第9章 炎に込める想い

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炎の効能

 思えば、もう長い間、炎に親しんできた。ソロツーリングの夜の小さなキャンドルライト、深山や河原での焚き火、山小屋の暖炉や薪ストーブの中で燃える炎……。

 炎を前にすると、誰しも黙りこみ、炎の揺らめきの虜になったように、目が離せなくなる。炎をじっと見つめ続けると、踊り揺らめきながら形を変えていくその動きに心がシンクロして、様々なイメージが沸き上がり、消えていく。そして、自分がどこにいるのか、何をしているのかが定かでない不思議な忘我の世界へと入っていく。

 もう20年以上も昔、メキシコの砂漠で、一人ビバークしたことがあった。

 二輪のオフロードレースのプレラン(下見走行)で方向を見失い、広い砂漠で完全に迷子になってしまった。レース本番ならコースマーカーはしっかりしているし(それでもミスコースは続出するが)、他の参加者も走っているし、オフィシャルのサポートカーもコース内を走っているが、プレランはまだコース整備前で他の参加者も広大な砂漠に散ってしまうので、ミスコースがそのまま遭難ということになってしまう。

 よほど見当違いな方角にミスコースしてしまったらしく、他のプレランしている参加者の姿も人家や道路が近くにある気配もまったくない。唯一の道標であるちっぽけなロードマップも、自分の居場所が見当つかなければ役に立たない。

 砂漠は昼と夜で寒暖の差が激しい。昼間のうちに出発して夕方にはまだ間があるうちににサポートチームと合流する予定でスタートしたので、メッシュのシャツにプロテクターという軽装だったため、日が落ちて気温が急降下すると、それだけで低体温症の危険があった。

 暗闇の中を闇雲に走って体力と燃料を使い果たしてしまうよりは早々にビバークしたほうが得策と、まだ日が残るうちにオートバイを止めて、燃やせる潅木を集めて夜に備えた。

「ラリーレイドでいちばん何が恐いかといったら、砂漠でミスコースしてビバークするはめになることだろうな」。止めたオートバイのエンジンや補機類が冷えていく際の金属をコインで叩くような音が止んでまったくの静寂が訪れると、ライダー仲間と雑談していた時に誰かが言ったそんな言葉が思い出された。

 太陽が地平線に一瞬の青い残光を残して沈むと、暖かい空気も一緒に海の向こうに引きずり込まれてしまったように、一気に冷え込んできた。昼間は40℃を越える気温が夜には氷点下になる。この時、火が起こせなかったら、あるいは凍死していたかもしれない。

 ときおり勢い良く爆ぜながら燃える潅木の薪の炎を抱え込むようにして眺めていると、昼間に砂漠の中を走っていた光景が浮かんできた。スタートしてしばらくはパウダーのように細かい砂に残された微かな轍を順調に辿っていた。潅木と大木のようなカクタス(サボテン)が林立する中を気持ちよくシュプールを描くように走り抜けていく。そして、ある場所で、目の前に大きな赤い岩が立ちはだかり、それを無意識のうちに左へ避けた。その後、轍はなくなりパウダースノーの中を滑るようにスロットルをワイドオープンしたまま走り続けた。

「そうか、あの赤い岩…」

 ミスコースしたポイントが啓示のように思い浮かんだ。赤い石が立ちはだかって左に避けた後で、そこまでついていた轍がなくなったことを当然気にかけるべきだった。レース中なら先行車の轍を追うことにかなり気をつかうが、プレランではコースも鮮明ではなく、比較的自由に走るので、一時的にメインコースの轍を外れたのだと思った。右側通行の国のレースでは、当然、みんなが轍の右側を走るから右側を行けば轍は比較的鮮明に残っている。ぼくは、左側通行の癖で、知らず知らずのうちにトレースの左側を走り、決定的なミスコースをしたのだろう。

 残りの燃料から考えて、ミスコースした場所に復帰してスタート地点に戻ることはできない。だが、逸れた方向がわかったので、まっすぐ東へ向かえば燃料切れギリギリで国道…というには継ぎ接ぎだらけの舗装の細い道だが…に出られる。

