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”強み”からは逃れられない。
こんにちは。
今日は、1年ほど前に別アカウントで書いたものを転載します。
コーチングを学び、いろいろな背景を持った方々に話を聞いていた時期、たくさんの考察を書き留めていました。
その中から、どうにか人に伝えられるかな、というものだけをそのアカウントでは書いていて、徐々にそれも転載していこうとおもいます。
今日は、「強み」について。
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これができない、あれが苦手だ
というような自分の【弱み】を克服しようとがんばるけれども、なにか違和感を感じている、という人は多いのではないか。
違和感はずばり
【それってそんなに必要なのかな?】というもの。
苦手なことはできるようにならないといけない。
【みんなと同じように】
そういう教育を受けた人は多いとおもう。
私自身はどうかといえば、そういう教育を受けて、長いことそう思ってきて、そして、今はそうは思っていない人間で、
それをするより、強みをよくみて把握したほうがいいな、と感じている。
強みとは。
自分のためになること。
誰かのためになること。
いろいろあるなかで、
自分のためにもなって、人のためにもなること。
それを可能にする部分が強みだと思っている。
得意なことと好きなことはイコールではないにせよ、たいがい近くにあって
人は他人より上手にできることに嬉しさを覚える。
そこに無意識の比較がある。
自分が上手にできることと、そうできないことの比較。
同じことでも上手にできる人とそうでない人の比較。
自分はどうなのか?
頭で考える前に、体はできることのほうを好ましく思っている。
「好ましく思う」は、好きだ、と感じるすこし手前だとおもう。
好きという言葉になると、よりボールドな印象になる。
うまくできないことを、頑張ってできるようになろうと【自らする】のは、それが好きな場合だけだ。
生き物としては得意が先に設定されていて、好きは後づけなのだと思う。
得意なこと、強みは【既に】設定されているから、逃れることができない。
そういう仮説を今はもっている。
逆に、先に好きなことがあって、できるように努力するとき。
それが強みとリンクするならスムーズな上達が望めるだろうし、そうではないなら苦労するのだろうし、逆に弱みとリンクするなら、諦める確率が高くなるのではないか。
また、好きだと感じているが、得意ではない場合、好きだから努力できる期間が長くなり、結果的に能力が追いつくということはあるだろう。
私も、他人と同じようにできないといけない。
そう教わって、ずっとそう思っていた。
でも、同じようにできない自分になかなか希望を持つことができなかった。
今思えば些細なことなんだけれど、同じようにできるようになるには、道のりが長すぎると思ったからだった。
そのくらい周りが自分のできないことを簡単にやっているように見えた。
簡単にやっているように見えるからこそ、その簡単なことさえもまともにできない自分にがっかりしていたし、未来が恐ろしかった。
びっくりするほどネガティブに未来を捉えていた子どものじぶんが、大人になってコーチングのコーチをやっているなんて、びっくりしすぎて嫌いだったピーマンも飲み込んでしまうかもしれない。
どうせ同じようにできないのなら。
そんな自分は結果として、
ひとと同じことを同じようにやらない。
というところにたどりつく。
それがいつだったか明確には覚えていないものの、行動には徐々に顕れていった。
どうせ同じようにはできないという諦めでもあったし、それに対してそこまでの努力をしたくないという気持ちも大きかった。
それが楽しくなかったからだと思う。
ただ、できたらいいのにな、とは思っていたし、今でもそう思うことがある。
他人がめちゃくちゃにうらやましい、ということだってある。
ただ、そこにいく努力をやめた。
自分の意思で、他人と同じを目指す努力をやめていった。
それは、自分のためと、それから、世の中のためだった。
言い過ぎみたいに聞こえるけどそうじゃない。
「強み」について考えるようになったのは東京に来てから。
もともと他人と同じようにできる能力がないとおもっていたので、
「じゃあどうしたらいいのか?」は考えてきてはいたけれど、
携わった会社でストレングスファインダーを受けさせてもらったことも大きかったし、もっというなら、その結果に自身が大いに納得をした、というのがおおきい。
これからどうしていこうかと考えながら取り組むすべてのことが観察対象になったし、サンプル採取になった。
「今していることは、自分にとってどのくらいどうだろうか」という観察。
素材としての自分を使い切る
自分になにができるのかということはそれまでも考えてきていたけれど、
その会社で働かせてもらって、得られたのは、
「自分が何をすることがいちばん世の中のためになるか?」という視点だった。
自分を変えようとしないというか、必要な努力はするけど「他人にならなくてもいい。」という結論を出せたのは、
「強みを活かせ」という方針のなかで、自分の優先順位が再設定されたからだとおもう。
すると、それまでよりもっともっと、考えることが具体的になった。
それまでも、料理やコーヒーを仕事としていたから、素材や豆(コーヒー豆)の特徴を知って、持ち味をどう活かすのかという考えかたを自然にしてきていたし、
カフェのコンサルティングをやってチームをつくるときには、(本当に申し訳ないけど笑)それぞれを野菜とか豆のように見ていた気がする。
(もにゃもにゃしてるし、なくてもいいように思うけど、それがないとなんか違うという、うずら豆みたいな人は実際にいる。)
特に慢性的な人員不足のある業種や業態では、チームづくりは《まかないづくり》になる。
冷蔵庫にあるものでつくる。
わざわざ買い物になんて行かない。
あれがなきゃ作れませんなんて言えない。
その能力がないと言ってるようなものだから。
このメンバーでなんとかやるのだ、という状況。
そんなふうに、持っているもののうち、何をどこ(誰)にどんな形で、どう出せば、
つまり、自分という素材をどんなふうに使ったら、いちばんパフォーマンスが高くなるか?
