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エッセイ

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若林さんのドロップキックは美しい

若林さんのドロップキックは美しい

先週のひなあいで若林さんが春日さんにドロップキックしていた。若林さんのドロップキック久々に見た。
若林さんのドロップキックは美しい。動きに無駄がひとつもない。打点が高くどの場面を切り取っても絵になる。膝のことは心配だけど若林さんのドロップキックをいつまでも見ていたい。
じじいになっても春日さんにドロップキックしていてほしい。「おーい!蹴るなよ!」と今よりもっと目尻の皺がくっくりしたじじいの春日さん

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水を飲んでおいしいと思えたらそれで今日はいいや

水を飲んでおいしいと思えたらそれで今日はいいや

サカナクションの山口一郎さんが鬱病の闘病をしていることを知ったのは昨日だった。突発性難聴を患っていたことは知っていた。ヘルニアもかな。あと、何かの病気でサカナクションの活動が止まっていることも知っていた。
(NF OFFLINEで歌った「忘れられないの」が好きで“文章を書きながら聴く音楽リスト”に入れてある。)

確か先月くらいだったと思うのだけど「あれ?山口さんって何の病気で休んでたんだっけ?」

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未来を見つめるKHさんの瞳

未来を見つめるKHさんの瞳

日本で生き残る選択をしたKHさんとSOMちゃん

という記事をnoteで書いたのが2022年の12月なので、1年半くらいの月日が経った。

KHさんたちは日本に住みはじめて2年目に入るらしい。
吉祥寺でお花見デートをしている動画がYouTubeにあがっていた。SOMちゃんかわええ。

わたしは今年桜をまだちゃんと見れていないので2人の方がよっぽど日本人らしい行動をしている。

KHさんは仕事がある

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No one compares

No one compares

わたしは歌手として東京ドームに立つのが夢でした。

先月のいつくらいだっただろう。母親に「今日カラオケに行ったのよ」と報告された。
「お父さんと?」とわたしが聞くと少しだけ照れくさそうに「そう」と言った。

「何か歌えた?」と聞くと、ポケットから小さいメモ用紙を取り出してわたしに渡した。
そこには10曲ほどの曲名が書いてあった。母と父がそれぞれ歌った曲と一緒に歌った曲だ。(何の曲が書いてあったかは

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腐りかけのわたしと橋本奈々未さん

腐りかけのわたしと橋本奈々未さん

家族(両親)との関係はそれほど良くない。高校を卒業してすぐ実家を離れ、10年間外で好き勝手に暮らした後に精神を壊して帰ってきたのだから良好な関係を築くのはなかなか難しいだろう。

帰ってきたばかりの頃、わたしはずっと寝ていた。たまに起きるとチョコレートを大量に食べて、体重は45キロくらいしかないのに奇妙にお腹だけ張っていた。戦地にいる栄養失調の子供のようだった。

わたしはベッドでじっとしながら天

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おたけ

おたけ

わたしがアイドルという職業の人で初めて好きになったのはKinKi Kidsの堂本剛さん。2人目は元乃木坂46の伊藤万理華さんだった。
わたしはスタンスとして「推し」をたくさん作ることをあまり良しとしないので、小学生の頃から堂本剛さん、2016年頃から伊藤万理華さんを推していて、この2人以外を「推し」と認めることはないんだろうなぁと思って過ごしてきた。

堂本剛さんと伊藤万理華さんにはなんとなく共通

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「春子さんへの手紙」

さっきパソコン内のWordファイルを整理していたら、友達からもらった手紙の返信のデータが残っていた。
「〇〇さんへの手紙」というタイトルで日付は2020年12月9日となっている。

果たしてこの手紙、わたしはちゃん返事したのだろうか?
すぐ記憶を失くしてしまう人間なので全く覚えていない。本人に聞くという手もあるがさすがに失礼すぎる気がする。わざわざ手書きで書いてくれた手紙の返信をしたか覚えてないっ

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Have a good die

Have a good die



生きていることについて、或いは死んでいるということについて考えている。
わたしが7歳から23歳になるまで飼っていた愛すべき家族であり友達だった愛犬パグ(犬種ではない。名前がパグ。犬種はビーグルと何かのミックスだった)のことを思い出しながら。

〈以下は2018年2月27日にnoteで書いたエッセイです。後々また2024年のわたしが登場します〉

僕の生きる道わたしの一番好きなドラマである『僕の

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東京ドームにいた灯台たちに

オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームが終わって一週間と一日が経った。せっかくなら何か感想を残したいなぁと思っていたが、何を書いても蛇足になってしまう気がして筆が進まなかった。

24日のオールナイトニッポンの春日さんの遅々たるトークをもって「余韻終了」の報が若林さんから発表された。
さみしいけれど、若林さんの声のトーンがいつもより明るい気がして、東京ドームを大成功で終えた安堵と前々からス

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オードリーと東京ドームとわたし

オードリーと東京ドームとわたし

記憶が確かならば、わたしが東京ドームにほど近い場所に位置する音楽の専門学校に通いはじめたのは2008年。

最寄りの駅名は「春日」だった。

〖歌が人よりちょっと上手い〗ことが、ちびっこの頃からわたしの唯一の自慢だった。
でも、人見知りだったので人前で歌うのは恥ずかしくてできなかった。

「才能」というのは不思議なもので、とくに努力をせずとも、わたしは音程を取れたし色んな声色を使えたし、ビブラート

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どうでもいいことばかり考えている

どうでもいいことばかり考えている。
昨日夢に初恋の人が出てきた。彼女の名前は「美穂」で小学校から高校まで同じ学校に通っていた。小学生の頃はスイミングスクールも同じ場所に通っていた(もちろん偶然)。しかし、わたしが一般コースだったのに対して彼女は選手コースだったので、練習で一緒になることはなかった。が、すれ違うことはあった。
選手コースは一般コースのあとに時間割が組まれていたので、練習を終えて着替え

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9月8日 誕生日はだいたい雨

わたしの誕生日はだいたい雨だ。
だいたい雨だし、もう少し肌寒かったと思うのだけど今年はずっと馬鹿みたいに暑かったですね。
誕生日当日の今日だけ帳尻を合わせたように雨が降っていて、ちゃんと肌寒くて、少しだけ嬉しくなった。

35歳はどんな歳だったかしら。網膜剥離に罹ったのが34歳の春だから、当然のことながらわたしの右目は35歳になってから一度もまともに景色を捉えることなく終わったことになる。もちろん

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6月8日 今日はロバの日

今日(6/8)は遠藤さんの誕生日だ。
遠藤さんはわたしが19歳の頃にバイトをしていた回転寿司屋の隣にある持ち帰り専用のお寿司屋さんでバイトをしていた一つか二つ年上の女の子だ。
遠藤さんの下の名前も顔も忘れてしまったが、何故か誕生日だけ覚えている。
当時「ロバの日だな」と思ったのを記憶している。

同じ系列のお店だったので、仕事中たまに遠藤さんのいる店に行くことがあった。

「シャリが切れそうなので

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3月12日 わたしのブラッシュアップライフ

スマートフォン用のイヤホンが壊れてしまったので初めてBluetoothイヤホンを買ってみた。ワイヤレスイヤホンの良し悪しが分からないのでとりあえず2000円くらいの安いやつをお試しで買ってみた。

実際使ってみると、ベースがよく聴こえ、おお、こんな安いのにローが聴こえるなんてすごい。いい買い物をした、と最初は思ったのだけど、しばらく聴いていると、ほとんどローしか鳴っていないことに気づいた。
ローが

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