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よそじの台所から【休みの食事 と 休みのこと】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

土曜 日曜 月曜と、3連休だった。
相変わらず出かける予定はない。
何かしようにも、根っからのぐうたらで「これ食べてから」「あれ飲んでから」「やっぱり明日」と先に伸ばして、いつの間にか瞼が重い。

眠気に逆らわずにいると、21時か22には消灯している。
「眠気に逆らわずにいると」と書いたものの逆らうことは、ほぼない。
この睡魔を逃すと次の睡魔は早朝。そして寝不足。
だから素直に寝る。身体のいうことをちゃんと聞く。

日曜日は朝から、昨日図書館で借りた本を持って、イートインコーナーのあるパン屋へ向かった。
モーニングセットの飲み物は冷たいものと迷って、結局ホットのカフェオレを選んだ。
店の1階でパンとカフェオレののったトレーを受け取り、2階のイートインコーナーで食べる。

先客は5人程度。端のテーブルで壁に寄りかかりながら、のんびり読書・・のはずが、あまりにエアコンが寒くて早々に退散。
せめてカフェオレをホットにしたのは正解だったけれど、上着も必要だったな。と、後悔。
電車もお店も、若い頃には「涼しい」と感じた温度が、今は皮膚にしみる。

家に帰ってもやることはない。
1人分の掃除、洗濯、炊事なんてあっという間に終わる。
そんなことには動けるけれど「それ以外のやりたいこと」には
「(やりたいことが)あるにはあるけれど、動けない(やらない)」
のぬかるみに足をとられて、一歩が出ない。

家事はなぜ怠けずできるか、と言えば「やらないと不快」だから。でも
やりたいことって = やらなくてもいいこと
だから動けないんだよなぁ。と、50歳間近になっても小学生夏休み後半のような言い訳は変わらず。40年前と違うのは、視線の先にあるものが漫画から動画に変わったことくらい。
それにしても、近頃のわたしはほんとうに好奇心が空っぽだな、と思う。

ときめき、みたいなものも非常に少ないな、とも感じる。では
「もともとあったものが減ったのか」と考えてみると、いや・・そうでもない。でも以前は「何かしなくちゃ」が、もっとあった気がする。
好奇心やときめきが・・というよりも、なくなったのは「しなくちゃ」の方なのかなぁ。

そういうキラキラしたものが自分のどこを探しても「ない」のに、気分の落ち込みはない。ということが不思議だったけれど
「しなくちゃ」とか「ないことが悪」がなくなっただけ、なんだったら「そうか」と納得ができる。
むしろ以前の方が鬱々としていたなぁ。

今の状態を例えるなら
「ただひたすらに、平らな道を歩いている」感じがある。
登るという目的もなければ 下るというストレスもなく、何かを達成した(したい)という高揚もなければ、しなかった(できなかった)の落胆もない。
ただただ穏やかで、ひたすらに平和。

あれ、これがもしや・・・

「幸せ」という状態・・・なのですか・・???
なんか、思ってたんとちがーーーーう!


〚before〛

と、いうわけでして、日曜日は部屋を改造。
やりたいときにやりたいことにすぐ手を付けられる、名付けて
「リビングアトリエ大作戦」

〚after〛

ミシンやお絵かき読書。
やりたい時にやりたいことが、それに必要な道具にすぐ手が届く。
そういう環境に模様替えをした。

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