 自分がいる大まかな位置がわかっただけでもホッとして、さらに炎の温かみにうっとりしていると、ふいに「自分」という存在が消え失せて、そこに意識だけがあるような感覚になった。そして、薪が爆ぜて舞い上がる火の粉に意識が惹きつけられ、そのまま一緒に立ち昇って、漆黒の空にばら撒かれた無数の星と同化していくように感じられた。次に薪が爆ぜた音で我に返ると、焚き火の傍らで暖をとる自分の体に意識が戻っていた。

 たった一人の砂漠の夜は賑やかだった。大地は完全な闇ではなく、恐ろしいほどの数の星が輝く空を背景に、潅木やカクタスのシルエットが浮かび上がり、それぞれが楽しく踊る人間のように見える。薪をさらにくべると、大きくなった炎に周囲の潅木とカクタスが揺らめいて、自分は踊りの中心にいるように思えてくる。歓喜する砂漠の植物たちと踊り、その中心から小さな銀河のように渦巻いて巻き上がる火の粉とともに、また意識がフラフラと宙へ昇っていく。そんなことを繰り返しながら、いつの間にか眠ったようだった。

 気がつくと、ちょうど、その日の行き先を告げるような陽の光が東から射し始めていた。無意識のうちに、寒さから逃れるために砂をかけたらしく、焚き火の傍らで砂風呂に入ったように砂に埋もれていた。低くうっすらとした霧が漂い、思い切り息をすると乾いた喉に甘く染みわたった。

 砂を払い、身支度を整えると、太陽の方向に向かってオートバイを走らせた。パウダーサンドにシュプールを描きながら、昨夜のことを思い出していた。そして、ふと閃いた。炎は、広大な宇宙へ魂を飛翔させてくれるガイドなのだと。

 それから数年の後、今度はアリゾナの砂漠にいた。

 潅木とカクタスが交じるメキシコの砂漠とは違って、ただひたすらデューン(砂丘)が続くミニマルの極地のような世界。

 ここでネイティヴアメリカンのイニシエーションであるビジョンクエストの真似事のようなことをして過ごした。

 何日か砂漠の中の自分の気にいった場所で過ごし、仲間の集まるベースキャンプに戻って焚き火を囲む。

 はじめは、それぞれが孤独に砂漠で過ごしたときに何を見て、何を感じたか和やかに話し合っていた。だが、次第にみんなの口数が少なくなり、全員が膝を抱えて黙りこんでしまった。そして、皆、目を見開いて中央の焚き火を見つめ続ける。それぞれの目には、焚き火の炎が映りこんでいる。傍らに座る友人の目を覗き込むと、その中で燃える炎に引きこまれそうになる。

 この不思議な静寂の中で、ぼくはふいに風を感じた。夜の砂漠には、絶えず微かな風が吹いている。その方向は定まらず、また息を継ぐ間隔も気ままで予測がつかない。ところが、その予測のつかない風が吹き始めるほんの一瞬前に、どちらで風が起こるのかが何故かわかるのだ。

 じっと焚き火の炎を見つめていると、聞き覚えのある足音が近づいてくるように、風がやってくる方向とタイミングがわかる。そして、そのすぐ後に焚き火の炎が風がやってきた方向と反対に揺らめく。それは、炎と風の無邪気な戯れのように思えた。

 焚き火を挟んで向こう側にいる何人かは、ぼくと同じように風を感じられるらしく、風が吹き始める一瞬前に、その方向に聞き耳を立てるように首を傾げ、風が吹き始めると元のように炎を見つめる。それを見ているうちに、人は根源的なところで繋がっているんだなと感じた。それは、比喩ではなく、集合意識のようなすべてのものが一つに溶け合う『場』があって、ぼくたちは誰もみな、見えない根をその『場』まで伸ばし、同じものを吸収しているのだと。そして、炎を見つめることが、その『場』を意識させるきっかけとなるのだ。

