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#204【日記】敗戦の日に寄せて 二度と同じことを起こさないためにできること

今日もお読みくださってありがとうございます!
残り少なくなってしまいましたが、今日8月15日は終戦記念日、敗戦の日です。
全国戦没者追悼式では、天皇陛下が今年も「深い反省」との表現を使ったことがニュースになっていました。


真面目に戦争と平和の話をしよう

このことを書くにあたって、『虎に翼』のドラマや吉田恵里香さんの発信にエンパワメントされていることをまず明記したいと思います。

再びの東京編は、時間をかけて原爆裁判と向き合っていきます。 日本は、広島と長崎に原爆投下され大勢の方が犠牲になった戦争被爆国です。戦争によって大きな傷を負い、傷をつけてしまった過去を背負っています。明日は国民が戦争終結を知った、敗戦の日です。 二度と同じことを起こさない為に、できることをしていきたいし考えていきたいです。

吉田恵里香 公式X 2024年8月14日 午後1時20分

吉田恵里香さんは、脚本にしても、Xにしても、非常に真摯に発信される方だなあ。被爆国であることとともに加害国であることへの言及、また「敗戦の日」という言葉選びも。

「戦争の話とか重くてつまらないからやめようよ」?

10年ちかく前にある自治体の広報誌制作の仕事をしていたとき、8月の特集では「戦争と平和」をテーマにするのが数年来の通例となっていました。
この自治体も、他の多くの自治体と同様、「平和都市宣言」を行っていたからです。
また、くらた的な「一般常識」としても、8月は戦争と平和について語るのが当たり前だと思っていた(後述)。

くらたは、それは自治体の広報誌にとっても良いことだと感じていました。日本全国どこの地域にも、戦争の語り部として地域の戦争体験を語り継いでいる方々はいらっしゃり、その高齢化が進んでいます。
その中で、一年に一度、その体験を聞かせていただき、それを広く住民に読んでいただく。自分たちが今住んでいる地域にも戦争があったのだと身近に感じていただく。
簡単な仕事ではないけれど、そういうことに真面目に取り組むからこそ、広報誌自体の信頼性も保たれるとくらたは思っていたし、今も思っています。

ところが、くらたが人事異動によりその制作に携わらなくなったとたん、その通例を破って、まったく関係のない特集が組まれるようになった。
あれ、と思ってそれとなく探りを入れると、広報誌のテーマを決定する際に発言権のある係長(当時40代前半くらい?)が、

8月になるとテレビも戦争の話とかするけど、重くてつまらないからやめようよ

と言って、周囲もそれになんとなく同調して、大した検討もせずに辞めてしまったのだとか。

勤め人ですからどれだけそこで身体を張りたくても異動しろと言われればせざるを得ない。
わたしは、自分がいなくなるときまでに、毎年8月に「戦争と平和」のテーマを持ってくる意義をきちんと言語化・ドキュメント化してこなかったことを非常に後悔しました。
後述する宮崎駿の言葉のとおり、ちゃんと言葉にしないとなんも伝わらんのです。
自分がそこにいなければ、地道に積み上げたものが、いとも簡単に崩れ落ちてしまうのだと痛感しました。(うーん、今の組織での仕事に対して虚しさを覚え、懐疑的になったのは、このときの経験もとても大きいかも)

だからこそ、戦争に関して、とくに日本の加害の歴史についてはっきりと声を上げる人々を見ると、心の底から拍手を送りたい気持ちになるのでした。

日本には、加害に関する語りがない

先日の記事で途中で途切れてしまったことについて書きます。

「日本は被害に関する語りはなされているが加害に関する語りがない」という指摘を目にしたことがあります。
ライムスター宇多丸さんもラジオでおっしゃっていた……気がする。
くらたも、そのとおりだと思います。特に最近。

くらたが小中学生だったころは、戦争体験の本の中に、加害に関する体験談がまだあった気がします。児童書にも青年漫画にも。
そうした本を、塾の図書室(くらたの塾では図書室があった)で借りて必死で読んでいた時期がありました。与えられた教育の影響ももちろんありますが、自ら読まなければならないとも思っていました。

