●ともしび●
ともしびがまたひとつ消えようとしている。喫茶店のことである。
好きな場所、また行きたいと思う店は、きっと"ともしび"のように心に明るく残る。しかしどんな場所も永遠にそこにあり続けることはない。どんな理由であれ、遅かれ早かれいつかはなくなってしまう。
札幌に開業して17年目を迎えるBBCこと「Brown Books Café」が閉店してしまうという。つい先日、映画を観る前に立ち寄ったばかりだ。
いつも時間ギリギリで映画館に滑り込むのがほとんどの私だが、その日はちょうどコーヒーを飲む時間が取れたので、何かに導かれるようにふと思い出して寄った。
ブレンドとシナモンドーナツ。村上春樹の「羊男のクリスマス」の中にシナモンドーナツが出てくるのだが、少し前にそれをパラパラと読み返していて無性に食べたくなっていた。メニューに見つけてすぐに注文を決めた。
運ばれてきたのは、イースト系のふかっとした大きめの穴あきドーナツ。もう見た目だけでも完璧である。味ももちろん、羊博士も満足のシナモンドーナツたるシナモンドーナツであった。
そして目に止まったコーヒー専門誌を何気なく開いてみると、大変興味深い内容に当たり、コーヒーとドーナツと共にとても有意義なコーヒータイムとなった。
ちょうど立ち寄れる時間があり、この店をちょうどよく思い出し、ちょうどいいメニューとちょうどうれしい内容の本。本当に導かれたような気がして、心のともしびがさらに明るくなった。
そんないい時間を過ごすことができて喜んでいた矢先、閉店のお知らせを知った。なんとも残念である。理由はどうあれ、苦渋の決断だったのだろうなと思い量る。
喫茶店が儲かるというのはもう遠い過去である。喫茶店を経営してビルを建てるというような、高度経済成長期の喫茶店ドリームはもうどこにも見当たらない。
喫茶店で食べていこうというのは、現代ではなかなか厳しい道である。最低限の人員で、労働力を最大限使って、やっとなんとかなる。
夫婦やパートナーなど、生計を共にしている二人でフルに頑張ってやっと余裕ができるくらいだろうと思う。当店などは私ひとりの労働力で、私ひとりがなんとか食べていけるくらいの収入にしかならない。
それほど喫茶店というのは簡単に儲かるようなものではない。丁寧な手仕事を実現し、のんびり営業して生計を立てるというのはほとんどおとぎ話で、別に本業があったり、家族やパートナーなどがいてお財布がもうひとつあるという場合でのみ成り立つような話だ。
夢を壊すようで申し訳ないけれど、現実はわりと泥臭い肉体労働の世界なのだ。
それでも喫茶店をやりたいと思うのは、それほどに大変でも見える景色がとても美しいからだ。過酷な山登りにどうして挑戦するかと問われ、やはり登頂の感激に勝るものはないと答えるのと同じなのだと思う。
それぞれの店にそれぞれの美学があって、その美しさのために苦をも厭わないのだ。まるで奇跡のような光景を毎日見たくて、今日もお店を開けるのだ。
誰かが来てくれることで見られる奇跡。それはお店を輝かせ、誰かの心にともしびとなって光り続ける。
ともしびを辿って、私たちはそこに行くことができる。今残るともしびを大切にしたいと思う。ともしびが消えないうちに出かけなくては、と思う。