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#19 銭湯についての愛を語る

 先日友人の結婚式があり、お呼ばれした。式当日まで、現在の状況を鑑みつつ決行したとのことだったが、やはり人が幸せそうにしている瞬間はよいものである。おいしいお酒と食事が次々と運ばれ、主役たちのこれまでの歴史を振り返る。式場に併設された協会では、神父が愛の誓いの仲介者となって、まじめな様子で言葉を紡いでいた。

 式が終わった後、友人たちとともにそのままプチ二次会へと雪崩れ込んだ。ある程度この状況を理解していので、押上近辺であらかじめ安価な宿をとっていた。間近で見るスカイツリーは、なかなかに壮観である。わたしはどちらかというと、東京タワー派であるが。

 なぜかたまたま近くにいたスケさんも、押上で泊まることにしますと連絡が来たので、一緒の部屋で寝ることにした。二人で寝ることの利点は、安い料金でそれなりに豪華な部屋に泊まることができることだ。その夜は、比較的すぐにぐっすり眠った。

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流れゆく文明

 次の日の朝、いやに爽やかな空気が流れていた。散歩のついでに、銭湯へ行くことを思いつく。

 そう、街の人から愛される庶民の救世主、銭湯。わたしは今マンションに住んでいるのだが、どうしても一人暮らしだと湯船にお湯を張る時間がじれったくてシャワーで済ませてしまう。でも、実は大の湯船好きなのである。熱い湯に浸かった際の至福のひとときを、どう人に表現すればよいのか。なかなか難しいところである。

 最初、スケさんが渇望していた蛇骨湯じゃこつゆ(なんともおどろおどろしい名前である。妖怪にいそう。)という銭湯に行こうとしていたのだが、なんと閉館していた。スケさんはその事実を知った瞬間、しばらく深い悲しみに暮れていた。(「あの黒いお湯がよかったのに、、全身スベスベになるんですよ。本当に素敵な場所だった。天然温泉だし、富士山も描かれていたし、お湯の種類もたくさんあったし」)

 10年ほど前にリニューアルしたばかりだったそうだが、都市開発の一環で閉業となったらしい。それを聞いたスケさんは、猛烈な怒りを隠せない様子だった。(「高層ビルですと……、それはけしからん!世の御仁方々は、本当に由緒正しきものを壊すのが好きなのね」)

 そういえば、わたしが好き好んで行っていた大江戸温泉も去年閉館してしまったというし、世の流れは速すぎて置いていかれそうになる。まあ蛇骨湯と比べると、20年ほどの歴史なので浅いことは浅いのだが。

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 迷った挙句、我々は泊っているところからほど近い、大黒湯へ向かうことにした。自販機のようなもので券を買い、番頭さんに渡すと札をもらった。意外と若い。番頭さんは、ニコニコとしたおばあちゃんというイメージだが、これは偏見というものだろう。札をもらうところだけは、妙に古風な感じで好きである。

 脱衣所へ行くと、昔ながらの体重計がちょこんと置かれている。受付で受け取った札は、ロッカーに差すためのものだった。カシャンと入れると、ギイとなる。年季を感じる音だった。朝は人がそれほどいないと思っていたのだが、予想は裏切られ、中にはたくさんの人たちがひしめき合っていた。

 ピリリとした炭酸風呂、露天風呂、薬湯、水風呂、サウナなんてもござれ。しかも扉を開けた先には、2階に通じる階段がある。上へ登ると、ウッドデッキが用意されていてなんとスカイツリーを臨むことができる。なかなかに良い銭湯であった。

※温泉マニアである塩谷さんも行ったことがあるらしい。確かにほぼイラスト通りの雰囲気である。良い。

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全身が解けていく

 はるか昔から銭湯のようなものがあったにはあったそうだが、古代ローマと比べるとその歴史は見劣りする。日本人が石器で動物を追っかけている間に、かたやローマの人たちはすでに浴場を築き上げて湯に浸かっていたというのだから驚きである。

 結局日本で本格的に普及し始めたのは江戸時代である。やっぱり江戸っ子は血気盛んで汗っかきだったので、風呂に入る機会も多かったのだろう。いやはや、これも偏見だ。しばし、控えよう。

 体と髪の毛をガシガシ洗って、ざぶりと湯に浸かる。その瞬間がわたしは一番すきだ。すべての思考が、リセットされる。ふぅと思わず息を浅く吐いた。日常の目まぐるしさに、時々ついていけない自分がいる。だから、こうして何も考えずに熱い湯に浸かることが大切な気もしてくる。

 この世界に切羽詰まってすぐにやらなければならないものなんて、存在しないのではなかろうか。みんな、見えない何かに急き立てられていて死に物狂い。身体中の血管という血管が解けていって、次第に眠たくなってくる。さっき起きたばかりなのに。

 不意に頭の中におけの中に入ったひよこが浮かんできたと思ったら、千と千尋の神隠しに出てきたオオトリ様だった。彼らはなんらかの理由で鶏になることができなかった神様らしい。なんだか、切ない。ピヨピヨ。

https://www.ghibli.jp/works/chihiro/より

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爽やかな朝は甘くない

 湯船から出て服を着る。その瞬間、不思議なことにまるで憑き物が落ちたかのようにすっきりとした気分になった。ふっと心が軽くなったような感覚。わたしの中にある黒々とした墨の塊が削ぎ落とされたように感じた。きっと健全な肉体から、愛は生み出される。

 せっかくだから、フルーツ牛乳を飲むことにした。大黒湯にあったのは、パイン味だった。ベタつかない、程よい甘さ。湯上がりにはちょうど良い味わいである。飛騨高山なんだね。

 気軽に行ける銭湯、朝から入ったのでなんだか得した気分になった。今日は一体どんな日だろうか。生まれ変わったような気持ちで、着た道を戻る。実に清々しい朝の始まりだった。


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