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#127【日記】身体という限界を突破する『VRおじさんの初恋』

今日もお読みくださってありがとうございます!
タイトル画像はドラマ見ながら家のテレビをスマホで撮りました。


芝のぶ様の八汐

今日……行ってきてしまいましたよ芝のぶ様の八汐を観に。
だって芝のぶ様が歌舞伎座で團菊祭で伽羅先代萩で八汐なんて……次観られるかわかりませんよ!
こんなに自由が利くのも今だけだから(いつも言っている)!
今度書く(いつも言っている)!

素敵だった!
大向こうと惜しみない拍手が送られていて、ほんとうに素敵だった!

今日の『VRおじさんの初恋』

さて。
今日は昨日見た『開運!なんでも鑑定団』について書くつもりというか書いていたのですが、『VRおじさんの初恋』が良すぎてこれについての記事にすることにしました。しつこい?でも良かったんだもの。
わーん、明日最終回どうなるの〜〜??
ぜひ見てほしい!(←全32話中、第23話から見始めた奴)

ふと気がつけばリアルやじゅパパを舞台で見て、帰ってきてからホナミやじゅパパを見た、やじゅパパデーでした。
やじゅパパまじすごい。

自分と出会うことのレアリティ

VRホナミ(井桁弘恵)
(VRホナミと現実ホナミの好みが一致したことを「同じ自分なんだから当たり前か」と言った現実ホナミに対して)
「当たり前じゃありません。
人生を通して、自分に出会えない人はいっぱいいます。」

くらたも、休職してから知った自分の側面ってたくさんあります。

今日ほど井桁弘恵さんがかわいく、魅力的に見えたことはなかった。不安な顔、泣き顔、その先の嬉しい顔……なぁんてかわいいんだ!!
井桁さんとやじゅパパがちゃんと同一人物に見えるのがすごい。倉沢さんと野間口さんもしかり。

棺桶に持って行けるのは

VRホナミ(井桁弘恵)
「誰かが、棺桶に持って行けるのは思い出だけだって言ってました。わたしのこと、忘れないでくださいね。」
 現実ナオキの心の声(野間口徹)
「忘れるもんか。君は、初恋の人なんだ。」

じーん……。
前回、アスカ(田中麗奈)のセリフで、あの歳で初恋の相手にしてもらえるなんて父は幸せ者だ、みたいな言葉がありました。

また、全編にわたって、何をVR役者(井桁弘恵、倉沢杏菜)に語らせて、何を現実役者(坂東彌十郎、野間口徹)に語らせるかの匙加減が絶妙。

仮想現実の「世界の終わり」

VRナオキ(倉沢杏菜)とVRホナミ(井桁弘恵)が特別列車でたどり着いた「VR世界の終わりの場所」は、ログアウトしてもう二度とログインしなかったアカウントが消えてゆくブラックホールでした。
アバターが消えていくさまを見て不安がるホナミにナオキは確信を持ってこう言います。

現実ナオキ(野間口徹)
「『この世界は、アバターが消える瞬間をずっとみてるぞ』って。『死んでもお前の名前を覚えてるからな』って、そう言ってるんだ。」

ディズニー映画『リメンバーミー』を想起させるシーンです。忘れられるとあの世からも消えてしまう世界を描いた『リメンバーミー』もたいへん好きである。エンタメ映画でありながら死生観に踏み込んディズニーはんぱないです。
消える瞬間を誰かが見ていてくれること、その効用を我が師・内田樹さんもどこかで書いてたな。

「あれは確かに、同じ私たちだ」ーー身体から自由になるという新しい方法

タイトル画像にもしてしまった、VRホナミとVRナオキの、悲しくも幸福で美しいWウエディングドレスキスシーン。
ここに、めちゃくちゃ示唆的なモノローグが入りました。
ズバリこの作品のテーマ。

現実ホナミ(坂東彌十郎)
わたしたちの心は身体に決められる。
望む望まないに拘らず。
性別、年齢、健康状態ーーそういうもので心の輪郭は作られていく。
でも、VRの世界で、現実と違う身体と出逢って、その身体でしかできない約束をした。
身体が変われば、心が触れ合う場所も変わる。

あれは確かに、同じ私たちだ。

「女のほうが気持ちいい」?

急にセクシャルな話、それもバカみたいな話になりますが、くらたは「女のほうが気持ちいい」論って大嫌いです。
これ言う男性、意外といるんですよね。
少なくともくらたは複数人から聞きました。
なお女性から聞いたことはない。
「男のほうが気持ちいい」という論は男女どちらからも聞いたことがない。
くらたの周りの男性が特殊なの?

「事実だから」とか言われたこともあるけど、快感って「ナントカいう脳物質が脳重量の◯%でたらこのくらい快感」とかいうふうに定量的に計測可能なものなのでしょうか。

くらたがいちばん疑問に思うのは、なんで「どっちがより気持ちいいか」という問いの立て方をするのかということ。
そもそも個人差も大きいし、男と女と両方の性体験はおろか複数の身体での性体験を経験して比較できる人なんて世の中には存在しないのです。
男と女という大きい話以前に、わたしとあなたのどっちがより気持ちがいいかなんて、絶対に比較できない。
幸せを他人と比較するなというけど、男女になるとなぜやたらに比較するのか。男or女の方が大変だ、だの、男or女の方が気持ちいいだの。
ほんとなんの目的で言ってるの、あれ?

お前がろくでもない男とばかりつきあってきたんだろと言われればぐうの音もでねえですが。

身体という限界と、限界突破のVR

思えば学生時代から、
「時代が進んで親の職業とか家柄とか学歴とか、そういうものからは自由になれても、男とか女とか身体的なくびきからは絶対に自由になれないのはどうしてなんだろう」
と思ってきました。
とくに初めて恋人ができた大学生のころは、悩みのほとんどはそれでした。

そこから抜け出す方法として光が当てられているのがVRであることは、以前から示唆されてきました。

数年前、ピースの又吉さんがやっていたNHKの番組で、VR技術が子どもの目線になって生活環境のリスクを探ることに活用されていることや、白人女性に黒人コミュニティのVRを体験してもらったら人種差別意識が有意に改善したことが紹介されていました。

それと通底することを、今度はドラマで表現している。

身体が変われば、心が触れ合う場所も変わる。

ほんとにそうなんだと思う。
その「身体を変える」ことを初めて可能にしたのが、VRなのでしょう。
そして見事なのが、「VRだから」「仮想だから」「現実じゃないから」と逃げずに、経験したことのぜんぶを現実の自分のなかに引き受けて受け入れる一言。

あれは確かに、同じ私たちだ。

シンプルではない、一枚岩でもない。
この身体とこの色も、あの身体とあの色も、自分の一部。(ポケビの歌にありましたよね、この身体とこの色で、って)

はぁー。
明日の最終回、楽しみだけど、寂しいなぁ……。

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