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動機に理由なんて、いらない

はじめに

あれは2年前の春のことだった。
俺は、一浪の末に現在通っている大学に合格した。

高3からここを第一志望として目指していたので、本当に嬉しかったのを覚えている。

母親は泣いて喜んでくれたし、父親は俺以上に喜んでいた。

実を言うと…
今通っている大学の他にも、それよりちょっと偏差値の高い大学にも合格していたのだ。

でも俺は、今の大学を選んだ。

だから思い出す。
周りから耳タコのようにこんなことを言われたのを。

「なんでそっち行かなかったん?」
「お前アホやろw」


友達にも言われたし、親にも言われた。

当たり前だろう。
普通は偏差値の高い方に行きたがる。だってそっちの方が将来的に有利だから。

でも俺は、決まってこう言っていた。

「〇〇(現在の大学)に行きたかったからだわ」


理由はない、行きたいからだよ

そう言うと決まってこう聞かれた。

「なんでそんなに行きたかったん?」


だから決まってこう返した。

「特に理由はねぇ。 "行きたかったから" だわ」


本当に理由なんてなかった。
大学に行って勉強したいことなんて別になかったし、入りたいサークルも特になかった。

強いて言えば
緑の多いオシャレなキャンパスに一目惚れしたからとでも言っておこうか。

でもそんな単純な理由だ。

「この学部に入って〇〇の勉強をしたい」みたいな、かしこまった理由なんてこれっぽっちもなかった。

まぁそもそも
その偏差値の高い大学は受かると思ってなかったし、はなから行く気がなかったというのもあるのだが…


理由に縛られすぎるな

我々は
何かを始める時や行動する時に、理由を探したがる。

「なんでそれをやりたいんだ?」

「どうしてそれがすきなんだ?」


でも
理由に縛られすぎると、行動に移せなくなってしまう。

きちんとした理由がないと行動してはいけないという思考になってしまうのだ。

大事なことだが
行動するのに理由は絶対必要なものではない。

「やりたいから」

「楽しそうだから」 
 
「面白そうだから」

「ちょっと気になったから」


こんな理由でもいい。
カッコつけた理由なんていらないよ。









自分の心に素直に従うのも、たまにはいいだろう?







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