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#12 レトロについての愛を語る

 なんだかんだ言っても、わたしは昔懐かしいものが好きだ。

 果たしてどう表現すればよいかかわからないけれど、気がつけばレトロブームに乗っかって、現代に生きているのに昔の時代を生きている気分になっている。ITシステムを扱う職種についているのに、むしろ新しいものに対して聞く耳を持たないわたしがいるのだ。

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懐古主義リバイバル

 友人と話をしているときに、「そういえば最近やたらと懐古主義を象徴するようなものが売れているよね」という話になった。その友人とは、何度かnoteにも登場しているスケさんとカクさんである。これでもかと言うくらい、もう一ヶ月に一度は会っている。妙な腐れ縁である。

「なんだかそのいかにも流行りのブームに乗るのも、ちとどうかと思うんですよね、あっしは」と横から合いの手を入れるカクさん。わたしは思わずその言葉に反発したい気持ちになる。

 むぅとわたしは少し眉根を寄せて、「懐古主義が、こうしてさもリバイバルの如く、何度も人々の話題に上がるのは理由があるんじゃないかな」と思った言葉をそのまま口にする。

「というと?」ふんふんと、スケさんは妙に体を前に乗り出す。

「たぶん、きっとみんな心の内で危惧しているんだよ。どんどんどんどん世の中は便利になっていくけど、その過程の中で大切な何かを忘れてしまっているのではないか、ということを。生活は楽になったけれど満たされていないんだ、誰も彼もが」

 本当を言うと、誰かの代弁者のつもりで話したつもりだったが、結局わたしは私自身の思いをそのまま伝えた形となった。頭の中が、グルグルグルグルと堂々巡りしている。

「ふうん。なんだかその話を聞いて、不意にモーレツ!オトナ帝国の逆襲を思い出しちゃったなぁ」

解説しよう。『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』とは、2001年に公開されたクレヨンしんちゃんの劇場映画化第9作目の作品だ。高度経済成長期を回顧するようなアトラクションが登場する。わたしたちの中では、数あるクレしんシリーズでも、学ぶべきものが多いという映画ということで一致している。

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灯る暖かな気持ち

 懐かしいものを見ると、それだけで胸の内側がポッと暖かくなる。振り返ると多分に、父からの影響がものすごい大きいと思われるのだが、認めたくない自分もいる。そのせいか、幼いころから少し世間一般の友人たちとは見ているものが違っていたような気がする。

 わたし自身はギリギリ平成の世界に産み落とされた人間なのだが、自分が生まれていない時代の産物に対して、強い興味を惹かれる。

 カーステレオから流れてくる、フォークソング。シャンソンが流れる喫茶店、自然界には存在していないと思われる緑色のクリームソーダ、昔の古い絵柄のポスター。もう今では昭和を象徴するものとされていたものに対して、出会うたびにいいわぁと瞳を輝かせるのだ。

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あの頃、流れゆく時を刻む

 15年ほど前に公開された「ALWAYS 三丁目の夕日」も、今もなお大好きな映画の一つで、新作が発表されるたびに映画館に足を延ばしていたことを思い出す。

 これはもう完全にイメージ戦略の虜になっていることは間違いないのだが、きっとその時代にあったであろう他者との密接な関わりがなんともうらやましくなってしまうのだ。世の中が、発展していくたびに「失われてしまうもの」っていったい何なのだろう。

 わたしが生まれる前に、当たり前のようにあったものたち。今でもその品々は現存していて、そこから流れゆく時間を必死にくみ取ろうとする。みながみな、高度経済成長期の中でもがきながらも何とか幸せになりたい、満たされたいと思って試行錯誤していた時代。

 東南アジアに行ったときにも感じた、人々のむせかえるほどの熱気。それはもしかすると、狂気に近いのかもしれない。あくせく動いて、それがやがて自分を突き動かす原動力と化する。

 一方で自分一人ではできることが限られていることも自覚しているから、ある種狭い共同体の中で足りない部分を補い合い、支えあっている世界。今のSNS慣れした人たちにとっては、なかなか真似しづらい概念だ。

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 時間は今と比べると、驚くほどゆっくりと流れている。時にはゆとりある日々も大切で、そのオンオフを切り替えるタイミングが、今よりも昔のほうがはっきりしていたのかもしれない。日常を1日1日と丁寧に生き、大切な人と言葉を交わす。そのために存在する時間に対しての、愛。

 足りないものはたくさんあったかもしれないけれど、そこには希望があったに違いない。自分たちの暮らしが、今よりも豊かになるという光が。今ももしかしたら探そうと思えば探せるのかもしれないけれど、るつぼと化した情報社会の中ではなかなかに見つけづらくなってしまった。かくれんぼしているものたちは、絶妙に自らの姿を隠す。

 だから、なんとか自分の中でバランスを取ろうとする。かつて存在していた「良いもの」と、今の発達した社会だからこそ存在している「良いもの」。そうやって、自分の中でたくさんのものを見て吸収していくことでしか、自分なりの日常に対する愛を見出すことができない。

 失ってはいけないものが、きっと確かにそこにはあるはずだ。そうやって、今も大切な何かを探し続けている。

故にわたしは真摯に愛を語る

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