マガジンのカバー画像

重たさ

23
なんで生きてるんですか
運営しているクリエイター

2024年8月の記事一覧

雪に夏

雪に夏

 外で遊ぶ子らの声がやたらと耳につく。窓に触れる樹の葉々が風に揺れて、屋上からおが屑を撒くみたいに、がさがさ、さらさらと音がする。八月も暮れに差し掛かり、公園の向日葵もうつむき始めている。
「もう寝よう」僕の声にランテコはなんにも応えなかった。彼女は窓の外を見ていた。夜の波が音もなく窓にぶつかっては引いていった。言葉は独り言になって床に転がり、水引棚の足にぶつかって真ん中から割れた。
 部屋には僕

もっとみる
パラドックス

パラドックス

 部屋の鍵を閉め忘れていたのか、在宅勤務中の僕の部屋に女子中学生が入ってきた。左手にスーパーのレジ袋をぶらさげている。
 毛の細い髪質、色白の肌、見据えるような冷たい目線、薄い唇。つまらなさそうな表情で、その子はつかつかと部屋の奥へ進む。
 誰だったか、顔つきが知り合いに似ている気がしたけれど、この子に面識はない。女性の知り合いすら少ないのに、中学生となると、もっとない。
「え、何々。きみ、誰……

もっとみる
重たい

重たい

 部屋にイヤホンを忘れていた。
 出かける前に確認しなからこうなるのだ。電車を待つ人の列の中で気がついたもんだから、今更引き返すこともできなかった。
 磯子行きの電車がホームにぴたりと停車して、乗り込んだ車両には男子高校生がすでに数人で乗車していた。彼らは所構わずといった感じで立ち話をしているものだから、彼らの会話は嫌でも耳に届いてくる。
「俺、グラビアのおっぱいより好きな子のおっぱいのほうが好き

もっとみる
オトリカエ保険

オトリカエ保険

 保険屋の男性営業が家に来た。いくら邪険にしても、顔色一つ動かさず食い下がってくる。
 聞けば、死亡または治療不可な怪我をした場合、保険金が降りるのに加え、新しい『本人』と交換できるらしい。しかし――。
「非人道的だ。警察に……」
「お待ち下さい」
「……」
「あくまでもご提案にございます。ご入用とお見受け致しましたので……」
 確かに、必要だった。半年前に娘が怪我をしていた。バレエに打ち込んでい

もっとみる
金のなる木

金のなる木

 ある時、道端に腰掛けていた商人があるものをくれた。
 鉢に入った小さな苗木。商人は受け取った苗木の鉢を指差して「毎日水を欠かさず与えなさい。今に面白いことが起こるから」そう言って、後は何も話さなかった。
 その日から私は、毎日欠かさず苗木に水を与えた。
 苗木はすくすくと順調に育った。そのうち鉢の狭さに窮屈そうにしていたので庭に移して育てた。
 苗木は庭に移してからも順調に背を伸ばし、10年経つ

もっとみる
きれいごと

きれいごと

 お母さんは最近「●●様がいちばん偉い」と云って、聞かない。けれどもこんなこと、学校の同級生に言っても信じてくれないし、もし信じても、わたしはあたまの悪い子は好きじゃないから、話さない。
 お母さんが●●様を信じ始めてから、お母さんは洗濯しなくなった。ゴミも出さなくなって、ご飯も作ってくれなくなった。お母さん、と声をかけても返してくれなくなった。いつもなら笑ってくれたことも、笑ってくれなくなった。

もっとみる
殺したあと

殺したあと

 事の起こりはなんてことないことだった。
 十二月九日。高層マンションのひと部屋で不倫した彼を刺した。助けてくれ! 部屋から飛び出して叫び散らした彼を追い詰め、また刺した。
 騒ぎを聞きつけた人の群れに見つかり、上階へ逃げていくうち、外へと身を投げていた。
 身を投げた瞬間の、ぱっと血の気が引いていく感覚を覚えている。頬に当たる逆さの風の感触を覚えている。風になびいた前髪がめくれ、目前に敷き詰めら

もっとみる
仲良くなるには

仲良くなるには

「仲良くなるには、共通の敵を作ることです」
 三日月のようにうつくしい弧を描くふとい角をゆったりと左右に揺らしながら、悪魔はささやく。午前四時の自室で、幼馴染に振り向いてもらう方法を訊ねた。街灯の青白い微光が差す仄暗い箱の中で、悪魔の口から乾いたわらいが漏れる。
「そうか、そうすれば……」
 だが、どうやって。
「どなたか、嫌いな人はいらっしゃいませんか」
「嫌いな人……」いる。隣のクラスの堀倉。

もっとみる
不老不死

不老不死

「きみ不老不死を羨ましいと思うか」と彼は云った。枯れ木のような男だ。赤茶けた身は細いのに関節ばかりが節くれだって、あんまりみていて気分のいい男ではなかった。
「もちろん」僕は答えた。「死に対する恐怖の超越は、人類の悲願だからね」
 それを聞いた彼は含み笑いするような様子で下を向いた。

「結局生きる意味なんてないのさ」と彼は吐き捨てるように云った。
「ひとはどうせ死ぬのさ。だけどね、ああ、僕らは今

もっとみる
苦味

苦味

口の中が苦く乾いていた。
 心臓に釣り針が幾本も食い込むような感覚がいつまでも抜けず、釣り針はそれぞれ引っ張り合うこともなく心臓の肉に食い込み、かみつき、しまいに肉から針の先が見え、血が滴る。
 寄るべない寂しさやら恥ずかしさが、薄桃色の、ビー玉ほどの大きさの玉になって喉につかえた。心臓に釣り針が幾本も食い込むような感覚がいつまでも抜けきらず、釣り針はそれぞれ引っ張り合うこともなく心臓の肉に食い込

もっとみる