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もしも、野原に花まるが咲いてたら。【不登校って、なにか詩ら?】

もしも、野原に花まるが咲いてたら。

ハルジョオンとか、ナズナとか。
スミレとか、タンポポとか。
色とりどりの野花にまじって
もしも、野原に咲いてたら。
花まるが、お花のように咲いてたら。

わたしはそれを大切にもちかえって
おかあさんにプレゼント。
背中にかくした花まるを、
「おかあさんに、これあげる!」
さっと高く
さしだしたら、
おかあさん、なんていうかな。

「あら、まあ」
葉っぱのついた花まるをみて、
おかあさんは目を
花まるみたいにひらくかも。
「花まるうれしい。ありがとう!」
そういって、
子どもみたいにはしゃぐかも。



ひろがる緑のくさはらに、
もしも、花まる咲いてたら。
野原まるごと花まるの
お花畑であったなら。

わたしは両手を大きくひろげ、
お花畑をだきしめる。
それからあたりの花まる摘んで、
大きな大きな花束つくろ。

わたしの野原の
わたしの花まる。
かぞえきれない
赤い花。

そんな花束もってたら、
学校にもいけるかな。
先生の顔をみて、
ちゃんと伝えられるかな。

本当は、花まるがほしかった……って。
おっきな赤いバツではなくて、
花まるがほしかったって。

そうしてわたしの赤い花、
先生にもわたせるかな。
「先生、どうぞ」
にっこり笑って先生に
花まるひとつ、
あげられるかな。


noteに投稿を続けていると、思いがあっという間に言葉になって、そのまま記事になるときと、書いても書いてもまとまらず、何万字も下書きに言葉を連ねてようやく形になるときとがあります。
どちらがいいわけでもなく、どちらに、より愛着があるわけでもありません。
記事はただ、それにふさわしい方法で、ある日、ちゃんと生まれてきます。

書いても書いても思うようにまとまらないと、焦る氣持ちばかりが募ってしまう……そんな時期もありました。
「書けない、書けない」と、つい思ってしまう。
でも、実際には、ちゃんと書けています。
投稿ができていないというだけで、わたしの思いはもう何万字も、ちゃんとそこに紡がれています。

以前、別の記事でも書いたことがあるのですが、わたしはたいてい「インプット書き」とも呼べるような文章の書き方をしています。
「書きたいことを頭のなかにまとめておいて、それをアウトプットする」という書き方のかわりに、「これについて書こうかな」という漠然とした思いだけで記事を書き始めるのです。
そうすると、書いているうちに、言葉がそこに集まってくる。自分でも知らなかった自分の思いが、文字になって並んでいく。
書くほどにインプットが起こる、「インプット書き」。

だから、記事を書く時間は、自分探しの時間でもあります。
自分自身へ向けられたわたしの問いに、まるで待ち構えていたように一瞬で答えが示されることもありますが、答えを探るのに、はてしない時間が必要なときもある。
投稿されないまま書き溜められた下書きは、そういう自分探しの軌跡でもあります。

その視点でみれば、今回ほど、自分探しに時間を費やした記事はありません。

テーマは不登校。
もうずうっと前から、思いを書き溜めては、下書きに保存することを繰り返してきました。

その下書きは8万字に及び、わたしが学校に対して感じてきた違和感が綴られています。
それをうまくまとめて記事にする。
最初はそのつもりでいましたが、いつまでたってもまとまらない下書きをみるにつけ、どうやらわたしが本当に書きたいのは、その違和感の部分ではないのだ……ということがなんとなくわかってきました。
まさに、自分探しの道程です。

そんなときふと、冒頭に置いた「花まる」の詩が心に浮かびました。
詩に描かれている花まるの野原が、本当にそこにある風景のように目の前にひろがったとき、ああ、そうか……と思いました。
そうか、そうかあ……。
わたしは、ここに向かって歩んできたのだな……。


