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つづれ織りのような人生と文章——パスカル・キニャール『約束のない絆』【書評】

拝啓

東京も明日は雪が降るというのに、今日は穏やかな青空がひろがっています。暖かさにくるまりたい。

久しぶりに、心が揺さぶられる小説を読みました。衝き上げてくる感じとでもいうのでしょうか。パスカル・キニャール『約束のない絆』です。『めぐり逢う朝』とどちらを読むか迷いました。でも、逆説めいた書名がどこか心に引っかかったのです。

従姪の結婚式に出るために、フランス北西部にある故郷を久しぶりに訪れたクレール。市場でかつてのピアノ教師ラドンと偶然に再会したことから、持ち家を引き払ってラドンの所有する農場の古家に移り住みます。その家は海に面した崖の上の荒れ地にありました。

まず、語り出しから、文章がとてもいいのです。冬の冷たい空気に触れて肌がきゅっと引き締まるような、研ぎ澄ました文章。「言った」「待った」「泣いた」という過去や完了の「た」で終わる文に、「歩いていく」「目に入る」「荒れ野を満たす」といった現在形の文が織り込まれる。作家の文体なのか、それとも翻訳者の文体なのか。いずれにせよ、きめ細やかで肌触りのいい文章です。

クレールと5歳下の弟ポールにとって、故郷は、あまりいい思い出のある場所ではありません。それでもクレールは幼なじみで恋人のような存在でもあったシモンとも再会し、妻子がいるにもかかわらず逢瀬を重ねます。それが原因か、クレールの家に火が放たれる。その頃から少しずつクレールの心が病んでいきます。それを案じたポールは、恋仲である司祭ジャンと2人で、クレールが暮らす家に身を寄せます。

語学に秀でたクレールはかつて故郷を離れ、相手を見つけてすぐに結婚するものの、2人目の娘を出産した6日後に離婚。それ以来、一人で生きてきたほど自立心が強い一方で、シモンと再会して不倫の関係になる。弟ポールもジャンとは同性愛。それをさらっとした筆致で描いています。決して重くない。そんな姉弟それぞれの行動に眉をしかめる人たちも出てきますが、フランスの自由な恋愛観や寛容さを感じます。

物語の後半では、クレールが慕っていたラドンが病死し、また不倫相手のシモンも死に至ります。さらに少しずつ、少しずつ、クレールが壊れていく。1日中歩き回ったり、日の当たる岩場にじっと佇んでいたり、清潔とはいえない海の水を飲んだり。ただ、老いるにつれて奇行も穏やかになり、むしろ規則正しくなっていく。それが痛々しくもあり、また見守りたくなります。

はじめはクレールやポール、シモンなどを三人称の視点で語る文章でした。そこにポールや生後6日で離別していた次女ジュリエットなどが一人称で語る文章も織り込まれていきます。結末を前に、クレールの死が暗示されます。しかし、その場面は描かれません。ポールや学生時代の女ともだち、農場の隣人などが証言のように、クレールについて問われたことを述懐するのです。そんな複数の語りを重ねていく技法も、色相が反発することなく、とても自然なのです。

パスカル・キニャールは、音楽についても思索的に語る作家です。『約束のない絆』も、多声部分や反復のある音楽をイメージしていたのかもしれません。しかし私が思い浮かべたのは、タペストリー。つづれ織り。縦糸の緊張と、横糸の弛緩。さまざまな色の糸を用いて、いろいろな模様を表すこともできる。けれど、織り「物」として平静と品位がある。見つめれば、見つめるほどに。クレールの人生も、キニャールの文章も。

感動は、言葉にするのが本当に難しい。それでも、あなたに伝えたい。ほかのパスカル・キニャール作品も同じように心を動かされるなら、あるだけ読み尽くしたい。次はどれにしよう。作品リストばかり眺めています。

明日はきっと、雪見酒ならぬ、雪見読書ですね。

敬具

既視の海


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