911運命の糸に操られた日
アメリカ同時多発テロ事件が起きる直前まで私はフロリダにいました。あれから20年、9月11日が近づくと奇妙な一連の記憶が鮮明に蘇ります。
2001年9月2日、日本出国。ラスベガスで一泊してロサンゼルスへ移動、ビバリーヒルズで仕事を済ませてマンハッタンへ行き会議の後はフロリダでしばらく休養して帰国するスケジュールでした。
ところがマンハッタンの日程が急遽変更になったので先にフロリダで休んでから9月11日にマンハッタンへ行くことに決まりました。
思えば、この時から奇妙な運命の糸に操られることになりました。
フロリダで羽を伸ばしてマンハッタンへ行く用意をしているところへ再び連絡が入りました。
よほどの事情があったのか異例の日程再々調整を懇願されましたが帰国後の予定があったので相手の要望に合わすことができず話し合った結果マンハッタン行きを取り消しました。
帰国の朝は快晴。出入国のフライトは保安のためJALを利用することにしていたのでフロリダからエアバスでシカゴへ飛びシカゴからJALに乗り継いで日本時間9月11日夜に帰国しました。
帰宅して、起きたばかりのテロ事件を緊急報道しているテレビを見て、一連の奇妙な出来事は運命を操られていたのだと知りました。
二転三転した異常なスケジュール変更、ただの成り行きだと思っていましたが、それは、あの時間にあの場所でテロ事件が起きるからでした。
予定通りワールドトレードセンターのすぐ近くの会議場所へ行っていたら事件に巻き込まれた可能性があったし、幸い難を逃れても帰国できず確実に足留めされたでしょう。
しかし、私の運命のオペレーターは寸分の狂いなく私を日本へ連れ帰りました。
私は子供の頃から、こういう奇妙なことを数えきれず体験しているので一連の奇妙な出来事も又いつものやつだと独り合点しました。
老子は人の人生における生と死は同じサイクルの中にあると説いています。
人が或るイベントに遭遇した際の生死は紙一重であり、その人に死がつけいる隙が有るか無いかで決まるといいます。
2977人の犠牲者がでたアメリカ史上最悪のテロ事件。
死がつけいる隙が有るか無いか…
人は壮年期になると心身が整うがゆえに、仕事へのこだわり、自己実現へのこだわり、人生へのこだわりが強くなる。
人は壮年期をしきりに動いて死に近づいてゆく
私にとっては、そんな老子の言葉を教訓として心に刻んだ事件でした。
事件のすべての犠牲者に心から哀悼の意を表します