても楽しかった。
沢山笑った。
番組観覧は当たらなかった。
つい今月も応募していた。
楽しみにしていた映画は明日観に行く。
予定してなかった映画鑑賞やおこずかいを貰っての久々の遠出での久々のショッピングもとっても楽しかった。
長い間できなかった絵を描くことが、白い紙とペンを持って向き合うことすらできなかったのに、一晩にして簡単にできた夜もある。
絵が描けないならと小説執筆に挑もうとした夜もある。
それと同時に、何があった訳でもなく、「もう駄目だ。これ以上は限界だ。」と人生がつらくて泣き続けた夜もある。

今日はなかなかに酷かった。
昼過ぎ起床、夕方までは父から外出の誘いがあったがパジャマから着替える気力も何処かへ出掛ける数十分後の自分も全く想像出来ず生返事で布団へ潜った。
怠惰にスマホを弄り続け、かなしくなり涙したり天気による頭痛やストレスによる胃炎、最近発症した耳管開放症での耳の痛みに死にたくなった。
かと思えばお腹が空いて自室からリビングへ行くたび何かしら父や母と会話しては笑っていたと思う。
「この前言ってたやつでしょ」と見せてくれた好きな絵本作家さん達による展示会については客観的に見て自分で引くほどハイテンションで一方的に語りまくった。
夜は新ドラマを観て笑いながら主役を遮って喋ったり、その直前のバラエティでは流れてくる怒号にその場に居ることが出来ず部屋を逃げ去ったり、、
その後今に至るまでTwitterでTLを追う私はここ最近でも本当にやばい奴だったと思う。
しょうもないGIF画に声を出し笑っては"何コレスゴい"ツイートに泣きそうになる。
ここ3日程は本当に酷いのだ。
自分でも自分に医者を勧めたくなるくらいには。

私を死から遠ざけ、この世に踏ん張り続けられる様に、私は私にたくさんの小さな光を作った。
最終回を見ずにとても死ねない様な大好きなマンガ達、
恋人のいない私にライブハウスで、イヤホンで、全力で愛を叫んでくれるロックンローラー達、
私の知らない世界で挑戦し続けるサッカー選手、
人生を捧げてファンにたくさんの夢と希望をくれる、本物のドラマを生き様でみせてくれるアイドル、"関ジャニ∞"。

4月15日、関ジャニ∞のメインボーカルが脱退を表明した。
笑える程貧弱で我儘で贅沢者の私とは比べ物にならないくらい、旅立つ決断をした彼も送り出す決断をした彼らも見ていられないくらい眩しかった。かっこよ過ぎた。
—そう、かっこよ過ぎた。

このあとの彼らの新曲にあの吸い込まれそうに大きな目を持った彼の声は聴こえないのか、
これから始まるライブツアー、今までの歌からすら彼の声は無くなってしまうのか。
何度も本気で結婚したいと思う程大好きな、誰より"男らしさ"にこだわり、1人何も言わず誰に伝えることもなく荷物を背負いたがるグループの長男は、沢山のTVカメラの前で目を真っ赤にしてボロボロ泣いていた。

日曜、数少ない情報バラエティで急いで編集したであろうその映像を観て、
私はわかりやすくこわれた。
ネットニュースやツイートの山から必死に情報収集し、お腹が鳴っているのに目の前のチンした肉まんすら食べれなかった。
それほどの衝撃だった。
自然と誕生日後の世界を考えさせる程。

7月からのツアーをメインボーカル抜きの6人でステージへ立つと知り、うっすら一番近くの東京しか考えて無かった(あまり考えても無かった)私は、6人でのスタートになるツアー初日の札幌公演や、実際に北海道へ行くならお金や宿泊場所をどうするかについて考えた。

一夜明けても、その次の日も、嘘みたいな話は嘘ではなかった。
心身共に大ダメージをくれた出来事だが、改めて『昨日のまでの当たり前が明日も続くとは限らないこと』『目が覚めたら想像も出来ないような世界が待っていることもあるのだということ』を深く深く教えてくれた。

