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ドリアン・ヒロセ
2023年8月30日 13:50
債務者の義務とは何でしょうか?律法の教えでは、債務者は完済するまで債権者の奴隷です。パウロも同様で、まず自分が神によって贖われ、神に買い取られた「奴隷」であることを認識していました。そして、パウロは、自分自身がすべての人の「奴隷」であることも自覚しました。だから、「負い目=負債」があると言ったのです。パウロは、自分の奉仕、つまり福音を伝えることで「借りを返す」ことを義務として強く感じて
2023年8月29日 11:53
パウロがローマに行きたいと願っているのは、ほかの異邦人たちの間で得たように、あなたがたの間でもいくらかの実を得たいから、と言います。その範はマケドニアとコリント(ギリシャ、使徒20:1-3a)の教会でした。彼らは 神に身を委ね、使徒パウロとの働きに身を委ねようとしたのです(2コリ8:1-5)。この節の「あなたがたの間に実を得る」とは、パウロがローマ人たちに、まず神に身を委ね、次に神の意志に
2023年8月28日 19:38
パウロがローマに行きたかったのは、「御霊の賜物を幾らかでも分け与え」たかったからでした。パウロに直接会うことが、ローマの教会に影響を与えるのでしょうか?彼らの交わり、交流において、贖いを成し遂げ更にいつも共にいて下さる主を信じ、愛しているパウロの人格が明らかに伝わるはずなのです。でも、パウロ自身は、自分の信仰が教会の人々の信仰よりも優れているなどと思っているわけではありません。パウロも
2023年8月28日 12:10
“神が証ししてくださる”とパウロは言います。パウロが何をどう祈っているのか、神が他の人々に対して話してくれるのでしょうか?パウロの確信は、神が祈りを聞いてくださるということ。神は、パウロの願いに関わることについてもご自身のみこころに沿って事を成してくださる、ということです。実際、パウロがローマに行きたいと計画を立てるようになったのは、神の御霊の導きがあったからでした(使徒19:21; KJ
2023年8月25日 21:31
“まず初めに” パウロは “私の神”に感謝する、と言います。パウロにとって、神は個人的な親しい関係のあるかたなのです。 “ローマの教会の神” も全く同じはず。でも、パウロは、神との個人的な信頼関係をとても大切にしていることを言い表さずにはいられなかったようです。なぜ、パウロは神に感謝しているのでしょうか。ローマの教会の信仰が全世界で語り伝えられているから、です。そんなに素晴らしい信仰だった
2023年8月25日 21:25
ローマ1章8−17節パウロがローマの聖徒にこの手紙を書いた目的に入ります。福音がパウロの人生を神の恵みに生きるようにすっかり変えてしまった、その大きな恵みを自分だけのものにはしておけない、との気持ちが溢れ出ています。当時の世界の中心地であったローマにある教会が全世界に目を向けて働きかけられるように励ましを与える力を持っているのは、神の義を啓示している福音でした。
2023年8月24日 10:31
パウロの手紙はローマにもたらされ、教会で読み上げられます。その人々に向けて、ここで最初から恵みによる神からの召しと聖さを強調しています。一般には、「聖徒(あるいは聖人)」は信者の中でも非常に特殊な人物を指して使われます。けれども、パウロはすべての信者を「神に愛され」ている人々として、また「召された」者として、さらには「聖徒」とされた人々として同じ目線で見ているようです。どのようにして私たち
2023年8月19日 18:21
手紙の宛先であるローマの教会の人々は「異邦人の中に」あると言われています。もともと聖徒とも呼ばれることがなかったわけで、神の御言葉に聞き従う生き方も知りませんでした。パウロが強調して繰り返し記憶を新たにしようと明瞭に語っていることは、その異邦人であった彼らが召し出されてキリストに属する者になったこと、つまり神の国の聖徒となったことです。このことに確信を持てていないと、この世の考え方に流され
2023年8月14日 21:52
使徒の務めはすべての民を導くことです。唯一の神が公平にすべての人々に向けて恵みを賜っているからです。慈しみに満ちた神はこの「良い知らせ」を用意してくださっています。それは、すべての民が信仰の従順を持つためでした。ある人が主に従順になるためには、どうしたらいいのでしょうか。それは、その人が主の権威と恵を信じて認めることによります。従順になろうと頑張ることではなく、信じることで心に従順さが生まれて
2023年8月14日 05:43
贖われ、イエス・キリストを主と告白し、さらには神の福音を宣べ伝えるために召されたパウロは、非常にはっきり、すべての民族にこの神の福音を伝えなければならないと理解していたのです。パウロが本当に恵みを自覚していたのは、自分が使徒として召されるには決してふさわしい者ではないと分かっていたからです。それは、パウロが以前はキリストの教会を迫害していたからでした。そんな人物が、神に愛されるなどというこ
2023年8月12日 19:35
"神の子" には二面性があります。一つは人間として、もう一つは聖なる霊としての面です。イエスの母マリアは、身ごもる前に神の使いに告げられていたことがありました。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」(ルカ1:35)神を見る視点のある人だけが、イエスの完全な神性を見ることができるのです。「神を見る視点のある人」とは