ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』中嶋浩郎訳
そう、こんな本が読みたかったんだ。
自分の好みを明文化しているわけでもないのに、そう思うことがある。このジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』がそうだった。イタリア語への思慕があふれ、40代になってから移住し、母語ではなくイタリア語で執筆を始めたジュンパ・ラヒリの長編第1作。日本語に翻訳されたものしか読めないから、その進歩のほどは判断できない。でも、訳者あとがきによれば、ほぼ完璧なイタリア語で書かれているという。
登場するのは、大学講師をしている45歳の女性「わたし」。おそらくローマであろう街で生まれ育ち、一人暮らしをしている。職場の同僚とはちょっと距離を置き、ある夫婦とは仲がいいけれど、夫の方とは友情とも恋ともつかない淡い心を交わし合っている。恋人もいるようだが、電話の声だけ。ちょっとしたバールにも出かけるが、とくに誰と交わるということもない。孤独がつきまというというより、みずから孤独を愛している。そんなふうにも考えられる静かな女性。
短いものは1ページ、長いものでも6ページに満たない掌編が46ほど連なっている。「広場で」「日だまりで」といった場所を示すタイトルが多いが、「八月に」「夜明けに」といった時間を示すもの、「電話で」「夕食に」という状況を示すもののほかに、「自分のなかで」は3篇ある。際立ったストーリーがあるわけではない。その大半が、見事なくらいの人間観察に徹していて、端正な言葉で綴られている。
病院の待合室に居合わせた、20歳ぐらい上と見られる冷淡そうなご婦人。どちらともなく声をかけるが、会話は続かない。付き添いもなく、ただ独り座っている姿を見て、自分も20年後は隣りに誰もいないだろうと想像する。知人の結婚式で訪れた海沿いの村で延泊し、泳いでみようとするが波の砕ける音に気後れし、うらやましくなるほど周囲と調和している女性がデッキチェアで眠っているその陰で、自分も眠ってしまう。優しかった父親を亡くしてから、母娘2人だけの暮らしは牢獄だっと述懐しながらも、離れて暮らしている母に会うと、ちょっとした手のしぐさや疲れた様子に老いを感じ、胸を痛める。
物語の終盤では、奨学金がとれたことで、住み慣れた街を出て、国外で暮らすことになる。その間に貸す自分の家を隅から隅まで掃除する。慣れ親しんだ街の広場をあるくと、自分に似た女が颯爽と歩いているのを見て、ついていく。帰宅し、荷造りをする旅行鞄を前に、自問自答をする。
イタリア語への幸せな「言語的な亡命」を綴るエッセイ『べつの言葉で』とは異なり、本書は、あくまでも小説だ。ローマらしき街で生まれ育ち、大学に勤める45歳の女性というのは、ジュンパ・ラヒリ自身ではない。しかし、人でも、街でも、海や丘などの自然にせよ、まず観る、それを言葉にして、思索を重ね、経験や記憶と結びつけて、また考えるという一連の流れは、外国語を使うための繊細で神経質な筋肉を鍛えている段階におけるジュンパ・ラヒリ自身の頭と心の動きをたどっているように思う。それは、眼で観る現実や、五感をとおしてよみがえる記憶を、言語という形に抽象化する営みである。
本書の登場人物は、一切名前がない。ネイル・サロンで「わたし」にマニキュアを塗ってくれる優雅な顔立ちをした女性も、つい必要のないものまで買ってしまう家財道具を自宅前で売っている男性も、列車に乗り遅れるからと料金も求めずに送り出してくれたバールの親切な夫婦も、みな名前がない。海沿いのレストランでも、地名や店名は明らかにされず、言葉をかわす友だち夫婦の娘も名無しだ。
あらゆることが抽象的で、風景も、人の心も、その移り変わりも、無駄のない、それでいて輪郭のくっきりした言葉で書かれている。白であっても地色ではなく、黒といってもベタではなく、グレーの階調が豊かな、銀塩モノクロームのファイン・プリントのような小説なのだ。モノクロームである以上、非現実的な世界だ。しかし豊かなグレーの濃淡で本質はしっかりと描かれている。
短編小説の『停電の夜に』や映画にもなった長編小説『その名にちなんで』など、イタリアに移住する前の英語で書かれた作品を読んだことがないので、それが彼女の作風なんだといわれるならば、ぐうの音も出ない。もちろん、訳者の力量もあるだろう。それでも、思いがけず、強烈に心が激しく揺さぶられた。このような小説を、文章を、言葉を、もっと読みたいと思う。
そう、こんな本が読みたかったんだ。