石坂啓『正しい戦争』(集英社)

今でも印象に残っているのは、手塚治虫のアシスタントをされていたこともある石坂啓さんの漫画『正しい戦争』(集英社/なんとジャンプコミックス!)です。
石坂さんの絵柄に惹かれて読んだのですが、朝鮮人・中国人差別、従軍慰安婦、中国残留孤児など、内容はとても重かったです。
近年、中古で買い読み直しました。
↓ 集英社のサイトにはなかったので、Amazonから。※Amazonアソシエイトやっていません ↓

映画『きけ、わだつみの声』

本ではありませんが、織田裕二さん、鶴田真由さん、仲村トオルさんなどが出演された映画『きけ、わだつみの声』は衝撃的でした。
印象に残っているのは、極限の戦地と人肉食の場面。また、的場浩司さんが従軍慰安婦の朝鮮人の女性とバイクで波打ち際を走って機銃掃射を受けて血だらけで倒れる最期のシーン。

そういう映画が普通にあったのです。
制作にフジテレビ関わってたのも今となってはびっくり。

731部隊について描いたNODA MAP公演『エッグ』

どこであったかは定かではありませんが、731部隊についての文章も早いうちから読んでいました。

野田秀樹さんは「第二次世界大戦を忘れるな」と繰り返し訴えていると思ってはいました。その文脈の中でこのNODA MAP『エッグ』を見て、後半ではっきりと731部隊のことを描いているのだとわかる表現に気が付いたとき、この人の言うことは、現場で必ず漏らさず聞きたいと思いました。

手塚治虫と戦争

加害に関する表現ではありませんが、手塚治虫と戦争というテーマでWeb上で読めるものがあるのを見つけたので、リンクを貼っておきます。

こういうものをちゃんと読まなければならない

人間の極限の状態、愚かさ、野蛮さ、恐ろしさ。
「こういうものをちゃんと読まなければならない」と、なんとなく思っていました。
しかし、そんな子どもは少数派でした。
知り得た情報による衝撃を周囲の友達とも共有しあいたかったけど、それは難しいことであると徐々に知りました。

以前も書きましたが、くらたは日本国憲法前文をそらんじている子どもでした。これは塾で暗記コンテストがあったためでもありますが、くらた自身、当時も憲法前文を美しいと感じていました。
(でも奇跡的に小学校に、塾は違うけど一人だけ同じようにそらんじている男子がいました。あれはなんでだったんだろう……。中学に上がると、彼が学年一番で、わたしが二番だった。彼は運動神経もよかったけど、わたしは勉強しかできなかった)。

のちに宮崎駿が『もののけ姫はこうして生まれた』の中で、

自分の青春時代に、「こういうものを読まなければならない」と自分に課していたものがたくさんあって、そういうものは自然と後の世代にも伝わると思っていた。ふと気が付いたら何も伝わっていなかった。

と語っているのを聞いて、時を越えて子どものころの自分を肯定してもらった気がしました。

「新しい戦前」

タモリさんが『徹子の部屋』で「新しい戦前」という言葉を発して話題になったのは2022年の年末でした。2023年の年末の出演回で何を言うのかかたずをのんで見守ったら、そういうようなことは何も言わなかったのもタモリらしい。

ノンフィクション作家保坂正康さんは、先だっての都知事選での「石丸旋風」を見て、この「新しい戦前」という言葉に合点がいったそうです。
石丸伸二さんについて、ほかでは読まなかった指摘だったので、リンクを張っておきます。

日本国憲法前文

アフガニスタンに用水路をつくった医師の中村哲さんは、「私はこの国(日本)に言いたい。憲法を実行せよ」とおっしゃっていたそうです。

憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。
(中略)
私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と。

冒頭に書いた『虎に翼』でも、戦後のパートでは、ことあるごとに「日本国憲法」に触れています。

「日本国憲法前文」今はもう暗唱はできないけれど、今日改めてここに引用してこの文章を終えたいと思います。
権力の暴走を縛り、人間への信頼をもって平和を希求し続けようとする美しい文章だなと、改めて。

日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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