同質言及への気付き - 報道のガイドライン
先日(昨日以前のシリーズ記事『座席は、おしりの 幅ですよ。』のintroductionの回の冒頭で)、『五月病』という言葉を軽々しく用いました✍
今回は、人々が思う以上に、配慮しなければならない類なのかな、というニュアンスも含まれる話題となります。
掲題、『報道のガイドライン』というものの存在や内容について詳しくは知らない者としての言及であるという前置きをしつつ、同時にその点を充分意識した上で、ですが、報道番組でどのような取り沙汰をするのか、という懸案について、気になっています。
今般、とある情報番組(テレビ)でニュースが報された際、コメンテーターとして出演されていた某・教育評論家が見解を述べた、という話を見掛けました(つまり、当方はネット記事を見掛けただけで放送は視聴していません)。
著名人に関する”突然の報せ”が今月に続き、【報道メディアによる取り沙汰】に関する批判というか「苦言を呈した」「釘を刺した」というニュアンスで提起したとのこと。
《韓国では言葉選びにも厳しく”極端な選択”という表現で和らげる》《世界保健機関(WHO)のガイドラインでは『手段や場所の詳細を伝えない』》等を挙げ、報道の受け手へ及ぶ様々な影響を念頭に、『すごく気を使いたい』『特に若者とか子どもたちに』との姿勢・発言をしたようです。それの主旨について改めて明示しなくても伝わるのだと推測します。
そして、SNS等で「素晴らしい」との称賛が多く見られたらしいです🙉
ここで明確な語句を記すことは大変憚られるのですが、”連鎖”への危惧が主軸にあるのだということは、本稿をご覧の方も察知されているのだと思います。
その点で。「素晴らしい」・・・🤔
本質思考です☝
上記の”危惧”の観点から、であれば、どのような「呼び掛けニュアンス」が含まれていたとしても、「結び方」であっても、また『報道のガイドライン』を遵守していたとしても、
採り上げること自体が既に…
となりませんか?
コメンテーターも、あくまで〔伝える側〕なわけです。
「ドライな報道とは雰囲気が違った」「発言内容や立ち位置が特異だった」を問わず。
「いや、そうなれば、”報道”の意義自体が損なわれる」となるでしょう。そうかもしれません。なので、『最低限の事実のみ』となりますか(~_~;)
それを超えての深さのライン/線引きというものは、どのメディアのスタンスであっても、既出のコメンテーターの配慮深さであっても、《危惧されている「受け手」への影響度》というものは同等/たいして差は無い のでは?と思います。
”気付き”ポイント、お分かりになれますか?
《「報道に際しては気をつけろ!」というコメントを報道番組に出演して(しなくても、ですが💦)発すること自体》が本質的には類似の効力を放ってしまっているのでは?というところ。本質的には、加勢・加担の一例。
受信者の感度や周知きっかけについて、「これなら平気」を発信者側で決めることはできないということ。影響が及んでしまう側の気持ちや真の状況は当の本人にしか計り知れないということ。
※(海外にいらっしゃるなど)大元となったニュースについてお聞き及びで無い方がいらしたら、主旨が一層掴みにくい言及に留めてしまっている点をご容赦願います🙇
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