花見大好き 日本人
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春の花見は日本人にとって、かかせないイベントですよね。
コロナの影響で自粛、中止されていた花見も今年は解禁され、各地で花見が行われました。
そんなの日本の花見のベースとなっているのが
『群桜』 『群集』 『飲食』
世界中で花を愛でる風習、習慣は数々ありますが、
『群桜』 はともかく『群集』 『飲食』
ともなって花を見るのは、実は日本だけなのです。
つまり花見は
日本独特の文化なのです。
さて、昔からあった日本の花見には、
宴の席で歌を詠みあう貴族文化的な花見。
春の花が咲き始める頃に、農民達が近くの山や丘に飲食物を携えて登り、冬を支配していた神を山に送り返し、春の芽吹きをもたらす田の神を迎えるために1日を過ごす
「春山入り」
「春山行き」
と呼ばれた宗教行事の2種類がありました。
この2つの行事から、貴族文化的な要素と農耕儀礼から離脱して、純粋に娯楽として楽しむ花見が中世に生まれました。
この花見が、中世では唯一の都市であったといえる京都で、郊外の花見として富裕層の間で広まっていきました。
花見が大衆化して、多くの人々の年中行事となり現代にも繋がる花見となったのは、江戸中期以降からでした。
さて、江戸中期以降に広まった花見ですが、その背景には、人物の存在がありました。
その人物とは!
あの、暴れん坊将軍・徳川吉宗だったのです!
吉宗が将軍職に就いてから力を入れた事の一つに、綱吉の時代に廃止された鷹狩りの復活がありました。
とにかく吉宗は狩りが大好きで、紀州時代から鷹狩りを始め様々な狩りをしていたそうです。
そんな吉宗ですから、将軍職に就いてから、わずか2ヶ月後に鷹狩り復活のための指示をだし、1年足らずで鷹狩りを復活させました。
しかし、この鷹狩りですが、実は農民にとっては、いい迷惑でもあったのです。
鷹狩りというと、単に狩り場に行って狩りをするだけだと思っている方が多いと思います。
でも実際は、鷹狩りは獲物を確保しておくために、狩り場と周辺の野鳥獣の駆除が制限され、その中に田畑を荒す野鳥獣も含まれてしまったり、
鷹狩りの時に勢子として農民も動員されるので、労働時間が奪われたり、田畑も荒されたりして農民にとっては迷惑でもあったのです。
そこで吉宗は、農民達の慰撫策として、吉宗は鷹狩りの進行ルート上にある
飛鳥山、御殿山、向島
に大量の桜を植えさせたのでした。
また植えた桜の開花を目安として鷹狩りの打ち止め、農民の農事開始を指示する機能も持たせたともいわれています。
それまでも、江戸の花見といえば、今も有名な上野山の桜でしたが、そこに吉宗が植えさせた
飛鳥山、御殿山、向島
が新名所として加わり、江戸の町での花見が庶民層に大きく広がっていき、これが諸国に喧伝されていったのでした。
あっ、そうそう、花見というと、現代では1週間くらいですが、当時の花見は、今の花見と違って期間は1ヶ月くらいありました。
それは、現在と違い数種類の桜の花を植えていたので、開花時期が種類によって違うので約1ヶ月の間、花見が楽しめたのでした。
だから今みたいな、慌ただしい感覚や狂い咲きという感覚は、ありませんでした。
で、江戸っ子達は、2〜3時間かけて上野の山とかに歩いていって花見を楽しんだのでした。
ちなみに、花見の名所となった飛鳥山、御殿山、向島は郊外公園の先駆けでもあり、これはヨーロッパと比べても1世紀以上も早い出来事でもありました。
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参考資料・
『 花見と桜』
白幡洋三郎著 PHP新書
桜が創った「日本」
佐藤俊樹著 岩波新書
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