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自分記事まとめ

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関係者に見せるのが面倒なので端的に
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#機能不全家族

自分のこと13 兄の話

自分のこと13 兄の話

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そろそろ終わるかなー。
書ききれてない補完はあるかもしれないけど。

さて、家族内では最後ですかね。
とは言っても、接点あんまないんだよな。

幼少期は、兄と歳が離れていたのもあり
兄が連れてくる友人に混じりたくてくっついていくことはよくありました。
長男は可愛がってくれましたが、次男はどことなくウザそうにしてました。まあ男の集まりに女児が混ざってると面倒なんでしょうね。
母の胎に道

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自分のこと12 母の話

自分のこと12 母の話

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母の話を書くと長そうだなぁ。寝そう。
今の企業を辞めるにあたっては、自死する前に書かないといけないなではあるのですけどね。

さて書いていきましょう。
母は父と比べれば貧乏ぐらしをしていたそうです。
父は食べ物とか人脈に困ったことは無いと聞いていますが、母はちょっと入り組んでいて
物心がつく前に祖父(実父)と祖母(実母)が離婚しており、シングルマザーだったようです。
女手ひとつで育て

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自分のこと11 父の話

自分のこと11 父の話

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はいでは肉付けしていきます。
多分色々バラバラした情報になりますが、とりあえず今回は父に焦点を絞ろうかな。

そうですね。
父と母は見合い婚です。
理由としては「馬があった」ではなく「悪くなかった」からだそうです。
とはいえ、母の「悪くなかった」は適当感(感覚と少しのコンプレックス)かもしれないですが、慎重派の父が「悪くなかった」と言うのは珍しくも思えます。

出会った理由も、最近の

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自分のこと10

自分のこと10

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さて、今年まで来てしまったので、暗い話は10までかな。11からは肉付けなので、明るい話題も入ろうかと思います。
悪いことだけの人生だから死にたいわけじゃないんだ。自殺防止NPOの方には、意味がわかるだろう?読んでるかは分からないけど。

暫くは、廃人のように過ごしていました。
暮らしに必要なものを安く手に入れる方法は分かってるし(だから元同居人は経済破綻したんだろう)、淡々とやりなが

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自分のこと9 32歳

自分のこと9 32歳

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乗り越えてしまえそうなほどエネルギーが返ってきてしまった。急いで書かないと。
私のこの遺言マガジンは、「乗り越えられない人」「乗り越えられなかった人」が言わずに死んだときの言葉を綴らねばならない。

私だけが立ち上がっても意味がない。
立ち上がれない人をどうしていくかの情報の集積にするべきだから

さて32歳です。厄年ですね。
(数え年が厄年数えになるので女性33歳になります)

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両親について

両親について

noteを遺言状にする手前、34年分の膨大な情報を書き出さねばならないので
とりあえず両親に区切ります。
後の世で役に立てばいいかな。

まずは父について。
こちらはあまり口を割らないので、事細かに書けないのですが
まあ簡単に言ってしまうと昭和の頑固親父です。

一族の成り立ちから、主君を失った落ち武者の武家であり、その一族の総本家がうちです。
まあ平和な世の中になったのでそんなものは効力がないで

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自分の成り立ちとか

自分の成り立ちとか

「にゃーさんってなんでそんな人(頼られ過ぎて疲れる程のお人好し)になったの?」みたいな話を振られたので、ちょいちょい書いてみようかな。

うーんまず、
最初の時点で、父と兄は身体障害者でした。
網膜芽細胞腫。
父は時代柄、身体障害(特に目なんて分野)は発展していなかったため、今でも障害認定はされていません。
ただ、弱視近視網膜芽細胞腫と3コンボかましてる長男は片目がないため、昭和の偏見か言葉のあや

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