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火祭りの作法

  奈良東大寺の「お水取り」では、二月堂の下にある若狭井から湧き出す「香水」と呼ばれる聖水を汲み、これを二月堂に安置されている十一面観音に捧げて、興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る。「香水」を捧げる前に、「お松明」と呼ばれる大松明が二月堂を駆け巡り、二月堂全体が清められる。「お水取り」とこれを十一面観音に捧げる様子は一般には公開されず、「お松明」のみが拝観可能なので、多くの人が儀式の意味を知らずに松明の火によって自分も清められると思っている。

 その「お水取り」に先立つこと10日、毎年3月2日に若狭では、奈良東大寺二月堂へと聖水を送る「お水送り」の行事が行われる。若狭神宮寺の境内に湧き出す「閼伽井」から汲み上げられた「香水」は、護摩の火によって清められ、奈良東大寺の若狭井に繋がると伝えられる遠敷(おにゅう)の鵜の瀬から注ぎ込まれる。

 「お水送り」のほうは、護摩供養から「香水」を注ぎ込む儀式までが公開され、自分で松明を持って儀式に参加することもできる。

 この「お水送り」の行事に参加するようになって、もう6年が経つ。初めの年は段取りもよくわからず、本堂での紫燈護摩も肝心の送水神事も人の頭越しに遠望するだけで、詳細がわからなかったが、手松明を掲げた5000人あまりの人間が遠敷川の岸辺に光の川を描き出す光景があまりに幻想的で、すっかり虜になってしまった。

 自分でも長さ50cmほどの手松明を掲げ、その光の川の一部となって、ゆっくり流れていく。松明の爆ぜる音は、砂漠の夜の光景をはじめとして、火を見つめて過ごした様々な夜を想起させた。

 20歳の頃、東北をオートバイで旅していて、たまたま平泉中尊寺の薪能に出くわしたことがあった。今でこそ世界遺産に指定されて、たくさんの観光客で賑わっているが、当時は日が暮れたばかりの境内には観光客の姿はほとんどなく、地元の人と、この能を観にやってきたらしいグループが何組かで、設えられた席の半分も埋まっていなかった。

 今でも能について詳しいわけではないが、当時はまったくの無知で、目の前で何が始まるのかを予測することもできず、ただ、深い森の中で燃える篝火が珍しく、足を止めただけだった。そして、不意に響き渡った囃子の音と、それに続いて現れたシテの姿に釘付けになり、そこを動けなくなった。

 演目も謡の文句もわからなかったが、深い森を背景にした炎が照らすその空間は、本来は見えないはずの超自然の出来事を再現する場所で、シテはこの世のものでない者であり、舞台を囲んだ観客に何か切々と訴えているのだと感じた。炎に揺れる能舞台は、無限に広がる闇の中に立ち現れた幻で、そこに過去のある場面が再現されていることは、何故かはっきりと理解できた。

 篝火が燃える能舞台の背後には大きな老杉があって、ちょうどその真上に満月が差し掛かっていた。初めて参加したお水送りでも、境内から手松明を持って川へと向かう行列の背後に黒い木立があって、その上に満月が差し掛かっていた。

 昨年と今年のお水送りは、手松明ではなく、四人一組で中松明を担いだ。大松明が先頭を進み、その後に「香水」を掲げる咒師(すし)と従者が連なる。中松明はその次に並ぶことになる。手松明は中松明が出発した後に続いていく。

 中松明の組は、境内の護摩の傍らに控え、儀式の一部始終を間近で拝むことができる。また、お水送りのクライマックスである鵜の瀬の「送水神事」も、手松明より先に到着するので、眼前に拝することになる。

 昨年のお水送りは、3.11震災の前の週で、まさかあのような災害がこの浄化の儀式の後に待ち受けているとは想像もできなかった。今年のお水送りに臨みながら、思い出すのはやはり一年前の震災だった。3.11で犠牲になった魂の鎮魂と、底辺にまで沈んでしまった日本の再生を祈るためにも、今年の儀式は、その一部始終をしっかりと見つめ、想いを祈りに託したかった。