わたしには、息子が二人おります。
そして、どちらも不登校を経験しています。
もちろん、それは苦しさとともに始まった日々でしたが、いまとなっては、なにものにもかえがたいたからもの。そこを通らなかった自分の人生を、いまは想像することができません。

子どもたちがわたしにくれた不登校という経験は、ひとことでいうなら、わたしに「自由」を与えてくれたのだと思っています。
常識、思い込み、批判、期待、心配、依存、枠、評価──思いつく、すべての束縛からの自由。

学校にいかれなくなった子どもたちと過ごすなかで、わたしは「手放す」ことを学びました。
それまでの価値観にしがみついていたのでは、前に進むことができなくなったからです。
それで、大事に握りしめていた自分の価値観を、ひとつひとつ手放していったわけですが……いざ、手を放してみたら、そこにはなにひとつ、わたしに必要なものはなかったのだと知りました。
大切だと信じてわたしが握っていたのは、自分を縛る鎖に過ぎず……だから、手放せば手放すほど、わたしは軽く、自由になっていきました。それは思いがけず味わうことになった、無上の解放感でした。

最近では、このまま空を飛べるのでは……と錯覚するほど心身が軽くなりましたが、そんな軽さのなかでも、ふと学校に思いが及ぶと、急に心が重たくなる──それだけは、なんともできずにおりました。

学校って「へん」だよなあ……と、わたしはよく思っていました。
それはもう、子どもたちが学校に通えなくなるずっと前から──長男が小学校に入学したその日から続いていました。
たとえば、入学したての子どもたちに向かって、先生が教室の前方で腕組みしながら、「静かにしなさい」という。
「静かにしてね」、あるいは「静かにしてください」なら、いくぶんショックは小さかったと思います。
でも、先生が子どもたちに、静かにすることを腕組みして強要する……目の前で起きているそのことを、わたしはどうしても、好意的に受けとめることができませんでした。

生きるエネルギーに満ちた、好奇心の塊みたいな子どもたち。そういう子どもたちに、「静かでいる」ことを「命令」する、そのことの重大さを、先生方は自覚していらっしゃるのだろうか。
「先生、どうして静かにしなくちゃいけないのー?」
もし、わたしが生徒なら、大きな声で先生にきいてみたいと思いました。
どうして静かにしなくちゃいけないの?
静かにするより大切なことが、たくさんたくさん、この世界にはあふれているのに。
それを吸収するやわらかな心を、子どもたちは例外なく持っているのに。
「静かにしなさい」という「命令」は、そんな子どもたちの純粋な好奇心を、わざわざ鎖で縛りつける言葉ではないか……とさえわたしには思えました。

子どもたちに話をきいてほしいなら、おもしろい話をすればいい。
「静かにしなさい」と「命令」をしなくても、子どもたちが自然に静かにしたくなる、そういう状況をつくればいい。

もちろん、それが口でいうほど簡単ではないことは、わたしにもわかります。
でも、簡単ではないからこそ、真っ直ぐに力を注いだらいいのではないのかな、とも思います。
ご自分の力を、子どもたちを静かにさせることに使う余裕があるのなら、その分のエネルギーを本当に大切なことに注げばいい。

そんな感じで始まった、わたしの保護者としての学校生活ですから、授業参観でも行事でも、多くの疑問符とともに過ごすことになりました。
学校って「へん」!そう感じてしまう自分の心を無視するのは難しかった。

そういう話を幼い息子たちとしてきたわけではないのですが、息子たちも似たようなことを感じて過ごしていたのかもしれません(わたしの思いに影響を受けた側面も、もちろんあるかもしれませんね)。
それぞれ、ある日学校にいかれなくなりました。

とてもびっくりしました。
自分自身が学校に対して、「へん」という氣持ちをこんなに強く持ちながら、息子たちがその学校に通えなくなることは、想像していませんでした。

「へん」という言葉は、よくよく考えてみると、とてもへんな言葉です。
「へん」というのは、「普通」じゃないこと。
ところが「普通」を辞書で調べると、「他と特に異なる性質を持ってはいないさま」とでてきて、それはつまり、「へんじゃないこと」、という意味だと捉えることができます。

