選ぶことと断られること。
こんにちは。
今日は「断られる経験」を得ることについて書きます。
成功体験の重要さについてはよく聞かれます。
自信をつけるには、ちいさな成功体験を重ねよう、という話。
とてもよくわかるし、そのとおりだとおもいます。
そして、同じくらい大事なのが、出来事としては真逆ながら「断られるという経験」だとおもうんです。
よければお付き合いください☺︎
反応、への反応
「成功体験」を得ることについての指南や、記事など、成功というものが何かはわからずとも、多くの人が目指す先となっているのは、書店などに行くと感覚として掴める気がするのですが、
断られる経験についてはあまり言及されていなくて、なんだかバランスの悪さを感じていたんです。
断り、は、自分が望む何かに対して、NOを出される経験。
自分を資源として何かをするとき、成功体験以上に、これが必要になると考えています。
なにかを選ぶとき、自分の判断に自分が賛成できること。
それには自分のなかで、自分が選んだものに価値がある、という結論になれることが必要で、
このベースには選んだものを認められた経験や喜ばれた経験があり「自分が出したものの反応を知る体験」のポジティブな面が作用しています。
そして同じもののネガティブな面が「断られる経験」で、同じ素材のもてるちがう《反応》だとおもうんですね。
この断られる経験が特に必要になるのが、自分が出してみたものが「選ばれなかったとき」の、その後だと考えています。
世の失敗への(拒否)反応や、必要以上に避けられるとどうなるか、ということを興味深く観察していて感じるのは、
「断られる経験が減ると、それに耐えることができなくなっていくのではないか」ということ。
《断られることへのタフさ》
みたいなものが、レジリエンスという言葉には含まれていると感じます。
「おもしろさ」 と 「わからなさ」
無意識に失敗を避ける、ハズレないほうを選ぶというか、
「知っているものだけを選ぶ」みたいなことは日常にもありますが、無意識に(自分の希望ではないが)「断られる可能性が低いほうを選んでいる」自分に気がついてハッとするときがあります。
自分の出したいものや伝えたいことや、試してみたいこと(目的)とズレていなければいいのですが、ここはすごくトリッキーで、自分でも気が付かないうちに、すり替わることが多いと感じているんですね。
(気づけば、あ、ちがうわとなれるけど、気づかないから修正できないデンジャーポイント)
「やりたいこと(目的)」からズレて「受け入れられる」ことが優先になってしまう、ということですね。
すごく規模がちいさいことで恐縮ですが、自分のことで説明しますね。笑
私はバリスタと調理師とコーチングのコーチの全部をやりたくて、ひとつに絞れない困った自分の面倒をみるために、いまはこんな感じで活動しているのですが、
そのなかに、ストラクチャートーストの朝食会というのがあります。
オーストラリアで料理の仕事をしていたときの、素材自体をどう活かすのかという考えかたとそれに基づく構成のメニューが好きで
「調味料で味をつくる」のではなく、素材の掛け合わせで味をつくる、というのがやりたくてはじめました。
前回「ぶどうとトマトマリネ、キュウリとボッコンチーニ」というのをやったんですが、企画を出してから、なかなか予約が入らない時間というのがしばらくあって、そういうとき、
「受け入れられていない」かもと感じるんですね。
この企画ダメかもな、とおもうタイミングって、みんなあるとおもうんですが、「受け入れられること」が目的になりやすいのはこういうときかとおもいます。
というのは、
たとえば、エッグベネディクトや、パンケーキといった朝食っぽいものというか「世間的にある程度結果が出ているもの」を出せば、受け入れられる確率も上がるのかな、というのは、いちおう自分も考えることはできるんですね。ただ
それらが自分の「やりたい」ことで「自分がやることの、自分なりの意味づけはこれ」という落としどころを見つけることができるなら、やれるけど、
「どうしてそれがやりたいのか」が答えられないものや、それが自分の中から出てきた動機ではないものだとしたら、やっぱり(自分のコンテンツとしては)出せないんです。
甲本ヒロトさんが言うところの (24:50あたり)
「自分はおいしいと思っていないけど、売れるからつくる。それってプロなんだろうか」
みたいになっちゃうからですね。
こうしたら売れるだろうしウケるだろうけど、
「やりたいことってそれなのか」
ということ。
この判断をするには、というか、そう感じる自分を守るには、