 夕暮れ間近、咒師を先頭にした僧と山伏の一行が神宮寺本堂へと入る。堂内では、あらかじめ境内の閼伽井から汲まれた香水と一行を清める檀護摩が焚かれる。その檀護摩から大松明に火を受け、堂内から大護摩までの間を火によって清めながら香水が運ばれてくる。そして、境内の大護摩での「採燈護摩」へと続く。

 採燈護摩の護摩壇は、松の丸太を井桁に組み、その中に割り木を詰める、その周囲と上部を檜の葉で分厚く固める。そうしてできあがった直径5mあまり高さ4mあまりの丘のような護摩壇が境内の隅に鎮座している。本堂からこの大護摩に運ばれた大松明は、いったん護摩壇の横に据え置かれる。大護摩に炎を移す前に、法弓、法剣、斧の作法が行われる。

 法弓の儀式は、定慧(じょうえ=禅定と智慧)の徳を持つとされる神弓で魔を退散させる。護摩正面で法弓の文を唱え、右回りに、東方青帝大神龍王(降三世明王)、南方赤帯大神龍王(軍茶利明王)、西方白帯大神竜王(大威徳明王)、北方黒帯大神竜王(金剛夜叉明王)、中央黄帯大神竜王(不動明王)とそれぞれの眷属に、その方角の魔を退散させるように祈って矢が放たれる。さらに鬼門に向けてもう一本の矢を放つ。

 降三世明王は現在、過去、未来の三世に渡り、貪と怒りと無知の三つの煩悩を鎮めるとされる。軍茶利明王は人間の体を貫く「気」であるクンダリニーを象徴するとともに、不老不死の妙薬「甘露」の入れ物の象徴でもあって、前方に立ちふさがる様々な障害を取り除くとされる。大威徳明王は「死の神ヤマを倒すもの」というその名前通り、冥界からやってくる魔をも調伏するとされる。金剛夜叉明王はインド神ヴァジュラに由来し、金剛杵を武器に、どのような障害をも打ち砕くとされる。不動明王は、五大明王の中心を成す仏で、その名の通り不動の揺ぎない存在とされる。

 法剣の作法は、不動明王の般若の利剣を用い、護摩壇に向かって「光」の文字を空に刻む。これによって、武器や毒による攻撃、風評による攻撃などを防ぐとされる。

 斧の作法では、この土地から紫燈護摩に必要な樹木を刈り取ったことを土地神に詫び、それを快く授与くださるように請う。さらに、参集した衆生の煩悩や様々な未練を絶ち切って、想いが護摩に込められるように、勢い良く斧が振り下ろされる。

 こうして、大護摩の周囲に厳重な結界が張られ、参集する者たちすべての意識が大護摩へ集中する準備ができると、いよいよ点火となる。

 はじめのうちは、真っ白い煙だけが噴き出し、境内全体を燻すように覆う。そのうち、立ち込めた煙の中に夜明けの太陽を思わせるオレンジの光が明滅しはじめる。

 そして、勢い良く薪が爆ぜる音が続いたかと思うと、一気に煙の霧が晴れて、護摩壇で暴れる紅蓮の炎と対面することになる。それは、傍らの木々の高さを軽く越え、時に四囲を睥睨するように動きまわる。激しく巻き上げられる火の粉は、暗い空の中に吸い込まれていく。

 護摩壇の結界はその周囲に厳重に張られ、ただ上方のみが開かれている。立ち上る炎は、結界に守られたすべての者の意識をひっ攫い、目のくらむような勢いで天に向かって駆け昇っていく。その炎は誰の目にも勇壮に身を震わせる昇龍として映る。

 誰もが声を失い、意識を昇龍に攫われるままに天を仰いでいるそのとき、谷間に一発の雷鳴が轟く。それは、大護摩によって引き起こされた上昇気流によって生み出された雷だが、これを龍が天に突き抜けた合図とするかのように、護摩壇の井桁が崩れ、炎は勢いを失う。

