記事一覧
●マンティコア 怪物●
観るかどうか少し迷っていた。予告編を観ても、必ず観たいという気がしなかったからだ。
しかしなんとなく引っかかり、チャンスがあれば行かなくてはと思い、そしてそれは正解だった。
ひとことで言うと「ヤバい映画」である。サブカル映画としても、恋愛映画としても、ノワール映画としてもヤバいのである。
人柄の丁寧な描写に登場人物を愛し始めた矢先、じわじわと広がってくる闇。
具現化しないだけで、誰しもが内包しう
●エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命●
生まれながらに宗教と密接な人と、そうでない人がいる。
私は後者で、日々の生活で信仰を意識することはない。一応の所属があることを思い出すのはお墓参りやお葬式くらいだ。
だから信仰が生活の一部である感覚を想像するのは難しい。
しかしそのように信仰に明るくない私でも、この物語の恐ろしさはわかる。そして信仰と密接な人にとっては、きっともっと恐ろしく感じることだろうと思う。
この映画は、まだ6歳のエルガル
●台所のおと/幸田文●
幸田文の文章を、流れるような美しい日本語、と評するだけではとても陳腐に聞こえる。けれど一言で表すとしたら美しいというよりほかない。
過ぎてしまったかつての時代には生き生きと使われていた日本語の表現。いつのまにか画一化され、柔軟さを失ってしまった言葉たち。ああそうだ、こういう表し方もあったのだ、この言い回しの方がぴたりとはまる、といった日本語の使い方に改めて出会い直し、心が清涼となる。
濃紺、雪も
●あこがれの喫茶人●第3回 喫茶店は"ただ行く"もの
以前俳優の柄本明氏が、今は亡き伴侶とともにテレビ番組の取材を受けていて、行きつけの喫茶店を紹介していた。
喫茶店には毎日二人で行くという。どんなことがあっても喫茶店には必ず行く。ケンカをしていようが何しようが、喫茶店には「ただ行く」と二人で声を合わせて言っていた。
何をするでもなくコーヒーを飲みながら時間を過ごすために、ただ行く。
私が眺めて憧れていた喫茶人たちも、ただ来ているといったふうだった
●私と珈琲と衛星ができるまでの地図 〜はじめに〜●
まずはじめに断っておくけれど、この連載は喫茶店ができるまでの具体的な工程やハウツーではない。だからそれを期待して読むと期待外れかもしれない。
ただ、なんの資格も技術も持っていなかった人間が小さな喫茶店を開くことができたというのを知るのことはできる。
そして、それを語るには自身の生い立ちだとか性格だとかの自己分析を絡めながらでないと、まるで色も中身もない上辺だけのものになってしまうだろう。
だからと
●春とコーヒーの話●
初夏のような暖かさになった今週は、コーヒー抽出の湯温を1℃下げました。
冬の22℃と春の22℃、同じ室温でもお湯の温度の下がり方が違います。
抽出中に自然と湯温が下がる冬と、下がりにくい春。
同じ湯温でスタートすると味に違いが出るのです。
先週は淹れていて、いつもよりやや苦味や酸味が出やすいと感じました。
今週は湯温を下げてみたところ、いいバランスに落ち着いたようです。
たった1℃ですがコーヒー
●あこがれの喫茶人●第2回 喫茶人は馴染み上手
喫茶人の素敵だなと思うところに「馴染み方」というのがある。行きつけの店の空気に溶け込むように馴染むのである。
行きつけだからといって我が物顔をせずに入店し、お気に入りの席が空いてないとしてもさっと別の席に座る。
常連だからといって我先にということはせず、注文が決まっていても店員から声がかかるまで待つ。
店への信頼と言ってもいいかもしれない。よほど席数が多くて顔馴染みの店員もおらず見逃されているよ
●モンタレー・ポップ●
私はママス&パパスが好きだ。
当時の彼らの姿を見たくて行ったのだけれど、1967年がそのままそこにまだ続いているようで胸が熱くなった。
生まれる前のことなのに、私もその場にいたような郷愁にも似た感情はなぜ起こるのだろう。
時代の熱が確実に収められているからだろうか。
感度のいい人が集まっているのか、観客が全員おしゃれでそれぞれに似合う服装をしていてそれを見るのも楽しい。
また、当時からステージの
●英国式庭園殺人事件●
12枚の絵の構図とともに物語が進み、まるでパズルのように散りばめられた不穏と違和が最後まで続く。
もう一度観てその正体を確かめたくなる。
ピーター・グリーナウェイという監督の名を思い出すのには少し時間がかかった。
しかし「ZOO」というタイトルと照らし合わせてやっと繋がった。
20年近く前、1本100円の旧作映画を週に2~3本借りてとにかく観ていた。
もう一度観たいリストに書いたのがその映画だ。
●Ghost Tropic●
かけ違えてしまえば、いつのまにか知らないどこかに立っている。
はるか遠くではなく、ほんの少し先に、まるで旅先のように待っている。
始めから終わりまで構図がすばらしい。
美と心の動きが明確にそこにある。
ブリュッセルのあの夜を私も徘徊していたように錯覚し、時々思い出のように断片がよぎる。
●哀れなるものたち●
「自分」になるために世界を知り、誰かと会って、何かを感じて、考える。
世界を見る目を作るために、学ぶ。
成長するということは、それをやめないこと。
成長し続けるということが、生きること。
彼女は人生の喜びも悲しみも急速に吸収し、新しい視線で現在と過去と未来に向き合う。
そんな彼女から、私たちも学び考えることで今までの自分と新しく対峙できるということを教えてもらった気がする。
作り込まれた映像美