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アダルトチルドレンに必要な性のイメージの書き換えについて考える


最近、スピリチュアル由来の体調不良に襲われた中で、一つ気づいたことがあります。

というか、前から気づいてはいたのですが、なかなか真正面からとりかかれずにいました。

もうこれは観念して向き合いなさいというメッセージなのだと腹をくくって、今回は気づいたことを深堀りしていきます。



私がアダルトチルドレンとして直面している問題として、間違って身に着けてしまったジェンダーイメージがあります。

この間違ったジェンダーのイメージによって、私はこれまで人間関係をかなりこじらせてきました。

簡単に言ってしまうと、私はこれまで

男らしさ(父性)や女らしさ(母性)に対して、ネガティブなイメージを持ってきました。



みなさんは、男らしさ(父性)や女らしさ(母性)というワードに対して、どんな印象がありますか?


私は、モラハラな父親と発達グレーの母親という家庭環境だったために、

男らしさ(父性)と聞くと、

  • 高圧的

  • 独断的

  • 支配的

  • 自己中心的

  • 上から目線で偉そう

  • 一方的

  • 冷酷

  • 理不尽

などのイメージを持ち、

女らしさ(母性)に対しても、

  • 頼りない

  • 依存的

  • 弱い

  • 無力

  • 搾取される

  • 見下される

  • 軽視される

といったイメージを抱いてきました。

両親のパートナーシップの姿というのは、子どもにかなりの影響を与えます。

自分の中の男性性と女性性のモデルは、父親と母親からくると言われています。

また、両親が不仲なことからそのエネルギーバランスが崩れてしまうことがあります。


たとえば、暴言を吐くような荒々しい父親と苦労性で犠牲的な母親のもとに生まれた娘は、幼少期から母親を守ろうとしてきたので極端に男性性を伸ばす場合があるのです。

男性性・女性性からみるパートナーシップのバランス

これはお母さんの男性性が極端に弱いので、それを補うように娘の男性性が強くなり、家族としてのバランスをとっている例です。このように親とは異なる性質を伸ばしていく場合もありますが、育った環境の影響は大きいようなのです。