ということを考えていて、いまはどこかに属すというよりは、個人としてその相手と組む、ということが増えているため、
「自らが得意なことであり、現場のメンバーにとってはむずかしいこと」
を担おうと考えて動いている。
それは誠実さとイコールだと結論づけたから。
グラデーションをつくる作業を。
属するチームや会社に対しての自分だけでなく、
社会や世の中に対しての自分、という大枠で捉えなおしたら
苦手なことをがんばる、という時間の使いかたは、できるかぎりやめよう、とおもった。
意味を見出せないというか、そこをがんばるのは違うんじゃないか、という結論になるほうが結果的に速かった、という感じ。
その時間があるなら得意なこと、自分が他人より得意なことを出していく、そのために(限られた)時間を使うべき、というふうに落ち着いた。
時間をかけていろんなことをやってみたからこそ、そこじゃないところのほうが、自分を活かすことができるとわかったのだとおもう。
好きとか好きじゃないとか、できるとかできないとかのグラデーションは、トライすればするほど細かくなる。
これは、やっていないことはスクラッチみたいに隠れていて、削らないと何色かわからないみたいな話で、
本当はオレンジや黄緑のところで活きる人なのに、赤か黄色しか知らないからこっちもあっちも違う、というような。
イチョウはみどりときいろって同じ色だよねっていうくらい、見事なグラデーションで、どこから分かれているかほんとうにわからない。
人の性質だってほんとうはそうなんじゃないかっておもう。
はっきり分かれているわけじゃないからこそ、【ちょうどいいところを選ぶことができる】
グラデーションが明らかになっているほど、自分に合うものを選ぶ確率はあがってくるとおもうし、それがもっとあがると、自分に合う選択肢を《つくれる》ようになるとおもう。
逃れるのでなく、選ぶ。
実際には得意だけどしたくないこともある。
得意である以上は他人からの要請を避けられないこともある。
でも、それもできるだけやめていこうとおもっている。
いくら得意でも、したくないことは頑張れないから。
したくないことを仕事や役割にしてしまうと、うまくいかないときに
それが向いてないのだ、その場が合っていないのだ、とやめる方向に考えてしまう。
だって、本心ではしたくないと思っているから。
結果、モチベーションはあがらず成果も出せない。
得意で、かつ、自分もしたいと思えることをする。
これがいちばん、人の役に立てる。
なぜなら、うまくいかないときに
【どうしたらできるか?】
と考えるようになるから。だって、自分もしたいことだから、
それを続けたいから。だから、どうにかしてできないか、という発想になる。
現場に必要なのは成果につながるこういうスタンスではないだろうか。
引き受けるべきは、そういう部分なのだと思う。
強みからは逃れられない。
弱みからも逃れられない。
だから、逃れなくていい。
ただ選べばいい。
もって生まれた得手不得手が先にあって、それを変えることは【あまり】できない。絶対ではないとは思うけれど。
ただ、それを(変えることを)「したいかどうか」は考えてもいいと思うし、選んでいいと思う。
自分を根本から変えてしまいたいのか、自分という本体のままもっと活かせるようなやりとりをしていきたいのか、ということ。
諦めでもあるし、そこを諦めてからの希望でもある。
そんな考え方の提案をしていきたい。
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今日は、「強みについて」の記事でした。
1年ほど前に書いたものの転載でしたが、今も同じように考えています。
読んでいただきありがとうございます。
やれることはまだまだあるのに、なかなかおもうように進みませんが、日々がたのしいと感じられるのはうれしいことですね。
フリーのコーチ、バリスタ、COOKをしています。
個人の活動や考えは主にnoteで発信しています。
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