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#33 オアシスについての愛を語る

オアシス【Oasis/名詞】
 砂漠の中で、水が湧き、樹木の生えている所。
 疲れをいやし、心に安らぎを与えてくれる場所。憩いの場。「都会の―」

goo辞書より

 定期的に水が恋しくなる。ぼんやり日常を生きていると、カラカラに自分の中が空っぽになっていく心持ちになるので、定期的に自分の中が乾き切らないように、何か満たされるものを探している。歳を重ねるたびに、昔よりも乾燥する速度が上がっている気がして、原因をふと探している。

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ひとしずくの記憶

 人間とはその肉体のほとんどが、水分でできているらしい。だいたい比率的には6割以上で、時折自分の体の中からポコポコと聞こえてくる気がする。暑い日になると、自分自身が蒸発して消えて無くなってしまう妄想に駆られた。

 菅野さんの記事を読んでいると、不意に、思わず唐突に昔、自分が学生だった頃のことを思い出す。彼らの、最初の一音を聞いたときにわたしの中で消化しきれないモヤモヤが、どこかスッと霧が晴れたようになった時のこと。やるせなさはハッと気がつくと、どこかへ放り出されている。

 菅野さんご自身は、普段短編を書かれている。おそらく英米文学を専攻されていたためだろうか、その語り口の心地よさがクセになる。主体的でありながらも、どこかで生きることに対して一歩引いて、自分の生活を省みている感じが心地よい。

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オアシスとBeckとギターと

 かれこれ10年ほど前の話になるが、当時わたしは仮面浪人という形で1年ほど予備校に通っていた時期がある。どうしても第一志望の大学へ行く夢を諦めきれず、がむしゃらにもがいていたのである。

 その時、通学の間に聞いていたのが、オアシスの『Stop the clocks』というベストアルバムだった。ハマったきっかけはなんだったか、今もって思い出せない。その当時、大して歌詞の意味については興味がなくて、とにかく気だるさと情熱の中に身を任せたかっただけなのかもしれない。今改めて聞くと、ああ一つ一つの言葉に意味があるのだと自覚的になる。

 並行して、学生時代を謳歌した折に貪るように読んだのが、『BECK』という漫画だった。かねてより、わたし自身音楽に向き合いたいと思っていた。たまたま手にした青春ロック漫画は、わたしの心を掻き乱す。消費的に過ごす日々の中で、何か言葉に表すことのできない燃焼不良感に苛まれていた自分が、ふとした拍子に爽やかな息吹を纏ったかのような。

 『Beck』に登場するコユキという少年は、ともするとガラスのように脆く、読んでいてハラハラする。ふっと我に返ると、うまく言葉を発することができずにもたついていた自分と重ね合わせていた。気がつくと周囲が醸し出している空気の流れに抗うことができず、自分が誰なのかよくわからなくなっている。

 奇しくも高校生の頃、なにか抑えきれない衝動のようなものが、自分の中にわだかまっていた。それを解消する手立てとして選んだのが、アコースティックギター。当時仲の良かった友人が華麗にギターを弾いている姿を見て、強い憧れを持ったのだ。

 主にギターにはドレッドノートとフォークタイプという二つの種類があって、わたしは店員に勧められるままドレッドノートを選んだ。想像よりもボディが大きく、一定の存在感を主張していた。当時テニス部として精力的に活動する一方、ズボッと何かに導かれる形でギターにはまり、勉強そっちのけで弦をかき鳴らし、気がつけば手の指の横は固くなっている。

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 予備校では仲が良くなった友人というのもさしておらず、刺激的な出来事も起こるでもなく、下宿先と往復する日々だった。そんな中、唯一言葉を交わすようになった人がいて、その人は折に触れ喫煙所で煙草を吸いながら「これって、意味あるのかなぁ。実を結ぶのかな」と事あるごとに言っていた。トロンとした眼差しで。

 結局わたしは運よく行きたかった大学に合格して編入学し、また一から人間関係を構築することになる。予備校でただひとり言葉を交わしていたその人は、果たして希望の学校に入れたかもわからず、そのまま今に至るまで顔を交わす機会はなかった。

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実写化のジレンマ

 大学に編入後、どういうきっかけかは忘れたが、『Beck』の実写化された映画を見た。単なる興味本位だったかもしれない。

 基本わたしは原作が映画を超えることはできないという固定概念を抱いている節があり(もちろん予想を大きく上回るものもあるにはあるが、それは割とレアケース)、Beckを観るときもさほど期待はしていなかった。結局その思いは残念ながら裏切られることはなかったが、最後に流れたOasisの『Don’t Look Back in Anger』を聞いたときに正直少しブルっとした。

 2017年にマンチェスターで起きたテロ事件。誰かが歌を歌い始め、やがてそれは漣のように広がっていった。「人にやられたらやり返す」、その考えに囚われて我を忘れるなという戒めの意も込めて。負の連鎖はどこかで断ち切らなければならない。日々暮らす中で、気分が塞ぎ込むこともあるけれど、少しずつ自分だけの「心の安らぎ」を抱えておくべきだと思った。

 少しずつ少しずつ、見えないところで思いの外自分の中でストレスが折り重なっていて。時々爆発しそうになるけれど、なんとか押さえつける。結局殴るように感情を迸らせても、何も生まないことを何十年と生きて学び、どうにかこうにかグッと堪える。擦り減って、擦り切れて、雲散霧消していく。

 自分を保ち続けるものを探し続けている。自分の中のカラカラに乾き切った砂漠を、そっと満たしてくれるような。自分の中に流れる水のせせらぎに耳を澄ませる。そんなご都合主義はないよな、と思いつつも目の光を絶やさず前を向き続けることは、今をより善く生きる術であると信じて。

 自分の中に流れ続ける絶え間ない水の流れこそが、きっと愛に連なる一歩なのかもしれない、そう思いながら。最近また、アコースティックギターを思いきりかき鳴らしたいという衝動に駆られている。


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