男性性・女性性からみるパートナーシップのバランス

この文章に書かれたことが、まさに私自身に起こっていました。

父親が母親を見下していたように、私自身の中でも、男性性が女性性を見下すという構図がそっくりそのまま引き継がれ、

自分の中でDVが行われているような状態になっていました。

つまり、何か自分の中で感じたことや望みが湧き起こっても、

みっともない
子どもっぽい
生産的じゃない
価値がない
時間のムダ
人から笑われる

などと否定する癖がついてしまっていました。

社会的な評価や成功の定義にとらわれ、

“アンタはただ黙って言うことを聞いていればいい”と、長い間自分の中の女性性を抑圧してきました。


男性性と女性性のバランスが崩れると、パートナーシップのみならず、仕事や友人関係にも多大な影響を及ぼします。

友人と過度に依存的な関係になってしまったり、明らかにブラックな労働環境なのになかなか退職できない、といった目にあってしまいます。

恋愛面においても、相手からの好意を素直に受け取れずに不必要な好き避けを繰り返してしまい(いわゆる蛙化現象)、関係をこじらせたりダメにしてしまいます。



男らしさ(父性)や女らしさ(母性)に対してネガティブなイメージを持ってしまった場合、どうしたらいいのかというと、

それによってもたらされる豊かさに気づく、という方法があります。


ネガティブなイメージとはつまり、“奪われたことに対する傷やトラウマ”と変換することができます。

父親から冷たくされたりバカにされることで、自分の尊厳を奪われた。

母親の頼りない姿に失望することで、愛したいという気持ちを奪われた。

本来、親は子どもに愛を与えるという存在であり、子どもから奪うということは起こりえません。

しかしアダルトチルドレンの親というのは、子どもから様々なものを奪い去ってしまいます。

暴力や暴言によって傷つけたり、自分の配偶者のような役割を押し付けたり、必要な愛情を与えず放置することで、

子どもから自尊心や尊厳を奪い去ってしまいます。

そして、奪われたことに対する傷やトラウマを放置していると、様々な場面で支障をきたします。

そこで重要なのが、男らしさ(父性)や女らしさ(母性)によってもたらされた豊かさに気づくということなのです。

父親や母親をあらためて見つめなおし、

父も父なりに頑張っていたのだ
母も母なりに頑張っていたのだ

ということに気づくこと。

父は父なりに、自分を愛していたし、
母も母なりに、自分を愛していた。

また、傷ついた父親像や母親像を見直すことで、間違ったジェンダーイメージを癒すことが大切になります。

なにより、自分自身の中の男性性と女性性をまずはきちんと認めること。

これまでの人生の中でうまくいかなかったことがたくさんあったとしても、

そのときそのときで自分は一生懸命やってきたのだと、自分の頑張りを認めること。


男らしさ(父性)は、なんとか自分自身を幸せにしようと奮闘してきました。

幸せにしたい、喜ばせたい、豊かになりたいと思うが故の、

  • 高圧的

  • 独断的

  • 支配的

  • 自己中心的

  • 上から目線で偉そう

  • 一方的

  • 冷酷

  • 理不尽

だったのだと思うと、見方が変わってきます。

また、女らしさ(母性)の

  • 頼りない

  • 依存的

  • 弱い

  • 無力

  • 搾取される

  • 見下される

  • 軽視される

も、自分を信頼し愛していたが故の行動なのだと思うと、また違った角度から見ることができます。


両親のパートナーシップの挫折を、そのまま引き受ける必要はありません。

父親も母親も不幸だった、かわいそうな人だったと結論付ける必要はないのです。

たとえ夫婦仲がうまくいっていなかったとしても、最終的に離婚してしまったとしても、

自分に注がれた愛や豊かさは、たしかに存在していたのです。

そしてなにより、あなたの中にはそれぞれの豊かさがきちんと備わっています。

誰かと近い距離になったとき、アダルトチルドレンは“奪われること”にどうしてもフォーカスしてしまいます。

親がそうしてきたからです。

しかし本来健全な人間関係というのは、与え合うということなのです。

しかしアダルトチルドレンは、奪われることへの恐怖にとらわれ、自分が相手に与えていることも、相手から与えられることも見過ごしてしまうのです。

私は長年、奪われることへの恐怖にとらわれ、健全な人間関係を築けずにきました。

それはもとをただすと、自分の中に奪われることの恐怖があったからでした。

本当は、たくさんのものを与えたり受け取ったりできるほど豊かな世界が自分の中に広がっているのに、

奪われることに対する恐怖にとらわれ、人とうまく与え合うことができてきませんでした。

機能不全家庭で育つと、受け取ることに条件があるように思えたり、自分は与える資格がないかのように思い込んでしまうことがあります。

そういった一切の間違った固定観念を手放し、自分は無条件で人に愛を与えたり人から愛をもらうことができるのだと確信すること。

これが今の自分にとって必要なことだと感じています。




~おわりに~

今回、自分の中でそれぞれのイメージの書き換えをしてみました。

男らしさ(父性)は、

  • 頼りになる

  • 守ってくれる

  • 安心できる

  • 与えてくれる

  • 尽くしてくれる

  • 包容力がある

  • 癒してくれる

  • 愛して強くなる

また、女らしさ(母性)は、

  • しなやかな強さがある

  • 慈悲深く献身的である

  • 創造力がある

  • 適応力がある

  • 自立している

  • 自由である

  • 豊かである

  • 導いてくれる

  • 愛されて美しくなる


です。

あくまで一例ですが、インナーチャイルドケアの参考にしていただければと思います。


1961年に市川雷蔵さん主演で公開された映画『好色一代男』に、こんなセリフがあります。

おなごは不思議な生きもんや。
男が弁天様や思うて大事にしたらおなごは弁天さんになるし、鬼婆や思うてあしろうたら鬼婆になる。
男の気持ち次第で弁天さんにも鬼にもなるわ。

このセリフは男性が女性をどう扱うかが問われていますが、その関係性は男性性と女性性という形で、私たちの中でも起きていることと言えます。

私の女性性は、ずっと“弁天さん”として愛されたいと思いながらも、その思いが果たせず悲しい思いをしてきました。

ということでこれからは、自分の中の女性性と男性性どちらとも、癒し育んでいきたいなと思っています。



ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました😊💓


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