 昇龍が残した後の火を新しい大松明が受け、さらに中松明、手松明とその火を受けて、「香水」を頂いた行列が、今度は地を這う炎の大蛇として動き出す。

 一人、孤独に眺める炎が、自己の内奥へと向かわせる道標とすれば、この大護摩の炎は、内に篭る心を引き出しそこに宿るすべてをあぶり出す「浄化」の炎といえるかもしれない。

 護摩焚きのような火の儀式は、もともと仏教には存在しなかった。これを体系化したのは、空海だったと伝えられる。

 お水送りとお水取りの儀式は若狭の渡来民族出身で東大寺初代別当の良弁が開始し、その弟子であった渡来僧実忠が火祭りを含む体系を導入したとされる。そして、東大寺第14代別当であり、実忠と時代が被る空海が今に続く体系を築き上げた。お水送りやお水取りでは単なる仏教僧ではなく、咒師という白い装束で身を固め、白い頭巾を被った奇妙な役職が主役を務める。咒師という職能を決めたのも空海だと伝えられる。

 秦の始皇帝の時代に東方へ不老不死の妙薬を求めて旅立った徐福の一行が日本にたどりつき、豪族の一つである「秦氏」として定着したという伝説がある。良弁はその秦氏の血を引いている。実忠は一般にはインドからの渡来僧とされているが、面立ちは西洋的であり、ゾロアスター教を知悉したペルシア人だったとする説が有力になっている。

 そして、空海は遣唐使として唐に渡り、驚異的な吸収力で普通20年以上もかかるはずの密教の灌頂をわずか二年で修めて帰国した天才だが、彼の唐行は密教の奥義を極めるとともに、道教や景教、ゾロアスター教まで広く習得して不老不死の秘密を探り当てることを真の目的としていたように見える。

 謎をはらんだ三人の人間が完成させたのは、じつは若狭に産する不老不死の水を護摩によって清め、奈良へ送るという秘儀だった。詳細は拙著『レイラインハンター』で解説しているのでここでは深くは説明しないが、彼らは火と水の魔力を自在に使いこなした一種の魔術師だった。魔術師といっても、非金属を貴金属に変えようとする浅はかな錬金術ではなく、火と水が人間の心理に与える影響を知り尽くし、その知識と経験を存分に活かした舞台演出によって、人の意識を導いていった。

 若狭をスタート地点として、南へ真っ直ぐ辿っていくと、京都鞍馬にも火祭りがあり、聖水を受け取る祭りがある。その南、奈良東大寺には若狭の水を受け取る火祭り「お水取り」がある。さらに、そのまま一直線に紀伊半島を南下すると熊野三山それぞれに火祭りが残る。

 若狭から熊野まで畿内、紀伊半島を串刺しにするように連なる火祭りの路には徐福伝説が寄り添うように残され、また空海もその中心に当たる高野山に落ち着いている。

 炎の揺らぎに魂を揺さぶられ、炎の神秘に没入していくと、実忠や空海という人間の意識が気になり、また、彼らを通して大陸へと繋がっていく。

 いつか、ユーラシアを横断する『火の路』を辿る旅をしてみたいと思う。

■参考■

●中尊寺
 中尊寺のある平泉の町は、ゆったりとしていて人も街の佇まいも奥ゆかしさを感じさせる。奥州藤原以前から平泉を中心とする奥州は大陸との繋がりを持ち、独自の文化を築いていた。大和朝廷の支配下とは異なるゆったりした雰囲気は、大陸文化の影響なのかもしれない。
 中尊寺はそんな雰囲気に囲まれているためか、天台宗ながら他の寺社とは異なるエキゾチックな印象を与える。幽玄な雰囲気の漂う薪能は、毎年8月境内の白山神社能楽堂を舞台に開かれる。
・交通
 Jr東北線「平泉駅」から徒歩25分

●若狭・お水送り
 毎年3月2日、福井県小浜市にある神宮寺を舞台に奈良東大寺二月堂へ聖水を送る儀式が行われる。松明行列には誰でも参加でき、年々増えている。水を注ぐ鵜の瀬までの3kmあまり、川にそって松明が続く幻想的な風景が見られる。
・交通
 JR小浜線「東小浜駅」より徒歩30分

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