『歳下の青年』 / 村田は綴る✍🏻
ふたまわり近く年齢差のある歳下の男性とお付き合いをしている。
彼は若手声楽家、芸能全般をやっている。青学を卒業し、好きなうたの世界に入った。
身長は170センチちょっとくらいの細身。髪は昔のキムタクを彷彿とさせる、今時珍しいふんわり艶のあるロングヘア。お顔は、ぼやけてよくわからないが、スルんとシミひとつなく、透けすぎない丈夫そうな白い肌、切れ長の柔和な目元、薄い唇、鼻はささやかに付いている程度で顎のシュッと尖ったさっぱり系。それでいて、若さに似つかわしくない気配りの細やかさ、慎み深い柔らかな所作が美しい。
彼はきっと欲しいものをこの先も掴んでいくのだろうと、端正な美しい顔立ちから発光する眩しさに、わたしはめまいがする。
ところで、彼から見たわたしの立場は一体なんだろうかと考える。わたしは獣ではない、つもり。母か? 母になるほど壮大なこころを持ち合わせてはいない。ダチか? 人生の先輩か? なんだかわからないが、燃え盛る程の恋愛でもなく、居ごこちがいい。歳下と交わると付きまとってくる妙な焦りも感じず、構えなくて良い。
けれど、歳の差から察するに、当然、彼とわたしの未来は同じではない。一生を共にするとも言えなければ、また人は変化する。ただほんの一瞬、時が重なり、同じ時代を生きる。こんなハプニングと言うかサプライズと言うか、わたしの人生にも組み込まれていたのかと歓喜する。
死ぬときは誰もが一人。命ある今、一人でなく二人、幸せじゃないか、楽しい人生じゃないか、捨てたもんじゃない、思わぬことが起きるものだと、宙に浮いた場所からぼんやり考える。恋の熱に浮かされる訳でもないのに、胸が充ちる. . .
__恍惚と、目が覚める。
午前8時。今日は11時まで眠っていたかったのに、夢はあっさりと短い。短いわりに気分の良い目覚め。カーテンの隙間から差し込む朝の光にうっとりと回想する。
夢の中の青年はわたしの理想像、もしかしたらわたしが欲している美への欲望の現れかと考える。
青学というのは、都会的で洒落ているというわたしの個人的なイメージ。我がことを "イモチャン" と呼んでいた幼い頃から変わらず、芋と餅を飽きずに食べる日々への活か、ちっとは洒落たものを食べに行きたいという願望の現れか。
ちなみに、わたしが学んだ国立音大は、国立(くにたち)には無い。玉川上水に在る。下車して先ず、広大な敷地に立つ墓を一望する。青山など掠りもしない景色、別の星。そうは言っても、近所の兄ちゃんが早稲田生であった事からわたしは早稲田贔屓で、また別の星を愛していた。
更によくよく考えれば "眩しい" "めまい" など、眼精疲労に加え、身体にも異常があるではないか。これは気をつけなければと我にかえり、自己診断する。これもまた夢の醍醐味。
と、ここまで書いて、目がしょぼしょぼし出した。健康でなければ色ボケられない。抑圧された中でこそ、願望はくっきりと姿を現すが、現実は過酷であり無情。けれど、人生を憂えてばかりいられない。すべての出来事はある日、呆気なく終わりを迎える。その時まで自分なりの儀式をサボらず、丈夫でいる。夢も現実となるやもしれぬ。
や、まて、「若い男が好きだろ?」と聞かれたことがあるが、"若い" だけが良いのではないことを誤解されぬように書いておきたい。
大切なことは『しょぼくれない』ということ。
🌝声、発声、機能を考える
ボイス・ボーカルレッスン/東京都
音楽療法(医療行為は行わない)の観点からオーラルフレイル、口腔機能、老化防止を意識した呼吸法、発声のレッスンも行います。
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