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22.ローマ1:22-23 神の栄光を人間の欲望に変える
彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、
朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。
偶像とは、人間の欲望を表したものです。さまざまな偶「像」を崇めることは、人間自身の欲望を崇めることなのだ、とパウロは言います。
人間は、神の栄光を、人間自身の考えの結果に置き換えてしまったのでした。
言い換えると、人間は自分の考えだけを崇める者となった、ということです。意識せず、自分を神のようなものとしてしまっているのです。(ピリピ3:19)
この世の目に見える物事については、人間はますます知識を積み上げてきています。それを、知恵に満ちてきている、と思うようになったのかもしれません。
では、神については、私たちはますます賢くなってきていると言えるでしょうか。知恵深くなっているでしょうか。
むしろ、神に聞き従うことを拒み続けて、愚かな状態に陥ってきているのです。
考えてみましょう: 間違うことは嫌でしょうか。人にバカにされることも嫌でしょうか。神について知らないことが多いことを認めて、御言葉に聞きたいとの願いがありますか。
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