それって、明日になったら世界が一変してるかもって、今日まで私をこの世に引き留め続けてきた、根拠のない薄くて見えない程細い、私が今日までどうにか握り続けてきた、どんな時も決して手放せなかった、希望にもとても似ていた。

絶望は希望を裏付けてくれる確かな手掛かりの様だった。


雨の音がすごい。
寒くて悲しい夜だね。
ただでさえ気が滅入りそうなのに、その上低気圧であちこち痛いし不調である。

ここまでに私はたくさんの「死にたい」を用いてきた。
初めて死にたいと思ったのはいつだったか思い出せないし思い出したくない。
だけど、その瞬間まで、1秒前まで、私は人が死にたくなる気持ちが全く分からなかった。
「死にたい」にも種類があって、人により事情や気持ちやそれによる行動が全く違うと思う。
ただ、昔の私の様に、自殺志願者や死にたがる人、「死にたい」とあなたに口にした人をいつものアレで殴りつけるのはやめて欲しい。
『この世界には生きたくても生きられない人もいるんだよ』と…

本当なら隣で手を握って欲しい。
何も言わず暖かいお茶でも差し出して欲しい。
勇気を出してかけた電話を、どうか切らずにいて欲しい。

だけどこの世の中は沢山の考えの人間が生きてるから、恋人同士だろうが大親友だろうが家族だろうが、完全に分かり合うことがどんなに難しく、また不可能と言って差し支えないかも解ってるつもりである。

だからせめて批難したり攻撃したり笑うことはやめて欲しいとだけ願わせて貰いたい。

たった1度受験に失敗して本当に自殺する人もいれば、何浪もして最終的に本命でない地元の学校に知人友人の後輩として入学してもほとんど気に止めない人もいるだろうこと。
親が死んでも泣かない人も沢山いれば、3年前に死んだハムスターの事を思って泣く人だっていること。

暴論、朝食がパン派の人もいれば、ご飯派の人だっている。両者が戦うことも必要なければ、お互いわざわざメリットつらつら上げて、認め合う必要も無い。だって、何もしなくても両者は確かに存在するのだから。
なんなら朝食麺派もそれ以外もいるのだ。

何が言いたいか。
人の気持ちや感情は比べることの出来ないものだということ。
ただ泣いてる少女ふたりでも、理由も環境も何もかも違うのだ。
そして泣いてない少女だってとても悲しんでいるかもしれないこと。

タイトルに出した太宰治について、私が最後まで1冊読み切った本は「もの思ふ葦」1冊である。
だけど学生時代「人間失格」という作品に触れた私の周りは「太宰治はとんでもなく暗い。彼の小説を読んでるとこっちがおかしくなる。」のようなものばかりであった。
随分な偏見から入ったが、太宰治は何度も自殺未遂をしてること、心中未遂では相手の女性だけ死んだこともあることなどを知った私もしばらくは同じような印象であった。
「暗くて死にたがりな奴」

それが高校時代触れた国語の教科書の「富嶽百景」で一変する。
読み手が自分の中に入ってしまうかのような感覚で、確かに文章を読み進めているはずなのに、何故か自分の中で考え事をしている時と同じ感じがする。

そう言えば、と思い出す。
「走れメロス」も太宰治の書いたものじゃないか…!!

