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#罪
50.ローマ3:15-18 神に対する恐れがない
神を認めない人間の物語の続き。結果はどうなるのでしょうか?
殺人だってしょうがない時があるんじゃないか、との考えすらあります。問題は「一緒に生きていたくないと思うほど相手の人格を無視・否定すること」です。その結果が殺人なのでしょう。
負けたくない、一番になりたい。そのような思いも、他人との関係を壊していってしまいます。
神を恐れない、神の裁きと罰の力を感じない。最終的な罰として神から
(5) すべての人は罪人 ローマ3:9−20
罪を指摘されることを喜ぶ人はまれでしょう。なおさら罪人扱いされることには抵抗があります。
聖書が明らかにしようとしている罪とは、人に対するあやまった行為のことではなく、神に対するものです。
神に選ばれた民族であると言っても罪を逃れられなかったように、すべての民族、すべての人間は、等しく、神に対して罪を犯している者なのです。
31.ローマ2:6-8 人間の行いへの神の報い
ここでパウロは、人間のどのような行為を考えているのでしょうか。殺人、姦淫、窃盗など、同胞に対して極悪な行為でしょうか?
いいえ。
ここでいう善行とは、「栄光、誉れ、朽ちないもの」を求めることです、 これらはすべて、神ご自身のためのものです。逆に、神を無視した行為は、利己的な行動になっていく、と。
神を神としてあがめない人(ローマ1:20)は、永遠の命からほど遠いのです。
それどころか、自分
28.ローマ2:2 神のさばきと刑罰を意識して
互いにさばき合っている人間の上には、もちろん神のさばきがあります。"私たちは知っている "とパウロが言う通りです。では、互いに裁き合う者たちは、神が天から自分たちを見下ろしてさばいていることを知っているのでしょうか。
たとえ口では神を認めていても、無意識にさばき合うことが習慣になされているのであれば、上から裁き、非難できる全能の神である神を認めていないことは明らかなのです。
パウロはローマの聖