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●自由な一石●

10月1日は国際コーヒーの日。
せっかくなのでコーヒーにまつわることを書いてみようと思うのだけれど、乱暴に投げた一石に思われたら嫌だなとも思っている。

コーヒー屋をやっているくせにと言われるのを覚悟で発表してしまうと、私はスペシャルティコーヒーが得意ではない。
これはそういう概念についてとかではなく、単純に味の好みとして得意ではない。

コーヒー屋のくせに本当に怒られそうなのだけれど、単純に味が好きではないのだ。
おいしさについて理解はしている。が、しかし好きではない。
これは塩ラーメンは大好きでよく食べるけれど味噌ラーメンは滅多に食べたいと思わない、というのと同じだと思ってほしい。

喫茶店のコーヒー、というと北海道ではだいたい深めの味がほとんどだったけれど、最近ではブレンドでもスペシャルティコーヒーでフルーティーな浅めの味だったりする。
いよいよ怒られそうなのだけれど、いわゆる喫茶店のブレンドコーヒーを期待していたのに出てきたのがスペシャルティ系の味だったりすると、正直言って「ハズレだ」と思ってしまう。
スペシャルティ愛好家の方に袋叩きにされそうな発言ですね。
でも本当に味の好みとして好きではないのです。

世の中がこれだけスペシャルティコーヒーに傾倒していっているというのに、どうしても私は深めのブレンドが好きなのだ。
コーヒーフェスティバルというようなイベントも何度か行ってみたものの、どんなに有名なスペシャルティコーヒー専門店よりも、やはり市内の深めのブレンドを作っている店のものが一番おいしく感じ、結局それしか買わない。
コーヒーに携わる者として知っておきたいと参じていたのだけれど、もうすっかり自分の好みがわかってしまい、ちっとも出かけなくなった。

つくづく不良コーヒー屋だなと思う。
でも最近とある雑誌に書かれた記事を読んで、これは別に悪くないことだなと思い直した。
たしか2011年に書かれたものだったのだけれど、ある自家焙煎のコーヒー屋の店主がこんなことを言っていた。
"スペシャルティコーヒーがブームになってきているが、コーヒー屋として大事なのは揺るぎないブレンドがあることだ。豆そのものの味を楽しむのもわかるけど、それをどう組み合わせて自店の味にするか、バランスの試行錯誤がその店の腕であり、それがその店を表す作品のようなものだ。そしてその作品のファンになってくれたお客様が支持を続けてくれる。"
これは原文ままではなく私の理解による要約だけれど、だいたいそのようなことが書かれていた。

そうなのだ、私はその言葉に出会いたかったのだ。
いろんなコーヒーを飲んでもやっぱりブレンドが好きなのは、私がそういうものを求めているからなのだ。深めの味が好きならそれでいい、そういうコーヒーを出すお店を支持すればいいだけのことだ。
いくら世の流れがそうであっても、好きなものは好きなままでいい。恥ずかしいことでも悪いことでもない。

そしてこう思うようになった。
スペシャルティコーヒーは素描で、ブレンドは油絵だ。
素描という豆は絵の基礎となるのでもちろん大事。そしてそれを元に絵を構成し色を重ねていく作業が油絵であり、すなわちそれがブレンドコーヒーだ。

そう思うようになってとてもすっきりした。
素描が好きな人もいれば油絵が好きな人もいる。スペシャルティコーヒーが好きな人もいれば深煎りのブレンドが好きな人もいる。それでいい。

コーヒー屋の端くれとして全てに精通しなくてはいけないのではないかという、ある種の強迫観念から逃れられた。
自由でいいのだと思う。塩ラーメンが好きで味噌ラーメンが苦手でも、生のトマトはダメでミートソースは大好きでも、ビールは飲むけど焼酎は御免でもいいじゃないか。

そう思うのだけれどどうでしょう。
やっぱり怒られますかね。
しかしコーヒーの世界だけが完璧を求められる雰囲気があって、それは違うんじゃないかなと思っているのです。

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あと余談なのですが、当店のコーヒーを「濃いめ」と表現する方がいらっしゃるのですが、その表現はちょっと違います。
私は濃いめは好きではないので濃いめには淹れていません。(アイスコーヒーは別ですが)
深めのコーヒーをわりとすっきりめに淹れています。なので正しくは「深め」です。
最近さらに飲み口がいいように淹れられるよう改良しました。
実はちょっとこだわっていることなのでできればお伝えしたかったのです。
うるさくてすみません。

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