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●あこがれの喫茶人●第3回 喫茶店は"ただ行く"もの

以前俳優の柄本明氏が、今は亡き伴侶とともにテレビ番組の取材を受けていて、行きつけの喫茶店を紹介していた。
喫茶店には毎日二人で行くという。どんなことがあっても喫茶店には必ず行く。ケンカをしていようが何しようが、喫茶店には「ただ行く」と二人で声を合わせて言っていた。
何をするでもなくコーヒーを飲みながら時間を過ごすために、ただ行く。

私が眺めて憧れていた喫茶人たちも、ただ来ているといったふうだった。
新聞を広げる、店員さんとおしゃべりする、本を読むなどそれぞれ目的はあるけれど、それを含めて喫茶店に来ることは生活の一部なのだと感じた。
それぞれのペースでそれぞれのちょうどいい時間を過ごす。予定に組み込むだとかルーティンだとかというよりも、もっとおおらかなもの。そろそろ髪を切ろうかなとか、春になったからセーターをしまおうとか、日常の流れの中で自然と決まるような生活の一部として喫茶店に行く。

お茶をする、コーヒーを飲む時間を持つ、というのはどういうことだろう。
川口葉子氏の書籍の中に、とある喫茶店主の言葉が紹介されていて、私にはそれがしっくりきた。
「はぐれている奴には自分をまとめる時間が必要なんだよ」
なんだかこの言葉に理由が集約されているように感じた。
仕事や家族のための時間に追われ、はたと自分に帰る時間というのはきっとそんなに多くない。何かのために働く自分や、どこかに所属している自分。生きているだけの自分自身から自然に乖離している。そうやってはぐれてしまう。
自分をまとめるために喫茶店に行く。ただコーヒーを飲んでいる自分になる。そうすることできっと"自分"がまとまる。
もちろんそこまでの明言できる理由でなくてもいい。行かないと落ち着かないからとか、気持ちをリセットできるからとか、行くことで何かが整うのが、自分をまとめるということではないだろうか。

目的なんかなくてもいい。ただ行って、好きなものを飲みながら、ただいる。
それを当たり前にやっている喫茶人はやっぱり格好いい。


〈珈琲と衛星より〉
お店としても、ただ来てくれるというのはとてもうれしいことです。その方にとって何かがちょうどいい店なんだなと思ってうれしくなります。
毎日通ってくれる猛者はいませんが、ただ行きたくなる店であれたら幸せです。
いつでもお好きな時に、飲み物一杯だけでもお気軽にどうぞ。

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