《断られる可能性への許容》を自分のなかで持っていないと、やっぱり難しいとおもうんですよね。
諦めと希望の条件
じゃあその許容は何かというと、実体があるものではないんですけど、
諦め(ダメなら仕方ない)と希望(ダメでもいい)この2つの要素でできているのかな、とおもいます。
諦めに必要な条件は2つあって
「これがやりたいと本当に感じていること」
「それに対して自分が頭をしぼっていること」
希望に必要な条件は
「実際の結果が得られたこと」
「それを活かして次にトライできること」
どんな結果が出ても、現時点でのベスト(ちゃんと頭をしぼって考えて手を打ったこと)に対して世界が応えてくれること。
たとえボコボコだったとしても、これはやっぱり、結果というより《成果》なんです。
前述の朝食会は《提供》ではなく《ワークショップ》というスタイルにしています。
双方向性のやりとりが好きだからというのもありますが、
体験をするにはその場に来ないといけないし、わざわざ来てくれるひとが何を考えているのかを知りたいというのもあります。
メニューも特にベジタリアンやヴィーガンを推したいわけではなく、見た目だったりあたらしさのようなものは、気にはするけど味より優先するということはありません。
大事にしているのはちゃんと食べものとしておいしいこと、「おもしろい」と感じてもらえる点がつくれているかどうか、そして
「こういうのあるんだ」とか「今度違う形でやってみたいな」とか、参加してくれた方の「選択肢」が広がるといいな、という希望があります。
知らないことを知るのってたのしいし、それって軸やポイントを変えることでお互いに提供しあえる大事なリソースだとおもうんです。
そんなふうに自分をつかうというか、できることとチャレンジポイントとのバランスをとって
「やりたいこと」を「やりたい形」でできるのかな、というのを「可能なサイズで」試している最中なんですね。
主張というほどのものではなく、感じてくれることはこの方向であってくれたら嬉しいな、という程度なのですが
(あくまで自分がトライを続けるために)狙いをもつこととその反応を得ていくことが大事なのかなと感じています。
伝える必要は必ずしもなくて、ただ、もっていることで勝手に伝わる部分があると信じているところはあるかもしれません。
自分が何を伝えたいのかってことを、自分で知っていれば、伝わるとおもう。
言っても、言わなくても、
あくまでも、伝わる範囲だが、伝わる。
ポジティブでもネガティブでも、そのくらい人の行動には気持ちが乗っているとおもう。
自分が伝えたいことをもっていること以上に、それを伝えたいとおもう理由を知っていることで理解に近づく。
メモ帳より。
挑戦の両輪
断られる経験を重ねると、断られることに慣れていきます。
断られることのなかにある、自分への不信や無力さを感じることに慣れていく。
自信をつけるには成功体験を重ねよう、というお話はこれで、自分に対し信用を増やしていくために、できたという体験を重ねましょう、ということだとおもうのですが、
それ「だけ」にフォーカスしてしまうと、それ(できたという体験)「しか」許容できなくなるんじゃないか?と感じていて、
いや、そんなことはないんですが、ただもうすこしだけ「両方ある」という視点もあっていいんじゃないか?と。
断られる経験を重ねることで「断られることへのタフさ」が育っていくのは、断られたけど「結果的には大丈夫だった」という体験がついてきてくれるからで、
これは「取り返しのつかないことは(そうそうは)ない」というのを少しずつ自分に教えていってあげることだとおもうんです。
受け入れられる経験と、受け入れられない経験の両方があって初めて、
○ 自分にできること
○ 自分にできないこと
が見えるから
○(だから)必要なことはこれ
という方向の精度が上がるんじゃないかなと。
できた、ということで得られる信用と、「ダメだったけど何とかなった」ということで得られる信用と、両輪で積み上がると強いんじゃないかなっておもっていて、これは
どちらの結果に対しても、納得感をもちやすくなる。
ということだとおもいます。
自信って積み上がるポイント制みたいなところがあるとおもうんですが、うまくいったときにしかポイントがつかない、というルールより
うまくいってもいかなくても、ポイントがつく、というルールを採用したいなとおもうんです。
(できることと、できないことの)両方の情報が増えて、
体験から自分の特性を知って使いこなすことが上手になっていく、より適切に次を選んでいけるという点で楽だし、より自分になる、という軸でみると
どんどん良くなっていくしかないんじゃないかとおもうんですね。
(言い過ぎ?)
