衛星通信

北海道札幌市の喫茶店「珈琲と衛星」の店主がお届けする衛星通信。 お店のことはだいたいI…

衛星通信

北海道札幌市の喫茶店「珈琲と衛星」の店主がお届けする衛星通信。 お店のことはだいたいInstagramに載せているので、ここではコーヒーのお供になるような読み物だったり、お店と関係のないことだったり、お客様との交流の場にできたらいいなと思っています。

マガジン

  • 読書感想文

    子供の頃に苦手だった読書感想文を大人になってやっと書いてみようと思います。

  • 衛星の勝手に映画ファンクラブ

    喫茶店もそうだけど、なくなってほしくない場所のひとつが映画館。映画館に行く人がひとりでも増えたらいいなという願いで、勝手に応援、勝手に紹介、勝手におすすめします。あらすじ以上のネタバレをしないような感想に努めています。

  • あこがれの喫茶人

    格好よく喫茶店を使う素敵な大人を私はひっそりと「喫茶人」と呼んでいる。 あこがれ、目指す喫茶人の姿とはどんなものか、喫茶店に通う側の目線で紹介していく連載。

  • 私と珈琲と衛星ができるまでの地図

    珈琲と衛星という喫茶店が札幌の片隅にあります。どういう経緯で作ったのか、店主の自己分析や人生観を絡めて少しずつ断片的に語ります。関係ないようなエピソードでも、拾い集めたらきっと大きな一枚の地図になることでしょう。

  • とことん混沌、いつも煩悶

    思ったこと、考えたこと、気になること、どうでもいいこと、つまらないこと、読んでも読まなくてもいいような店主の雑記です。

最近の記事

●台所のおと/幸田文●

幸田文の文章を、流れるような美しい日本語、と評するだけではとても陳腐に聞こえる。けれど一言で表すとしたら美しいというよりほかない。 過ぎてしまったかつての時代には生き生きと使われていた日本語の表現。いつのまにか画一化され、柔軟さを失ってしまった言葉たち。ああそうだ、こういう表し方もあったのだ、この言い回しの方がぴたりとはまる、といった日本語の使い方に改めて出会い直し、心が清涼となる。 濃紺、雪もちの二篇がとりわけ素晴らしい。知らないはずの時代なのに、空気のにおいや手触りさえ

    • ●プリシラ●

      恋は世界に色をつける。 ときめきの色、喜びの色、幸福の色、悲しみの色、苦しみの色、絶望の色。 どんどん移りゆく色、色、色。 14歳から28歳までの彼女の恋。 その感情の流れをドレスや狂乱の遊びが表している。 終わり方がとてもよかった。 ラストシーンで彼女の心情にこちらの心がぐっと近づく。 それにしても主演のケイリー・スピーニーが素晴らしい。

      • ●あこがれの喫茶人●第3回 喫茶店は"ただ行く"もの

        以前俳優の柄本明氏が、今は亡き伴侶とともにテレビ番組の取材を受けていて、行きつけの喫茶店を紹介していた。 喫茶店には毎日二人で行くという。どんなことがあっても喫茶店には必ず行く。ケンカをしていようが何しようが、喫茶店には「ただ行く」と二人で声を合わせて言っていた。 何をするでもなくコーヒーを飲みながら時間を過ごすために、ただ行く。 私が眺めて憧れていた喫茶人たちも、ただ来ているといったふうだった。 新聞を広げる、店員さんとおしゃべりする、本を読むなどそれぞれ目的はあるけれど

        • ●私と珈琲と衛星ができるまでの地図 〜はじめに〜●

          まずはじめに断っておくけれど、この連載は喫茶店ができるまでの具体的な工程やハウツーではない。だからそれを期待して読むと期待外れかもしれない。 ただ、なんの資格も技術も持っていなかった人間が小さな喫茶店を開くことができたというのを知るのことはできる。 そして、それを語るには自身の生い立ちだとか性格だとかの自己分析を絡めながらでないと、まるで色も中身もない上辺だけのものになってしまうだろう。 だからとても複雑で回りくどい内容になる。それでも少しずつ始めてみたいと思う。誰かに何かを

        ●台所のおと/幸田文●

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        • 読書感想文
          1本
        • 衛星の勝手に映画ファンクラブ
          12本
        • あこがれの喫茶人
          4本
        • 私と珈琲と衛星ができるまでの地図
          1本
        • とことん混沌、いつも煩悶
          3本

        記事

          ●春とコーヒーの話●

          初夏のような暖かさになった今週は、コーヒー抽出の湯温を1℃下げました。 冬の22℃と春の22℃、同じ室温でもお湯の温度の下がり方が違います。 抽出中に自然と湯温が下がる冬と、下がりにくい春。 同じ湯温でスタートすると味に違いが出るのです。 先週は淹れていて、いつもよりやや苦味や酸味が出やすいと感じました。 今週は湯温を下げてみたところ、いいバランスに落ち着いたようです。 たった1℃ですがコーヒーは繊細に受け取ります。 湯温で感じる春。 何もかもが軽やか、過ごしやすいいい季

          ●春とコーヒーの話●

          ●あこがれの喫茶人●第2回 喫茶人は馴染み上手

          喫茶人の素敵だなと思うところに「馴染み方」というのがある。行きつけの店の空気に溶け込むように馴染むのである。 行きつけだからといって我が物顔をせずに入店し、お気に入りの席が空いてないとしてもさっと別の席に座る。 常連だからといって我先にということはせず、注文が決まっていても店員から声がかかるまで待つ。 店への信頼と言ってもいいかもしれない。よほど席数が多くて顔馴染みの店員もおらず見逃されているような状況でない限り、頃合いを見つつ待つのである。 そしてその「待ち方」も格好い

