見出し画像

抜け殻の創作意欲はどこへ向かう。


記憶は更新されていく。


8歳の時は3歳の時の記憶があったけど12歳になると忘れてしまって、12歳の時の8歳の記憶は20歳ではもうなくなる。


よっぽど印象的な記憶しか残っていない。

小学生の時に、両親に3歳の時の思い出を話したことがあり、
その時に「よくそんなこと覚えているね。」と言われ、小さいながらに思った。

あ、これ大人になったら忘れるんだ。と。

だから、忘れたくない思い出や出来事はノートに書いたり、たまに思い出すことにして守ってきた。

これはその中の1つである。
前に書いた自己紹介の記事にも人生の1項目として入れてある。

少し苦い。思い出の話。

幼稚園の頃の話。



自分で考えた怪獣の絵を描いていたり
飛び出す絵本を作ったり
ブロックで大きなロボットをつくったり
幼稚園の池にいる鯉に雑草混ぜたエサを作ったり

僕は毎日何か"変わったもの"を作っていた。

作るのが好きというより、そこにはもっと大きな理由があった。

先生を驚かしたかったからだ。

いつも野原先生は僕のことを褒めてくれた。



「わたしは、このドーナツかいじゅうが好きかなー。」


「すごい!それ自分で考えたの?」



その言葉と笑顔が大好きで、
どんぐりを拾っただけでも見せに行ってた。

幼稚園には小さな山があって、植え込みに丸く刈り取られた木が茶畑みたいに並んでいた。その中に秘密基地を作ろうとして、木を折っていて怒られたこともある。

「木もけーたくんと同じように生きているの。手を折られたら痛いでしょう?木も痛がってるよ。」

いろんなことを教えてもらった。


「先生!いいことおもいついたー!」と話すと


「すっごーい!いまの気持ちおぼえててね。」と言われた。



ある日、

砂場でお城を作っている子がいて、それを壊した。

「なんでそんなことするの?。」


その時はわからなかったし、こんなはずじゃなかった。
褒められているその子が羨ましかったんだ。



先生がすきだった。

毎日何かプレゼントした。


「これ先生にくれるの?やさしいね〜。」

プロポーズもした。

「いいよー。けいたくんが大きくなったらね。」


そこからもいろんなことがあって

僕は年長に上がった。


早くもっと大きくなりたかった。


それから担任の先生がベテランの先生に変わって

野原先生は幼稚園に来なくなった。理由はわからなかった。


ベテラン先生も気さくで楽しかったけど、

僕は毎日、野原先生のために描いて、作った。


”夏に戻ってくるらしい。”


友達からそんな話を聞いた。

その時を楽しみに待った。



だけど、卒園式になっても先生は幼稚園に戻ってこなかった。



卒園式で園長先生の話の後、

野原先生からお祝いの手紙があった。

いわゆる、祝辞。


「それでは、ご結婚された野原先生から、みんなにお祝いのお手紙が届いています。
 読みます。”みんな、おめでとうござい、、、

この内容は全く覚えていない。


だけどすごくびっくりして、落ち込んだことは覚えている。
おそらく生まれて初めての感情だったのだと思う。



「うそつき。」


大人はうそをつく。そう思った。


やっぱり大きくなりたくない。


見てもらいたかったお絵かき帳の怪獣たちも、

集めた綺麗な石も葉っぱも全部いらなくなった。

小学生になって、それらはどこかへ行ってしまって、
僕の記憶からもどんどんなくなっていった。


けど、たまに出てくる。


あの時の気持ちが。


「これいい!」

「あ、これ作りたい!」って


宝物や思い出は枯れてなくなっていったけど、
何か作りたいって気持ちだけ根っこが生えて一緒に育ってきた。

物作りに関わる今の人生もあの日から始まってたんだと思う。


「いまの気持ちおぼえててね。」






記事を読んで「しょーがねーなー。ケータにプリン奢ってやっか!」と思った方はサポート頂けると嬉しいです ٩( ᐛ )و 笑