私の唯一読んだ「もの思ふ葦」での太宰治は、なんだかいつも貧乏で、割と行動はいつだって自分勝手で、何かに対しての怒りに身を任せたかのような文章も多数あれば、寝言みたいにぽつりと世界の真理みたいな言葉を落としてみたり、拗ねたような小さな声で、思わず息が詰まるような切なく愛しくなるようなことをしみじみと話す、とても人間くさいものだった。
元々創る側の人間として生きたい私はその本の中のいくつかの短編を手元にメモし残したし、「答案落第」という題の最後の言葉には思わずスマホで写真を残してしまう程の力があった。

—幸福は、三年おくれて来る、とか。—
(もの思ふ葦-答案落第のなかの一説であり、幸福とは何か、のような内容では無いのだが、"三年遅れて"という言葉が未来に希望をくれるようで自分の御守りとして持ち歩く為にちぎってきた言葉だ。)

今この話をするにあたって、だがやはりほとんど知らない太宰治のことを検索すると、彼が38歳の若さで亡くなっていること以上に、誕生日である6月19日を目前にした、6月13日が命日であることに少し震えた。
あなたも、これ以上歳を重ねるのが厭になったのでしょうか。
私と少しでも同じことを考えたのでしょうか。
そして遺書だという文章の中から
「あなたを きらひになったから死ぬのでは無い のです 小説を書くのがいやになったからです」
という言葉を見つけてしまい、思わず泣き笑いしてしまいそうになった。
創ることが出来なくなった私は白い紙にペンを持って向き合うことすら出来なくなり、その内ノートを開くのも嫌になってしまった。
机は埃がつもり、密かに、だが数少ない自慢で誇りだった右掌の2つのタコもほとんど消えていく。
こんな自分が一番いやでつらくて耐えられなくて死を夢見てしまう。

ただし彼と私とは明確に大きな違いがある。

私が死に近づくためにしていたのはせいぜい喫煙くらいで、これもいつからか無くなってしまった。
2階の自室の窓から庭へ飛び降りたことがあるが、それは「骨折でもしてみんなに心配してもらいたい」というよくわからない方向へ突き進んだ甘えである。
(しかもその後腰を打っただけで靴下で施錠してある玄関まで周りピンポンを押して家に入れてもらった、という滑稽極まる笑い話にもなる) (笑えない人にはありがとうと握手を求めたい)
そして冒頭の方で述べた、
「弱虫な臆病心」と「家族への心」とあるかどうかもわからないのに、いつまで経っても捨てる事のできない「明日への希望」で生き延び続けている。

本当に死にたい
本当にもう生きていけない、死ぬしかない
そう思ったことは幾度とあるが、本当に死のうと、命を絶とうとしたことはただの1度もないのだ。

そして彼が壮絶に鮮烈に生きた、ちょうど70年も後の今ですら、彼の存在がこの世界でこんなに大きいことは、彼すら想像出来なかったのでは、仮に想像していても、それを上回っているだろうとおもう。
そして私は今、死んでも70年後になにも残らない小さな島国の片隅の、ちっぽけな名も無いような存在なのだ。

比べる対象にもならない。
倫理や正悪、様々な意見は置いておいて、彼の生きた38年の濃さよ。

この文章をつくりながら、今それを実感している。少しわからないことを検索しただけでこれなのだ、彼を引き合いに出さなければ良かったかも知れないとさえ思えてくる。それ程深く深く満ち満ちているのだ、本来の運命通りで無く途中でスッパリ断たれた人生だというのに。

明日も明後日も、きっと誕生日を迎えてもこの世に生きていくであろう名も無きちっぽけな私は噛み付く。

厨二病なんて格好悪くて下品な言葉で彼を表すな!
お前に何がわかる!

そして静かに居心地悪く付け加えよう。

私もわからないけどな!!

実にカッコ悪い。
すごくダサい。
絶対没後70年後の世界に何も残らない!

ではもう少し怠惰でも居座り続けなければ。今回の人生に。


相変わらず雨音が激しいが、外から鳥の声がする。
指先もそろそろ冷えて仕方ない。
なんだか眠たいし、そう言えばお手洗いにも失礼したい。

この文の最後に、テキストの最初に置く画像を何か…と探したところこんなさわやかな晴れやかな言葉が飛び込んできたので添えさせて頂く。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。
元気で行かう。絶望するな。
では、失敬。」—太宰治/「津軽」より

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