          ●あこがれの喫茶人●第2回 喫茶人は馴染み上手

          ●モンタレー・ポップ●

          私はママス&パパスが好きだ。 当時の彼らの姿を見たくて行ったのだけれど、1967年がそのままそこにまだ続いているようで胸が熱くなった。 生まれる前のことなのに、私もその場にいたような郷愁にも似た感情はなぜ起こるのだろう。 時代の熱が確実に収められているからだろうか。 感度のいい人が集まっているのか、観客が全員おしゃれでそれぞれに似合う服装をしていてそれを見るのも楽しい。 また、当時からステージの背景に視覚効果がなされていることに驚いた。 そしてロックはずっとロックなんだよな

          ●モンタレー・ポップ●

          ●英国式庭園殺人事件●

          12枚の絵の構図とともに物語が進み、まるでパズルのように散りばめられた不穏と違和が最後まで続く。 もう一度観てその正体を確かめたくなる。 ピーター・グリーナウェイという監督の名を思い出すのには少し時間がかかった。 しかし「ZOO」というタイトルと照らし合わせてやっと繋がった。 20年近く前、1本100円の旧作映画を週に2~3本借りてとにかく観ていた。 もう一度観たいリストに書いたのがその映画だ。 今回、レトロスペクティヴということで4作品の上映があった。 残念ながら2作品

          ●英国式庭園殺人事件●

          ●Ghost Tropic●

          かけ違えてしまえば、いつのまにか知らないどこかに立っている。 はるか遠くではなく、ほんの少し先に、まるで旅先のように待っている。 始めから終わりまで構図がすばらしい。 美と心の動きが明確にそこにある。 ブリュッセルのあの夜を私も徘徊していたように錯覚し、時々思い出のように断片がよぎる。

          ●Ghost Tropic●

          ●市子●

          なぜ彼女は彼女なのか。 まるで爆発するように世界を引っ掻き、布地が水を吸い込んでいくようにやがてあきらめに満たされていく。 知るほどに思考と感情の泉に石が投げ入れられていく。 その波紋や波立ちに目を逸らすことができない。 観終わっても思考は止まらず、幾度も反芻してしまう。 こんなふうにしか生きられない彼女について、一人でも多くの人に観て考えてほしい。

          ●福田村事件●

          かつてあった世の中は、別世界ではなく今と地続きだ。 地続きの、いつかの現実。 知って、考える。 知って、自分の頭で考える。 自分の頭で考えるということが、今生きる現実に必要だということを、いつかの現実が教えてくれる。 住んでいる場所だとか国だとか、私たちは何かしらの集団の中にいる。 集団には必然の決まりや同調が生まれるけれど、立ち止まって目を凝らしてみないと個人にとって必要なのかはわからない。 目を凝らして考えるための手がかりになる作品。

          ●福田村事件●

          ●哀れなるものたち●

          「自分」になるために世界を知り、誰かと会って、何かを感じて、考える。 世界を見る目を作るために、学ぶ。 成長するということは、それをやめないこと。 成長し続けるということが、生きること。 彼女は人生の喜びも悲しみも急速に吸収し、新しい視線で現在と過去と未来に向き合う。 そんな彼女から、私たちも学び考えることで今までの自分と新しく対峙できるということを教えてもらった気がする。 作り込まれた映像美にも眼福。 荒木飛呂彦が好きな人には好きな世界観かも。 原作を読んでみようかな

          ●哀れなるものたち●

          ●瞳をとじて●

          たくさんのものを失っても残るものが本質であり、希望なのかもしれない。 誰かにについて知る人たちの記憶を集めたら、どのくらい輪郭が描けるのだろう。 おそらく当人には及ばない曖昧なものになるのではないだろうか。 たとえはっきり描けなくても、いくつかの欠損があったとしても、そこに見えているものだけは紛れもない皆の記憶の結晶であり、それがその人らしさなのではないだろうか。

          ●瞳をとじて●

          ●枯れ葉●

          決められた行く先に、静かに落ちる葉のように進んでいく。 しかし大切なものを見つけたときに、その顔の輝くのを決して見逃してはいけない。 人生は薔薇色や灰色だけでなく、無色の時間も長い。 決して谷底ではないけれど、長く続く砂利道の場合もある。 そこにどんな小さな光る石が落ちているのか、それがやがて辺りにどんな色をつけていくのかをアキ・カウリスマキ監督は知っている。 彼らしいユーモアを添えて教えてくれる。

          ●枯れ葉●

          ●数に溺れて●

          100までのカウントに乗って物語は進む。 もしくは100ピースのジグソーパズル。 ピースのひとつひとつが監督の執着の具体化、すなわち計算された美である。 そのピースのいくつかはきっといつまでも不意に脳裏から転がり出てくることだろう。 1988年公開の作品なのにちっとも古さを感じさせないのは、年代よりも映像としての美しさが勝るからであろう。 「英国式庭園殺人事件」を観た時もパズルを連想させられた。 ピーター・グリーナウェイ作品にとって、もしかしたらストーリーはそれほど重要では

          ●数に溺れて●

          ●PERFECT DAYS●

          繰り返しているようで同じじゃない、今日という日の残像。 小さな美しさ、小さな楽しみ、小さな日常、小さな世界、小さな愛。 それをどのように感じるか、何を守りたいのかが、その人の美学になる。 いつまでもしみじみ、しみじみと、映画の断片が幸福なものとしてよみがえる。 彼のようにゆずれない自分だけの美しさと確固たる世界を手にしたいと思う。 上を見たり下を見たり、踊らされている自身の姿に気づかされる。 君の幸せは、大事なものは何、と問われ、改めてガラクタに埋もれたそれらを掘り起こして

          ●PERFECT DAYS●