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衛星の勝手に映画ファンクラブ

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喫茶店もそうだけど、なくなってほしくない場所のひとつが映画館。映画館に行く人がひとりでも増えたらいいなという願いで、勝手に応援、勝手に紹介、勝手におすすめします。あらすじ以上のネ… もっと読む
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記事一覧

●マンティコア 怪物●

●マンティコア 怪物●

観るかどうか少し迷っていた。予告編を観ても、必ず観たいという気がしなかったからだ。
しかしなんとなく引っかかり、チャンスがあれば行かなくてはと思い、そしてそれは正解だった。
ひとことで言うと「ヤバい映画」である。サブカル映画としても、恋愛映画としても、ノワール映画としてもヤバいのである。

人柄の丁寧な描写に登場人物を愛し始めた矢先、じわじわと広がってくる闇。
具現化しないだけで、誰しもが内包しう

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●エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命●

●エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命●

生まれながらに宗教と密接な人と、そうでない人がいる。
私は後者で、日々の生活で信仰を意識することはない。一応の所属があることを思い出すのはお墓参りやお葬式くらいだ。
だから信仰が生活の一部である感覚を想像するのは難しい。
しかしそのように信仰に明るくない私でも、この物語の恐ろしさはわかる。そして信仰と密接な人にとっては、きっともっと恐ろしく感じることだろうと思う。

この映画は、まだ6歳のエルガル

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●プリシラ●

●プリシラ●

恋は世界に色をつける。
ときめきの色、喜びの色、幸福の色、悲しみの色、苦しみの色、絶望の色。
どんどん移りゆく色、色、色。

14歳から28歳までの彼女の恋。
その感情の流れをドレスや狂乱の遊びが表している。

終わり方がとてもよかった。
ラストシーンで彼女の心情にこちらの心がぐっと近づく。

それにしても主演のケイリー・スピーニーが素晴らしい。

●モンタレー・ポップ●

●モンタレー・ポップ●

私はママス&パパスが好きだ。
当時の彼らの姿を見たくて行ったのだけれど、1967年がそのままそこにまだ続いているようで胸が熱くなった。
生まれる前のことなのに、私もその場にいたような郷愁にも似た感情はなぜ起こるのだろう。
時代の熱が確実に収められているからだろうか。

感度のいい人が集まっているのか、観客が全員おしゃれでそれぞれに似合う服装をしていてそれを見るのも楽しい。
また、当時からステージの

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●英国式庭園殺人事件●

●英国式庭園殺人事件●

12枚の絵の構図とともに物語が進み、まるでパズルのように散りばめられた不穏と違和が最後まで続く。
もう一度観てその正体を確かめたくなる。

ピーター・グリーナウェイという監督の名を思い出すのには少し時間がかかった。
しかし「ZOO」というタイトルと照らし合わせてやっと繋がった。
20年近く前、1本100円の旧作映画を週に2~3本借りてとにかく観ていた。
もう一度観たいリストに書いたのがその映画だ。

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●Ghost Tropic●

●Ghost Tropic●

かけ違えてしまえば、いつのまにか知らないどこかに立っている。
はるか遠くではなく、ほんの少し先に、まるで旅先のように待っている。

始めから終わりまで構図がすばらしい。
美と心の動きが明確にそこにある。
ブリュッセルのあの夜を私も徘徊していたように錯覚し、時々思い出のように断片がよぎる。

●市子●

●市子●

なぜ彼女は彼女なのか。
まるで爆発するように世界を引っ掻き、布地が水を吸い込んでいくようにやがてあきらめに満たされていく。
知るほどに思考と感情の泉に石が投げ入れられていく。
その波紋や波立ちに目を逸らすことができない。

観終わっても思考は止まらず、幾度も反芻してしまう。
こんなふうにしか生きられない彼女について、一人でも多くの人に観て考えてほしい。

●福田村事件●

●福田村事件●

かつてあった世の中は、別世界ではなく今と地続きだ。
地続きの、いつかの現実。

知って、考える。
知って、自分の頭で考える。
自分の頭で考えるということが、今生きる現実に必要だということを、いつかの現実が教えてくれる。

住んでいる場所だとか国だとか、私たちは何かしらの集団の中にいる。
集団には必然の決まりや同調が生まれるけれど、立ち止まって目を凝らしてみないと個人にとって必要なのかはわからない。

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●哀れなるものたち●

●哀れなるものたち●

「自分」になるために世界を知り、誰かと会って、何かを感じて、考える。
世界を見る目を作るために、学ぶ。
成長するということは、それをやめないこと。
成長し続けるということが、生きること。

彼女は人生の喜びも悲しみも急速に吸収し、新しい視線で現在と過去と未来に向き合う。
そんな彼女から、私たちも学び考えることで今までの自分と新しく対峙できるということを教えてもらった気がする。

作り込まれた映像美

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●瞳をとじて●

●瞳をとじて●

たくさんのものを失っても残るものが本質であり、希望なのかもしれない。

誰かにについて知る人たちの記憶を集めたら、どのくらい輪郭が描けるのだろう。
おそらく当人には及ばない曖昧なものになるのではないだろうか。
たとえはっきり描けなくても、いくつかの欠損があったとしても、そこに見えているものだけは紛れもない皆の記憶の結晶であり、それがその人らしさなのではないだろうか。

●枯れ葉●

●枯れ葉●

決められた行く先に、静かに落ちる葉のように進んでいく。
しかし大切なものを見つけたときに、その顔の輝くのを決して見逃してはいけない。

人生は薔薇色や灰色だけでなく、無色の時間も長い。
決して谷底ではないけれど、長く続く砂利道の場合もある。
そこにどんな小さな光る石が落ちているのか、それがやがて辺りにどんな色をつけていくのかをアキ・カウリスマキ監督は知っている。
彼らしいユーモアを添えて教えてくれ

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●数に溺れて●

●数に溺れて●

100までのカウントに乗って物語は進む。
もしくは100ピースのジグソーパズル。
ピースのひとつひとつが監督の執着の具体化、すなわち計算された美である。
そのピースのいくつかはきっといつまでも不意に脳裏から転がり出てくることだろう。

1988年公開の作品なのにちっとも古さを感じさせないのは、年代よりも映像としての美しさが勝るからであろう。
「英国式庭園殺人事件」を観た時もパズルを連想させられた。

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●PERFECT DAYS●

●PERFECT DAYS●

繰り返しているようで同じじゃない、今日という日の残像。
小さな美しさ、小さな楽しみ、小さな日常、小さな世界、小さな愛。
それをどのように感じるか、何を守りたいのかが、その人の美学になる。

いつまでもしみじみ、しみじみと、映画の断片が幸福なものとしてよみがえる。
彼のようにゆずれない自分だけの美しさと確固たる世界を手にしたいと思う。
上を見たり下を見たり、踊らされている自身の姿に気づかされる。

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●私と映画●

●私と映画●

90年代の終わり頃、わりとマイナーな映画が深夜のテレビで流れていた。NHKなんかでもアジア映画特集などをやっていた。
その頃の私は人生に絶望しており、答えを探すために映画を観ていた。生きることの意味や理由をずっとその中に探していた。
明確な答えは見つからなかったけれど、ヤン・シュヴァンクマイエルやアッバス・キアロスタミ、ウォン・カーウァイといった監督の作品に幸福にも出会うことができた。答えではない

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