虎の子は我が尾を踏む
怠惰の波が押し寄せて、明るい日中にトロンとまどろむ。
年末年始にかけて、ここぞとばかりに友人と暴飲暴食を繰り返していたら、あっという間に3キロも体重が増えていた。半年くらいかけて、食事制限をこなしつつ緩やかに体重を減らしていたにも関わらず、リバウンドするときはあっという間である。コツコツ積み上げてきたものが、崩れるのは早すぎないだろうか。
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貴重な冬休みはだいたい1週間ほどであったのだが、ふと振り返ってみると、そのうち同じ顔ぶれと5日間も一緒にいたことに気がつき、愕然とする。中学時代からの腐れ縁である。二度ほど私の部屋で酔い潰れ、年末に神保町にある馬子禄というお店で蘭州ラーメンを食べた。酔い(宵)越しの体にはなかなかに染み渡る味わいに、舌鼓を打つ。
シンプルな味わい、程よい柔らかさのチャーシューとパクチー。私の友人(仮称:スケさん)は、最近アジアン系のソウルフードを食べることにより、海外へ行った気分になっているらしい。非常に攻める姿勢で新たな珍味を探し求めており、今度は池袋にある現地民しか行かない火鍋屋さんへ共に行くことになった。
普段何も予定がない日は、スケさんと、もう一人の仲が良い友人(仮称:カクさん)と共にだいたい一緒に行動することが多い。なんとはなしに蘭州ラーメンを食べて満足し、そのまま帰途に着く。
その二日後、年越しを挟んで再び私の家に集合し、その日はスーパーで寿司をつまむことになる。数年前は三が日でもお店が開いていることが多かったが、最近では働き方改革の一環で休みになるところが多くなった。スケさんはぽそりと、「これはまさしく理想の社会になりつつある」と喜ばしそうであった。
当て所もなく歩いていると、ようやく一軒だけ三が日にも関わらず開いているスーパーを発見する。「けしからんお店である。年始にも関わらず開いているなんて。しかし、我々からしてみれば救いである」と言って、意気揚々とお店の中に入っていく。
年始で物流が制限されているのか、棚に並んでいる品数は少なかったが、その代わりとにかく安価な食べ物が並んでいた。寿司も、売れ残りではあったがそれなりに量があったにも関わらず、¥1,000くらいであった。「おお、今年も何か良いことがありそうな」カクさんは、パックを手に取る。
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我が部屋にちょこんと設られたコタツに三人してくるまりながら、寿司を突き合う。スケさんはビール片手に、寿司にまつわるエピソードを訥々と話し始める。
「わし、玉子は寿司にあると食べないのよねえ」
「なんで?」
「お寿司の中で、一つだけ仲間はずれじゃない。他は全部海鮮類なのに、玉子は一つだけ違う。そんな一つポツンと取り残されているものを食べる気にはなれないのよ」
「なるほどでやんす」
「でも、もしかしたら寿司の中で玉子が本当は主役かもしれないじゃない。そして他の海鮮のネタは脇役。スケさんは、主役級のネタを食べ損ねてるのかもしれないよ。要は、見方を変えるだけで見える世界は変わる」
なんとも珍妙なこじつけである。ちなみに、昔江戸時代の寿司屋は立って食べるマクドナルドのようなファストフードで、だいたい暖簾が庶民の手拭き代わりになっていたらしい。暖簾が汚い店だと、それが繁盛している店の証となっていた。
「えーそんな不衛生なお店に、あちしは行きたくないでやんす」至極まともなことをカクさんは述べる。
「ふむふむ。でも、その時今のようにコロナが流行っていたら大変なことになっていただろうねえ」腕を組んで、神妙な顔をして私は言葉を口にする。カクさんと同じく、当たり前に皆感じるであろうことを、さも自分が発見したかのように話すのが、私の妙技である。
「まあ、そのときはコロナがなかったから平和だったのであろう」
「それはそうだ。いやはや、我々は辛い時代に生まれてしもうたのう」
いい歳をした大人たちが、寿司をつまみながら取るに足らぬ話を、膝突き合わせてしているわけだ。時計は回転速度を上げていく。楽しい時間ほど過ぎ去るスピードが早くなっていくのはいったいどういう訳だろうか。
「ところでカクさん、お主最近どこか行きたいところはないの?」スケさんは、突然思いついたように声を上げる。
「そうねえ、あちしは基本お二人についていくだけだからねえ。でも強いていうならば、ボートレースへ行きたいわあ」
「おろ、お主意外と勝負師なのね」
ということを言っていたら、次々とカクさんの口から今年やりたいことが次々と出てくる。私はその様子を見ながら「ははあ、なるほどねぇ」と一人悟った気分になっていた。
私自身も実のところ、やりたいこと経験したいことがたくさんある。どうにもこの歳になっても一緒に語らいあい、同じ酒を嗜むということはそれなりに馬が合うということだろう。
そうして毒にも薬にもならぬことを、私たちは鈍くなった頭で次々と口にする。次第に呂律が回らなくなり、日常と虚構の区別がつかなくなってくる。ついには、カクさんが「あちし、もうダメですわあ」と言って小さなちゃぶ台の上に突っ伏して寝息を立て始めた。
仕方ないので、スケさんと私は正体して、ちびちびと日本酒を飲むことにする。互いに他愛もない話をつらつらとしながら。
「それにしてもあれだねぇ。もうだいぶ未知のウイルスが蔓延して久しいけど、そろそろ我々の預かり知らぬ世界をもう一度旅したいもんだよ。今の世の中は、やることが制限されてちと平凡だ」
「確かに。でも、私は割とこうして知己の人たちと過ごす時間もなかなかに悪くないと思うよ。本当に酔ってるから言えることだけど、さ」
たぶん、酔ってないとこんな赤面するような言葉を発することができない。こうして気の置けない人たちと過ごす時間がいかに大切であるかと言うことを教えてくれたのも、このコロナ禍の恩恵かもしれない。
全ての物事には、光と影が存在していて、何もかもが表裏一体だ。
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「ひょえ!」
先ほどまで船を漕いで、ひとりどこか遠くへ旅していたカクさんが、突如としてガバッと起きた。
「どうした、カクさん」
「あちし、先ほど虎に襲われたんだけども、なんと横からフーテンの寅さんがさっと横から出てきて、追い払ってくれたのよぉ。ひょうきんな顔してやるときはやる男ねえ。振られてばかりだと思ったけれど、見直しちゃったわ」
どうやら、今の世もなかなかに平和らしい。
ということで、だいぶ遅くなりましたが今年もよろしくお願いいたします。(どういう終わり方か・・・)
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