見出し画像

「ただ穏やかに生きたいだけ」それもありかと思えてきた話

「僕はただ穏やかに生きたいだけ…」息子(ASD・ADHD)が時折言う言葉です。

「ふざけんな!もっと人生の苦労を通ってから言いなさい。」長い間私はそういう考えでいました。

先日精神科通院の際、息子は医師に言いました。

「新しい事業所ではハードル下げてやっていきたいんです。『タイピングが速いね』とスタッフに言われ、急に難しい課題を出されて焦りました💦」

「簡単で無難な作業の繰り返しでいいんです。成長とか向上心とか、今の僕には苦しいんです。」

「とにかく出来る事をして、波風立たずに穏やかに時が過ぎればそれで良いんです、満足なんです。」

…出た!得意の「穏やかに…」のくだりが。以前の私なら情けなく感じていただろうなぁ。(今でも少しそう思います)

「生きている限りは成長すべき、向上心はいくつになっても持つべき!」
これは私の固定観念なのかもしれないと最近思い始めました。

第一、本人が望んでいないのに
「こう考えるべき!」と押し付けたところで何になる?と、考えるようになりました。

(待てよ…よくよく考えてみると)
発達障害と知らずに正社員として就職し、散々苦しい目にあってきた息子。

職場では上司に、家では母親にキツイ言葉を浴びせられてきました。
今、その傷がまだ癒えていないのに、
本人の意思で新たな一歩を踏み出そうとしています。

それだけでも「前を向いている」じゃないか!と、私は考え直しました。

「発達障害の場合は特に急いでは良くないな、今更焦らずに見守っていかなければ…」

「一歩一歩、一日一日やな。励ましてやることに力を入れよう。」

「いや、今プレッシャーを与えるのは良くないから、温かく(ちょっと面白く)息子を癒すことに力をいれることにしよう。」

考え直した私は医師にこう言いました。

「何とか生活さえ出来れば、周りがどう言おうと思おうと、本人が良ければそれで良いと思います。」

医師はウンウンと頷きながら
「そうですよ、本人が良ければそれで良いんです。いっぺんに変わろうと無理しなくていいですよ。」

「新しい所へ行こうと一歩踏み出したこと自体が凄いことですから。」

小さいけれども、まずは一歩踏み出しました。本人の自然な変化を待とうと思います。本人が変化を望まないのなら、それはそれで良しという気持ちも私の中で芽生えております。

「ただ穏やかに…」それもありかな?

息子の正直な気持ちを出せる場があって、有り難く思いました。感謝です。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,501件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?