「へん」じゃないのが「普通」。
「普通」じゃないのが「へん」。
それぞれ基準さえ曖昧な、「お互いさま」の言葉なわけです。

お互いさま、というのはこういうことです。
たとえば、AさんとBさんがいたとして、それぞれさまざまな面で、全く違う価値観や考え方をもっているとします。
Aさんからみれば、自分は「普通」でBさんが「へん」。
Bさんからみれば、自分のほうが「普通」でAさんが「へん」。
そういうお互いさまの関係。
「普通」にも「へん」にも決まった基準がないのですから、あらゆる物事の間に、その関係が生じます。

当然、「学校」と「息子」の間でも成り立つわけです。
学校にとっては、学校という環境が「普通」で、そこに馴染めない息子のほうが「へん」。
そして息子にとっては、自分が「普通」で、学校という場所こそが「へん」。

ところが実際の不登校の現場では、なぜか、「学校が『へん』」という視点が失われます。
あくまで、学校が「普通」。
本来、「お互いさま」の「片割れ」に過ぎないその価値観が、不自然に固定される。だれもその「普通」を疑わない。

すると同時に、「不登校の子どもは『へん』」であるという価値観が、自動的に固定されます。
「へん」である子どもが「普通」である学校に抵抗なく通うことができるように──みんなの関心がその一点に集約されていくのです。

あれほど、学校を「へん」だと思い続けてきたわたしであっても、そのみえない鎖には、いとも容易くがんじがらめになりました。
学校にいかれない息子を、なんとかしてあげなければ。
学校を楽しいと感じられるようにしてあげなければ。

わたしがそう思えば思うほど、一生懸命になればなるほど、それが、学校にいかれない息子に対して、「あなたは『へん』なんだよ!」と投げつける大きな声になることを──当時は、氣がつく余裕もありませんでした。

不登校の子どもたちの多くは、自分を「へん」だと思い込んでいます。
まわりのおとなが、疑いを抱かず、なんの悪氣もなく、意識すらせずに──そう思い込んでいるからです。

その視点を、「自分が『普通』」であることへ──自ら氣づいてかえていくのは、幼い子どもたちにとって、あまりにハードルの高いことです。
おとなのわたしですら(学校へ、あんなに意を唱えていたわたしですら!)、ずいぶんずいぶん時間がたつまで──息子たちが穴だらけになって、ぺしゃんこになるまで、それに氣がつくことができなかったのですから。

そういう思いを胸のなかでぐちゃぐちゃにかき混ぜて、ようやく消化してきた時間があってこその「いま」なので……もしも、と考えるのは意味のないことですが、それでももしも、「いまのわたし」がもういちど、あの頃の息子たちの不登校と向きあう機会を得たならば、子どもたちの「普通」を疑わない、まずそのスタートラインに立つだろうと思います。
表面的には、大きな違いは生まないかもしれません。
でも、子どもたちにとっていちばん身近なおとなである母親のわたしが、「学校にいくのが普通」だという思い込みをはらりと手放して、その両手で、ただ目の前の我が子をやわらかく抱えたら──不安のなかで日々を送る息子の、少しは力になれただろうと思います。
息子たちが無意識の批判にさらされて苦しんだ時間を、少しは短く軽減してあげられたと思います。
ごめんね。
やっぱりこの言葉が自然とこぼれてきますね。
後悔しているわけではない。
いま息子たちはそれぞれに自分らしく、前を向いて歩んでいる。
わたしが不登校から多くを得たのと同じように、多くの学びを彼ら自身の身につけて。
それでも、ごめんね。

この言葉は……鎖を手放すおまじないかもしれませんね。
このおまじないとともに、そして、ようやく投稿できそうなこの記事とともに、今日、手放そうと思うものがあります。

