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祈りの風景

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祈りの風景



祈りとは何だろう
人は何に対してどんな思いを込めて祈るのだろう

そもそも、本質的な祈りとは何かを願ったり崇めたりすることではなく
人が根源的に持っている反射的で無垢な反応なのではないのか

仮に祈りが人間という種が身につけた根源的な反応なのだとしたら
それはいったい何に対する反応なのだろうか

3.11の震災とそれに続く原発事故を経験した後
祈りとは何かという疑問が頭からずっと離れなかった

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はじめに --3.11を契機として--

 2011年3月11日。日本中の誰もが、いつもと変わらぬ午後を過ごしていたはずだ。

 ぼくも、さいたま市の自宅兼仕事場でいつものように遅い昼食を済ませ、PCのモニターと向き合い、仕事に取り掛かる前のウォーミングアップがてらに、どうでもいいようなことをツイートしていた。

 ふいに椅子が左右に揺らぎ、急な目眩に襲われたかと思った。だが、すぐに大きな横揺れが起こり、地震だとわかった。最初に目眩と錯覚

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第1章 荒ぶる神への祈り



玉置山のゲニウス・ロキ

 夕暮れが間近に迫る頃、熊野の果無し山脈の奥深くに位置する玉置神社の入り口にようやくたどり着いた。

 里からつづら折れの狭い道を1時間あまり、途中には集落はおろか人家すら一軒もなく、濃密なスープのような森の中を潜り泳ぎするように進んできた。

 こんな山奥に熊野でも有数の名社があるのだろうかと途中から心配になった。出発の時間が遅かったため、どんどん日が傾き、逆に森の

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第2章 巫女の祈り



観音菩薩の導き

 はじめて談山神社を訪れたのは、もう30年も前のことになる。大学の友人二人と関西を気の向くままにバックパックを担いで巡り歩いた。

 途中、奈良が気に入って、山の辺の道の奈良市側の起点にあったユースホステルに1週間あまり連泊して、周辺を徘徊した。大学生とはいえ、奈良の歴史や仏教についての教養など皆無で、ただただ、山の辺から飛鳥あたりの雰囲気が気に入り、当てもなくふらふらしてい

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第3章 滝行の世界



心構え

「いいか、よく肝に命じておけよ。滝行でもっとも危険なのは、行を終えて戻るときなんだからな。滝に打たれてすっかり浄化されたおまえたちの魂、その魂から清浄さを奪い取ろうと、おまえたちに悪霊が憑いてくるんだ。よく見渡してみろ。この谷には、悪霊たちが渦巻いているだろ。あいつらは、自分たちが救われるために、おまえたちの魂を喰らおうと、待ち構えているのだ。だから、滝行が終わったら、今より尚いっそ

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第4章 黄泉の国への想い



花の窟

 真っ白い大岩と、そのたもとに敷き詰められた白い玉砂利が、南天した夏の日差しを受けて眩しく輝いている。南国の空気はオーブントースターの中にでもいるように焼きつき、せめて直射日光を避けようと、人も鳥も濃い影を落とす木立の下に避難している。

 目のくらむ日差しの中で、一人の老人だけが、大岩の前で正座し、くぐもった声で祝詞を唱えながら、額を玉砂利に擦りつけるように何度も何度も叩頭している

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第5章 巨木信仰と縄文



樹木の記憶

 岩手県陸前高田の海岸線は、かつて見上げると首が痛くなるほどの高さの松が7万本も並ぶ景勝地だった。3.11のあの日、巨大津波はその松をことごとくなぎ倒し、沖へと運んでいってしまった。後には、樹高35mのひょろ長いたった一本だけが残った。

 青い海と白い砂浜そして輝く緑が鮮明なコントラストを描いていた海岸は、無残ながれきに埋め尽くされ、どうしたわけかその一本の松だけが、ひとり取り

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第6章 巨石信仰



花崗岩について

 登山の途中、岩のテラスやテーブル状の岩塊を見つけると、思わずその上に寝転がりたくなる。

 日に照らされて熱を帯びた岩は、その上で横になると、岩の奥深くまで染み込んだ暖かさがじんわりと染み出してきて、それが体に伝わって、全身が弛緩するようなうっとりした気分になる。クライミングで汗をかいた後などは、そのまま小一時間も眠ってしまうこともある。

 こうした、岩に身を委ねる心地良

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第7章 太陽再生への祈り



冬至・戸隠奥社

 2006年の冬至の未明、長野県にある戸隠神社奥社に向かう参道をNBS長野放送のクルーとともに黙々と歩いていた。

 例年ならスノーシューかスキーを履いて辿る雪道のはずだが、この冬は異常な暖冬で、参道にはまばらに雪がついているだけで、登山靴のままで歩いて行くことができた。気温が最も下がる明け方なのに、しばらく歩くと汗ばんでくるほどだった。

 この参道は、総延長2kmある。そ

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第8章 海への想い・海から来るもの



海への想い

 はじめて海から昇る御来光を拝んだのは、いつのことだっただろうか。

 はっきり記憶に残っているのは、小学校6年生の正月だ。はじめて子供たちだけの初詣を親に許され、大晦日、除夜の鐘が鳴り出した頃に同い年の幼馴染であるジロチョーとデメチャンと待ち合わせ、近くにある小さな諏訪神社へ出かけた。

 篝火が焚かれた参道を通って、三々五々集まってくる近所の人たちに混じって子供たちだけ三人で

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第9章 炎に込める想い



炎の効能

 思えば、もう長い間、炎に親しんできた。ソロツーリングの夜の小さなキャンドルライト、深山や河原での焚き火、山小屋の暖炉や薪ストーブの中で燃える炎……。

 炎を前にすると、誰しも黙りこみ、炎の揺らめきの虜になったように、目が離せなくなる。炎をじっと見つめ続けると、踊り揺らめきながら形を変えていくその動きに心がシンクロして、様々なイメージが沸き上がり、消えていく。そして、自分がどこに

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第10章 山岳信仰・祈りの本質



山の神・水分神

 桜の季節になるとはっきりと想い出す光景がある。

 いつそこに居たのか、どうやって行ったのか、そして、それがどこであるのかはまったくわからないのだが、確かに、過去にそこに行き、目の前の光景にやすらぎと清々しさを感じていたという記憶ははっきりしている。

 緩やかな起伏を描く山並みがはるか彼方まで見渡せる高原の一角で、田植え直前の鋤き均された田が広がっている。ぼくはその田の畦

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