冒険の定義
これはやはり自身の体験から得た感覚で、
ソフトに断られる経験をたくさん積んだのがよかったのかな、とおもうことがやっぱりあるんです。
数ヶ月単位で移動しながらいろんな場所で、「はじめまして」から始める派遣の仕事をしていた時期などは特にそうで、
短期間の就業だからこそ、自分に対して何も期待されていないことがはっきりとわかるというか、労働力としてしかみられていない。
存在自体を認められてはいる、そこにいることを許容されてはいるけれど、受け入れられていると感じられるかどうかは案件によってマチマチでした。
それがいいとか悪いの話ではなく、そういうことを現実として突きつけられたことがある、ということ。
何かを期待されることのない存在になったり、いてほしい、とおもわれない時間を過ごすこと。
そういうヨソモノ体験を繰り返すことによって、
自分の行動の評価が相手の文化によって決まることがあること(それがどれだけ心許ない基準だとしても)や、
自分は大したことない存在なんだ、ということをきちんと知ることができたことは本当によかったとおもいます。
とるに足らない存在、だけど同時に、いてもいい存在、というのが分かれていないというか、切り離せないどちらも本当のことだと知ることができたから。
どっちもなんです。
自分が大したことない存在だと感じられる機会が足りないと、
「なぜ受け入れられないのか」「なぜ理解されないのか」みたいな(負の)感情が前に出てきてしまって、これが誰より自分の足を引っ張ることになるとおもうんですね。
これはたぶん自分以外に原因を見つけようとしているからで、
「(自分に原因はないのだから)自分にはできることがない」と結論づいてしまうから。
自分以外のところに期待したり頼ったりするしかなくなるという意味で、コントロールがきかない不便さが生まれてしまうからではないでしょうか。
一方で、
(うまくいかないこともあるが)いてもいい存在、というのも知っていないと、日々を過ごしていくことが難しくなります。
うまくいかないことと無関係ではいられないからです。
で、この不可欠な両方の体験をコンスタントに得るために、冒険がやっぱり必要なんだな、というのが最近の学びとしてありました。
an exciting and unexpected event
これが自分の考える冒険の定義なんですね。
(出典が見つからないんですが、ちゃんと「Adventure」で調べて出てきた意味で、調べたのがオーストラリアにいたときなんですが、当時渡航したきっかけのひとつが、まさに「日本にいると予測できないことが起こらない」からだったんです)
冒険の条件は、ワクワクすることと、予想ができないことなんですよね。
「これには価値があるとおもう」ということを出してみることは、
Excitingなことで、その結果には ちゃんと unexpected(予測できないこと)が含まれているということ。
これが企画という冒険の中身なんでしょうね。
受け入れられない、というと悲劇っぽい響きがありますが、
これは《自分自身》が受け入れられないということではありません。
あくまで自分の出した《コンテンツ(価値としたもの)》が受け入れられない、というだけの話なんです。
ここを切り離すことができる、きちんと分けて理解しているというのは大事で、それがないとうまくいかないときのダメージがおおきくなってしまう。
だから、危機回避という意味で、断られることからどんどん距離をおいてしまいます。
たしかに断られることは受け入れ難い面もあるし、つらいフィードバックは傷つきかねない、心情としては一旦ネガティブには違いないけれど、少なくとも反応を得ることができます。
もしも、自分の考えや、価値とするものをどこかに出してみて、誰かとそれをシェアしたり、受け取りあったり、議論したり(ざっくり言うと”表現”ということかとおもいます)
そういうことをしたい、と考えるのであれば
全員に受け入れられるということはやっぱりないのだから、ここは自分で扱いを学んでいくしかないし、自分の中に、タフな部分として育てていくしかないとおもうんです。
今日は「断られる経験」を得ることについて書きました。
読んでいただきありがとうございます☺︎
自分が大したことない存在であることは変わらず、だけど、それでもいてもいい、ということも変わらない事実だから、どっちみち大丈夫なんだ、ということ。
何かができるから、変化を起こせるから、影響力があるから、だからいてもいい、というわけではなく、
そことは関係がないところで、いてもいい。
そう感じられることを、他の人がどのくらい欲しているかはわからないけど、
自分にとってこの感覚は「もつことができてよかった」と感じられるものです。
自分でこうすると決めたことを、実際に自分の手や足でやってみることができる、というのはやっぱり自分を癒すとおもうし、相手があっての出来事で落ち込んだり、つらさを感じることがあったとしても、
そこへの自分の対処に納得ができているというのは、大事なことだとおもいます。
予測ができないことが起こりにくい母国から出ることはまだ難しそうですが、日常に冒険をプラスして、たのしさとあたらしさを見つけていきたいです。
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