「普通」という言葉。
「へん」という言葉。
それを批判する言葉。

もしかしたらわたしは、学校を「へん」だと思うことで、自分を守ってきたのかもしれません。
下書きに8万字したためた学校への批判の言葉は、わたしの鎖であり、同時に、わたしの鎧だったのかもしれません。
わたしが「普通」。息子たちが「普通」。
学校が「へん」。
でももう、そんな鎧や鎖はいりません。

8万字、下書きに批判を書きためたあと、花まるの揺れる野原を自分自身にみせられて、その力の大きさに愕然としたのでした。
8万字の批判より、8万個の花まるのほうが力があるに決まっていました。
少なくともわたしは、誰かに8万字の言葉を並べて批判をされても、何かをかえることはできないでしょう。
心が縮こまり、壊れることはあっても、成長することはないでしょう。

有象無象の批判にさらされ続けて、息子たちがどんなに穴だらけになったのか……わたしはちゃんとみてきました。
批判が何も生みださないことを、もう十分学んできたのではなかったか。

それなのに、自分の言葉を批判に使うのは、もうやめよう。
たった一文字でも、もうやめよう。
その相手が人ではなくて学校であっても、それは例外ではないはずです。

難しい方法かもしれません。
先生方が、つい子どもたちに、「静かにしなさい」と伝えてしまうように、批判や命令を「道具」として使うのは、やっぱり手っ取り早いのです。
でも、そのことにエネルギーを割くひまがあるなら、わたしは花まるを育てようと思います。

ふりかえってみて、はっきりとわかるのです。
息子たちが元氣になったのは、我が家に花まるの花が開き始めた頃だった……と。
ただ心配と不安だけが家に溢れた時を経て──ある日、花が咲いたときだったと。

我が家はちっとも完璧な家族ではありません。
でも、花まるの咲く家です。
そうだ。それだけで十分なのでした。

学校だって、それでいいんだな。
完璧でないことで、わたしに批判される必要なんてちっともないんだ。
ただ、教室に、校庭に、先生の言葉に……ときどき、花まるが咲けばいい。
わたしはそんな学校を、少しずつ好きになっていけばいい。

そんなふうに、ともに歩めばいい。
ともにやさしくなっていけばいい。
みんなで、少しずつ、やさしくなっていけばいい。

わたしはまず、8万字の批判の鎖を手放そうと思います。
手放してしまえば、それは自分に必要なかったのだと……必ずわかると知っています。
そして、二度と、自分の言葉を批判のために使わない。
難しくても、ゆっくりとでも、花まるを言葉に添えて使っていく。

多分それが、一旦のゴール。
子どもたちの不登校から、わたしの学んだひとつの答え。

そして、それは、次のステージへの第一歩。
花まるのそよぐやさしい世界へ──わたしの新しい学びの旅の始まりです。







長くなってしまった記事を、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
最後に、Special Thanksとして、おふたかたをご紹介させてください。

ひとりめは、わたしに花まるの詩を書かせてくださった、まるさんです。
まるさんの与えてくださったイメージが、大切な野原のたねになりました。

「未来が明るくなる3分セラピー」というコンセプトで、毎日心温まる、かつ、わかりやすいご発信を続けていらっしゃるまるさん。
はからずも数日前に、自分自身の視点、「自分の目」を大切にすることを素敵な記事にされていました。
お人柄もこのうえなく温かく、まるさんファンがnoteにはたくさんいます!

ふたりめは、不登校についての発信を、根氣よく続けていらっしゃるカオラさんです。
カオラさんにはふたりの息子さんがいらして、どちらも不登校を経験されています(ちょうど我が家と同じですね!)。
自分の息子たちが不登校になった当時のわたしの不甲斐なさと比べて、あまりに素敵で頼りがいのある、お子さんたちのおかあさんです。

カオラさんから発信される、多くの親御さんたちへのメッセージは、まさに生きたエールです。ぴちぴち。
お子さんのことで悩まれている方がいらしたら、ぜひお部屋を訪れてみてください。元氣とヒント、そして不登校にまつわる情報に、きっと出会える素敵な場所です。



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